03 夕方の街でカレーの匂いをふりまく仕事

 今回は、お相手の方の指定のガレージに赴いた。


 ガレージは思っていたよりも広かった。私はこういったモノの類いには疎いのだが、ホームセンターの工具売り場にでも迷い込んだのかと思うほど壁一面に工具が並んでいる。


 「俺、昔から特撮ヒーローに憧れてましてね」

男性は笑った。一瞬彼の意図が分からなかったが、もう一度ガレージの中を見回して「あぁ」と納得した。

「ははあ、確かになにかに似ていると思ったら、特撮ヒーローの味方の博士のラボですね」

「でしょう」


 男性は、登山メーカーのTシャツに、履き慣らしたジーンズ姿で私を出迎えてくれた。見た目の印象は、「快活で爽やかな好青年」そのものである。よく見ると、首や肩の筋肉がよく鍛えられている。後から気づいたが、このガレージには工具の他に筋トレ用の大きなマシンもいくつか置いてあった。

「工具、こんなに沢山あって迷いませんか」

「結構集めちゃったなーとは思いますけど、結局全部必要なんですよ」

「それはこう、何かを作るためにですか」

「作るのもありますけど修理とか調整ですね。自分の機械を人に任せるのあんまり好きじゃなくて。どんな機材も、自分で好きなように調整したいんです」

「ははあ器用なんですね」

「いやいや」


 さて、写真はNGとのことだが、描写することは許してもらえたを私はまじまじと眺めた。


 一見すると、ごく普通の乗用車にしか見えない。

 ガコンッと開けたトランクのなかに、その装置はあった。形としてはただの銀色の箱とのように見える。

 もしも「これはどういう機械でしょう?」というクイズが出されたら、大半の人が唸りながらこう答えるだろう。

「うーん、加湿器?」

だとか、

「エアコンの室外機?」

だとか。


 まじまじと機械を眺める私に、男性は茶目っ気たっぷりに言った。

 「ちなみに、一応これ違法な仕事じゃないですからね」

「存じています。国民の食欲を増進させること……が目的だとうかがっています」

「そういうことなんです。やはり、生きるということは食から。みんなご飯を食べよて元気に生きようね運動、ってトコロなのかな。世の為人の為ですよ」

「ははあ、なるほど。ではそのぉ、夕方になるとこのガレージからお仕事のために出発されるわけですね」

「そうですね。大半の人が一日の仕事を終える。そのタイミングで、この装置を噴霧するわけです。これ結構タイミング重要でね。早すぎても効果がないし、遅すぎるとスーパーの特売の時間に間に合わないでしょう。冬場は日没の時間なんかも計算してますよ」

「なるほど」


 私はひとつ尋ねてみた。

「ところでなんでカレーなんですかね」

男性は筋肉質の首をタオルで拭いながら、けろりと答えた。

「深い意味はないみたいですよ。俺はよく知らねーけど、別の担当地域では焼き魚の匂い担当してるやつがいるって聞いたことあります」

「あぁー焼き魚。あれもね、結構ね、ありますよね。仕事を終えて町を歩いているときに、ふいに焼き魚の匂いがすること」

「あと肉じゃが担当とかもいるらしいし。さてと。じゃ、試運転してみます?」

「いいんですか、ありがとうございます」


 そう、試運転。職権乱用と言われながらも、私はこの職業を取材するとなってから、これが楽しみで仕方なかった。

 男性は車のエンジンをかけた。そして、運転席で何事かのボタンをいじった。


 ぷしゅ、という音がトランクから聞こえた。

 微かに、さきほどの銀色の箱が蠕動している低い音が鳴り始める。


 やがて。

「あぁっ」

私は思わず声をあげた。


 なんと、かぐわしいカレーの匂いだろう。その場で呼吸をしているだけで、ジューシーな玉ねぎやごろごろの肉やしっとりしたジャガイモの存在を瞼の裏に思い描く事が出来る。私は、口いっぱいによだれが満ちるのを感じた。

「あのぅ、ありがとうございます。なるほど、これは確かに、晩御飯をおろそかにできなくなりますね」

「でしょう」


 男性は「珈琲を淹れますね」というと、ガレージの壁際にあるテーブルに向かった。よく見ると使い込んだキャンプ用品が並んでいる。インスタントコーヒーをいれる手順にも、何か彼なりの儀式めいた法則がありそうだった。

「ところでこのお仕事を始めたきっかけはなんだったんですか?」

私が何気なく尋ねると、男性は湯の調子を見ながら答えてくれた。

「うーん、俺どっちかっていうとこだわり強い方らしいんですよ」

「らしい、とは」

「自分ではあんまり思ってなかったんですけど、でも周りに言わせるとこだわりの塊らしくって」

「ははぁ」

「前の仕事はどちらかといえばチームワークが重要視される仕事で。で、俺、友達作るのは得意な方だったんで、いけると思ったんですけどね。なんか仕事になるとダメっすね。俺にとっての仕事って、大勢で何かをするより一人で突き詰めて没頭したいんだなって。いや、趣味のキャンプとか旅行なんかは友達とか家族とか皆でワイワイするの好きなんですけどね」

「なるほど」

私はガレージの中を見回す。彼が彼の眼で選び、大事に並べた工具の砦。彼の夢見る理想のヒーローと、汗にじむ現実的な使い勝手の良さが凝縮された空間。そこには今、カレー改めコーヒーの匂いが満ちていく。


 私は彼が夕日の沈む街に吸い込まれていく様を想像した。一人クルマに乗り、誰と話すでもなく街を徘徊し、誰に知られるわけでもない仕事。だが、彼はそれこそが自分のあるべき場所なのだと言う。


 「いいですね」

私はなんとなくそうこぼしていた。

「え、何がですか」

「あ、いいえ。夕焼けの街にカレーの匂いっていいですよね」

「ああ、いいですよね」


 男性はにやりと笑う。

「まぁ俺、ハヤシライス派なんですけど」


 それが彼の本気なのか、それとも爽やかな彼の茶目っ気なのかは夕暮れの境目のように曖昧で、よく分からなかった。

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