3.新入社員歓迎ツアー-3

 大きく気勢のあるオフィスチェアの上で、日向ぼっこでもしているかのような完全にリラックスしている座り方をしている人物に対し、ベルナは思わず屈辱を耐えるように唇を噛む。


 自分がいかに軽んじられているか、その姿勢を見れば一目瞭然である。


 そして、その服装に注目すると……ベルナは絶句した。


安息の地エルピス》のリーダーである闇妖精ダークエルフの少女は黒の背広を着ていた。その頭上にはベージュのフェルトハットが被されており、その肩には一匹の黒猫が乗っていた。黒猫は長い尾をマフラーのように主の首に巻き付けている。


 窓から差し入れた日光を全身に浴び、《安息の地エルピス》の女王は穏やかな笑みを浮かべる。


「ッ……『カポネの冒険』の……つもりかッ!」


 忌々しげにベルナは囁く。


『カポネの冒険』。それは、十年ぐらい前に、この国の地下組織の一つが犯罪組織のイメージ向上のために作り上げ、大々的に売り出したプロパガンダ用のシリーズものの絵本だ。


 内容は、カポネという若きギャングが家族愛や忠誠、労働の喜びや約束事を守る重要性を活劇の中で説くもの。資金も豊潤なため、『カポネの冒険』はとんでもなく高品質に仕上げられていた。


 ベルナはそれらを書斎の奥まったところで見つけ、あっという間に読破した。


 迫力のアクションシーン、外の景色のように美麗なカラーリング、滑らかな紙の手触り、人情味あふれる台詞。


 認めよう。

 子供の頃のベルナは、『カポネの冒険』が好きだった。


 配下を養い、友を近くに置き、家族を慈しみ、黒猫と二人で颯爽と敵陣に突入するカポネを……かっこいいと思っていた。


 父上に失望された、あの日までは。


「いいかい、ベルナ。本物の悪は正義のフリをする。あの本は大勢の人を死に追いやったんだ」


 父上の深い落胆が込められたあの瞳を、いまだ忘れられない。


 使用人の一人が、摘発した本を書斎に誤って置いたとして、その日のうちに屋敷から追い出された。


 ベルナは騙されたのだ。好きだった物に……裏切られたのだ。


 その深い悲しみは、深さの分だけ憎悪と怒りに変わった。


 ベルナが流したのは涙だけだったが、『カポネの冒険』の思想に毒され犯罪組織に入り、これまで搾取され散っていった若き命が流れたのは血だ。


 大人になった今ならわかる。

『カポネの冒険』はその可愛らしい絵柄とは似ても似つかない、血にまみれた悪書であった。


 絵本の主人公であるマフィア組織ボス《仁義のカポネ》のトレンドマークは、黒の背広とベージュのフェルトハット。その肩に乗っている黒猫は、カポネの忠実な戦友である。


 いま目の前にいる闇妖精ダークエルフの少女の格好そのものだった。


 ピンポイントに、冒険者ギルドのマスターたる人物が黒猫を飼っていたという偶然があったとしても、少女が背広など普段着にするはずはあるまい。《安息の地エルピス》のギルドマスターは、口を開く前から全身を使いベルナを嘲笑っている。


 私はギャングのボスだが、何か?


 そんなセリフが、その服装から透けて見えてくる。


 冒険者ギルドという偽装を、私は必要としている訳ではない。楽しんでいるのだ。


 そんな声明が、ありありと浮かび上がってくる。


 わなわなと震えながら、ベルナは相手を睨みつける。


 余裕のある緩慢な動きで、闇妖精ダークエルフは右手で目を覆っていたフェルトハットを取り、ベルナに視線を向ける。


 飄々とした笑顔を維持したまま、少女は足を組み直す。

 それだけで、ベルナはさっきまでの怒りの半分が重圧によって冷却されていくのを感じる。


安息の地エルピス》のギルドマスターの二つ名は《万紫千紅カレイドスコープ》である。その虹の瞳は非常に有名だが、実物を見ると迫力が違う。


 見定められている。正に、蛇に睨まれた蛙の感覚だった。


 ベルナは唾を呑み、相手の出方を待った。


「何か気になる事でも?」


 わざとらしく、闇妖精ダークエルフの少女は聞いてくる。

 何なら『カポネの冒険』がベルナのトラウマトリガーである事も調べがついているだろうに。白々しい事この上ない。


「……ああ、これですか?」


 これ見よがしに、《万紫千紅カレイドスコープ》は両手を広げ、自慢げに背広を見せる。


「確かに、冒険者にしては珍しいかもしれませんね。ですよぉ。どうですか?似合ってますか?生徒……えっと、ギルドの仲間からは好評でしたけど、妹はこれに関して否定的でしたから……ちゃんと着こなせてますか?」


