8.目に見えない真実-4
それからしばらくベルナの受難は続く。先ほどまで通用していたコマンドが通用しなくなったり、グレゴリアに文句の一つでも垂れれば言葉の節々を拾われ誤作動したり、
肩車コマンドやお姫様抱っこコマンドはなぜ存在する?《
挙句の果てに、鋼の意志で「あああああああああああッ!」と大声を出して咆哮する衝動を抑え、地団駄を踏む事に留まったベルナに対し
どうやらベルナの地団駄のリズムが
「グレゴリアさん?これいつまで――」
「しっ」
度重なる精神疲労により、
その仕草に釣れられ、ようやくベルナは今の状況を正しく思い出す。
そうだとも。
自分達は今、危険極まりない
「っ……」
目でグレゴリアに状況を問う間もなく、いきなりベルナは彼女により手を強く引かれ、危うく転倒しそうになる。
熱を帯びる柔らかい何かにより体をつつむ。翼だ。グレゴリアは何かを察知し、咄嗟に翼を広げベルナを庇ったのだ。
一瞬遅れて、この世のモノとは思えぬ極寒の空気層がベルナの肌を撫でる。直後に、全身を押し潰さんとする横方向の衝撃波と、臓腑が潰えたのではと勘違いする程の鋭利な絶望感が彼女の脊髄から駆け昇る。
震えが止まらない。
「苦しい」。「悔しい」。……「憎い」。
ベルナとて、甘やかされて育った訳では断じでない。粗暴な冒険者には分からないかもしれないが、彼女もまだサバイバーだ。だから、心理的苦痛には慣れているつもりだった。
だがこれの次元は違う。「感情」に殺されそうになるのは、初めてだ。
視界が極度に狭まられ、暴風雨に打たれたガラス窓のように黒い点が彼女の目をおおう。
頭が痛みによるのではなく、情緒の過負荷により張り裂けそうになる。
一瞬、ベルナは手放そうとした。楽になろうとした。
しかしながら、爪で自分の太ももを深く刺し、彼女は耐える。
負けない。何一つ成せないまま諦めてたまるものですか。自分の足から流れてくる赤い血潮を目で追い、ベルナは感情の嵐に抵抗する。
すると、耳元で小さく、それは響く。
囁きのような歌だ。一日の労働で疲れ果てた母親が、それでも眠りゆく我が子を見守り、背中を撫でながら喉の奥底から絞り出した子守唄。
この世の、どんな曲よりも美しく優しいメロディだった。蜂蜜を溶かした暖かい牛乳のようにそれはベルナの身に染み込み、彼女をがんじがらめにする負のエネルギーを打ち消す。
その正体がグレゴリアの歌声であると認識するには、三十秒ほどかかった。
「『リリスよ去れ』、でした。恐怖、混乱や魅了などの異常状態を打ち消す楽曲
グレゴリアはベルナの瞳を注意深くチェックしながら、左手で血が止まっていない彼女の腿に触れた。瞬く間に傷は癒え、痛みも嘘のように引いていく。
「
「お褒めに預かり恐悦至極」
「本当に、綺麗な歌でした」
「喜んで頂いたのであれば何よりです。そして――申し訳ございませんでした」
ベルナは驚く。
「どうしてグレゴリアさんが謝るのですか?私達を危険に晒したのは――」
「私です」
ベルナの言葉を遮り、グレゴリアは続く。
「異常事態です。どうやら……先生の意図を、私は読み切れませんでした」
ベルナの身を包む翼を解き、グレゴリアは
その目にはベルナが今日散々見た悪戯っぽい光はなく、プロフェッショナルな高レベル冒険者の厳粛な目つきになっていた。
「こういうアクシデントに対処するための私であるはずでした。心よりお詫び申し上げます」
「謝罪を受けいります。もういいでしょう。お互い様という事で私は納得しました。それよりも、何があったのですか?」
ベルナの
「ボス部屋に入る者に対する挨拶程度でしたが……先ほどのはボスによる先制攻撃です。あなたは私の翼の中にいましたのでよく認識できなかったと思いますが、
「この
「いいえ。通常、
「どうしてそんなモノが急に?」
「『隠し要素』、でしょうね」
初めて聞く名詞にベルナが首を傾げる。それを見て、グレゴリアは更なる説明を加えた。
「『隠し要素』とはパーティーメンバーの組成や、
「それで?我々は運がいいと理解したら良いのですか?」
ベルナなりの強がりに、グレゴリアは小さくはにかむ。
「流石、肝が据わってらっしゃいます。つい一分前
「……私、死にかけていました?」
「私の歌が無ければ、多分五秒と持たず自分の喉を爪で抉り始めると思われます」
後五秒で死ぬかもしれなかったという事実がじんわりとベルナの脳幹を浸透し、冷や汗が滲み出る。
「そう怖がらなくとも良いのです。
《
それもそのはず。短時間で
またしても《
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