2.新入社員歓迎ツアー-2

 綺麗な形をしている眉を気だるげに曲げながらも、妹はハンカチで私の額を拭いた。この二十分で五度目だ。冷や汗が止まらない。


「だ、大丈夫かなぁ……緊張するな」


「……しっかり。本当に一国一城の王としての自覚はあるの?」


 思わず漏らした私の弱音に、妹は呆れた表情を返した。

 

 場所はギルドマスター室、時間は早朝。

 冒険者ギルド《安息の地エルピス》の発起人にして最重要責任者である私達二人は国からの使者を待っていた。


 私こと、ギルフィーナ・レオン・ルミエールは、異世界転生してからおよそ五年が経った。

 今度こそ理想な先生になってやろうと意気込む私であったが、当初半日も経たないうちに途方に暮れていた。


 ファデラビム、治安悪すぎ問題。


 日本で生活していた自分がどれ程恵まれていたかが分かる。異世界の学校に就職どころか、一分一秒生き長らえる事が果てしなく困難だった。


 あの夜、涙を流しながら地べたを這っていた私が、暗く薄汚れた路地裏で傷だらけの小さな女の子に出会っていなかったら、今は多分白骨死体かどこぞの豚親父の性奴隷のどちらかだろう。


 色々あって、女の子とは相棒となり……家族となった。

 私の愛おしい妹。この世で最も信頼できる人物。

 私などよりよっぽどしっかりしていて、そして何より……魔法が使えるから、私の身を守ってくれた。


「お貴族様って何飲むんだろう。お酒は流石にダメだよね?」


「そんな心配より、ボタン」


「む?」


「はぁ……こっち来て」


「あわ」


 手を伸ばし、妹は私が着ているスーツジャケットの襟を掴み、ぐいと彼女の方に引っ張った後、私の着こなしを直し始めた。


「……胸大きいんだから気を付けなさい。ぱっつんぱっつんならボタンを外す。じゃないと形が丸わかり」


「ごめんね……いつまでも自覚が足りなくて」


「本当よ。女の子なんだから注意しなさい」


 意外の極みであったが、このファデラビムにも冒険者なる職業が存在しており、犯罪に当てはまらない仕事もあった。


 世界を構成する力のシステムは昔やり込んだMMORPGと酷似していた。経験と発想力を使い、妹と二人で冒険者になり、力を付けた。


 生きる事に対し少し余裕が出て来た私は初心を思い出し、冒険者ギルド《安息の地エルピス》を立ち上げた。

 願わくは、このギルドが傷付いた子が一息つける安らぎの港とならん事を。


 そしていつの間にか、私の周りには素直でかわいい教え子達が囲んでくれていた。真心で誰かを抱きしめれば、暖かさは回り回って自分に帰ってくるのだ。

安息の地エルピス》は今や私の新たな魂の故郷。ここに住むかわいい教え子達と妹は、私の宝物だ。


 そんな宝物に今、危機が迫っている。


「まさか国から監察員が派遣されちゃうとはね……うち程善良な冒険者ギルドもそうはいないのに」


「…………………ん」


 迫りくる危機とは、国からの一通の通達文であった。


 その無法地帯さ加減で時々忘れるけど、ファデラビムはアドヴァンス冒険者の国という国の領土の一つであり、我々冒険者は基本冒険者管理局という内務省社会局に似たサムシングによって管理されている。


 確かに、非常に不可解な事実の一つとして、この小市民な私が「マフィア組織のボス」と誤解された事があったし、最近ファデラビムを歩いていると道行く通行人が目を合わせてくれないし、《安息の地エルピス》はやべー奴らが集う犯罪者ギルドブラックギルドという心外オブ心外な、根も葉もない噂は聞いた事がある。


 だが、国がそれを信じるとは思わなかった。


 教え子達は、確かに時々過激な言動をする。うーんこれはちょいと理解に苦しむな?というムーブをかましてくれたりもする。でもそんなの文化の差の範疇だ。皆基本的にいい子である。


 あらぬ誤解で、ギルドのライセンスが国に取り上げられたら一大事だ。

 行政システムというモノは純然たる恐怖。公務員だったから分かるんだッ!

 うちは白である証拠をそろえて上に上訴しても、ライセンスが帰ってくるのは何時になるか分かったモノではない。

 その間にかわいい教え子達と妹はご飯が食えなくなるじゃない。


 そう思うと居ても立っても居られず、私は国からの使者を歓待する計画を立てた。


「……これ、そんなに似合ってない?」


「アンタがそれでいいなら、好きにしたら?」


「もっとはっきりとした意見が欲しいなぁ」


「ならアタシが準備したワンピース着て」


「えぇ……やだよぉ」


「わがままばっかり」


 お偉いさんとの会談には正装。正装と言えば、やはりスーツである。


 この機会がなかったら、私はずっと断層ヴォイド(この世界におけるダンジョン的な場所)産の、性能以外考慮しないとするクソダサ装備で生活しているかもしれない。

 妹や教え子達が選んでくれたフリフリのかわいいやつも何十着もあるのだけど、未だに心理的な抵抗があるので、いきなり正式な場でそれを着るのは憚れる。


 今の私は女性の体になったのだから、女性には女性の正装があるだろというツッコミを受けるかもしれない。

 でも、私はスーツが一番落ち着くのだ。

 日本で生きていた時の人生の半分以上スーツで身を包ませている。スーツがあれば、お役人さんの前でも緊張が緩和されるのであろう。

 言わば私の、日本人としての戦装束だ。


「こういう衣装が欲しい」と教え子達にスーツの特徴を伝えると、天人エンジェル族の生徒であるグレちゃんは何故か小悪魔な笑顔で「良い考えだと思います」と調達してくれた。


 歌って踊れるスーパーかわいい冒険者アイドルのグレちゃんのお墨付きなのだ、間違いない。彼女の判断は頼りになるのだ。


 グレちゃんが見繕ってくれたスーツに袖を通し、鏡の前でえっへんと満足する。なぜか妹に白い目で見られ、いつもの溜息を吐かされた。いったい何が気に食わないのだろう。


 確かに、今の身長と外見からして、無理して大人ぶろうとする子供に見えなくもないけど、グレちゃんは満面の笑みでサムズアップしてくれた。妹が厳しいだけ、と私は納得した。


「……来たよ、フィーナ」


「わわ!えっと、こうよね?こう座る?」


「しっかりって言ったでしょ」


 コンコンとノックが聞こえる。

 私は深呼吸をし、今の自分に出来る精一杯の、朗らかでフレンドリーな声を出した。


「どうぞお入りください」

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