「………グッ……クッ……」


 耐えろ。耐えるのだ、ベルナ・グイドニス。まだキレる時ではない。

 闇妖精ダークエルフの少女は腰を浮かし立ち上がろうとするが、肩に乗っていた黒猫がひょいと降りて、その太ももの上で正座した。


「え?ティフィ……ちょっと退いて、立てない……あ、おっぷ、うっぷ」


 黒猫を退かそうとその腰あたりを軽く掴もうとする《万紫千紅カレイドスコープ》だが、数発の猫パンチが精確にその口と鼻に命中し、移動する事を拒絶する。


「ご、ごめんなさい。座ったままで失礼します」


「ッ……お気に、な、さ、ら、ずッ!」


 ベルナは腹に力を入れて、屈辱を飲み込む。国の使者が目の前にいるのにいきなりペットとじゃれ合い始め、挙句の果てに最低限の礼を尽くす事すら拒む件を猫のせいにする。


 ふつふつと甦る怒りを滾らせ、文句の一つでも言おうと意気込むベルナであったが、ふと黒猫の視線に気付く。


 何故か高い知性を感じさせる眼だ。こちらを真っすぐ射貫いてくる。


 心なしか、ベルナが敵意を《万紫千紅カレイドスコープ》にぶつけようとした瞬間、黒猫からただならぬ殺意を感じた。


 ベルナを、主の敵と断定したのだろうか。目力がすごい。虹彩の色で一瞬盲目の猫だと勘違いしそうなになったが、白ではない。その瞳は銀色だったのだ。特別な種の猫だろうか。


「コホン。《安息の地エルピス》のギルドマスター、ギルフィーナ・レオン・ルミエールです」


「……噂はかねがね、《万紫千紅カレイドスコープ》。此度、冒険者管理局より派遣させて頂いた、ベルナ・グイドニスでございます」


 出来るだけ平静を保ち、ベルナは応答する。


 怒りで我を忘れたら、それこそこの一介の冒険者の術中にハマる。


「ようこそ弊ギルドへ、グイドニスさん。歓迎用の、ささやかなパーティーも二階で用意してますよ」


「……それは、お心遣いありがとうございます」


「えっと、ちなみに、グイドニスさんは純粋の人間ヒューマン種ですよね?」


「……?ええ、そうですが」


「良かったぁ。チョコレートケーキも作ったから、犬の獣人の血統が入ってると毒になってしまいますから」


「ッ……クッ……」


 我慢。我慢だ。


「わッ……わッ……」


「……?ワンワン?」


「ッ!私をッ!バカにするのもッ!いい加減にしてください!」


 何が、ワンワンだ!国家の犬とでも言いたいのか?!


「わわ……け、決してそのような意図は……ごめんなさい」


「ふぅー……ふぅー……」


 とこまでも煽り立てる《万紫千紅カレイドスコープ》にとうとう堪忍袋の緒が切れ、大声を出してしまうベルナは肩で息をしている。何故か突然自分がどうしようもなく惨めに感じて、涙が溢れそうになるが、ベルナは堪えた。


 偉いぞ、ベルナ!犯罪者に負けるな、ベルナ!国家権力ってもんを分からせろ、ベルナ!


 心の中で己を鼓舞し、どうにかメンタルを保たせる。


「歓迎など不要でございます。《安息の地エルピス》の冒険者の皆様と、馴れ合うつもりもございません。粛々と、国から任された仕事を完遂するだけです」


 懐から文書を取り出し、高らかに掲げる。


「冒険者ギルド《安息の地エルピス》には、犯罪者ギルドブラックギルドの嫌疑がかけられております。その真偽を判別しに参りました」


 敢えて顎を高くし、傲慢貴族のステレオタイプのような姿勢を取るベルナに、闇妖精ダークエルフはわざとらしく両手をすりあわせ、小物のチンピラの様な仕草を見せた。


「い、いやぁ……そんなに怒らないでください。誤解なんです、本当に」


 今にも「お貴族さまこちらを……」と言い出しそうな仕草に、ベルナの若き血管が臨界点を迎えそうな感触がした。お主がワルなのははなっから分かってる。


 冒険者管理局の赤々とした印が押されている文書を見ても、《万紫千紅カレイドスコープ》はそのふざけた態度を変える気はないようだ。

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