02 カラオケで懐かしい歌を歌う仕事
「こんにちは、よろしくお願いします。あ、こちらに座ったらいいですか? いやあぁ今日は暑いですね。私ね、趣味は身体を動かす事なんですけど汗っかきで。ははっ失礼扇子はどこやったかな」
見た目は、なんともごく普通の中年男性である。
中肉中背、ラフな素材のシャツを着ていて、目元のシワに優しそうな印象を受ける。
「今回は取材を受けていただきありがとうございます」
「いいえ、私もなかなか話す機会はないことですから。一般に知られていないバイトですし」
では早速、と私はボールペンの芯を出した。
「カラオケで懐かしい歌を歌うお仕事……ということですが」
私が問うと、男性は頷いた。
「はい、その通りです」
「いやーそんなお仕事があるんですね」
「まああまり知られていないマイナーなアルバイトですから」
「なるほど。ところでその、なぜ懐かしい曲を歌うとお金になるんでしょう? 雇用の目的のようなものはいったい」
「それは、カラオケ店に居る皆さんに『カラオケの時間』を充実してもらう為なんです。盛り上げ役ですね、ええ」
「は、はぁ……えーとでも、確か取材によれば……一人で歌われる、とか」
困惑しながらの私の問いに、男性はいたずらっぽく笑って言った。
「ええ、一人です。一人カラオケですね」
「一人カラオケで、盛り上げ役……?」
「解せない、というお顔ですね」
「いやすみません、正直解せないです。失礼ですが、その場合ってこう……盛り上げ役としての役割というのはむしろ、そのカラオケで盛り上げたい部屋に、直接入らなければ意味がないのではないですか? それでこう、プロ並みの歌唱力で人々を魅了する、とでもいうような。或いはとんでもなくタンバリンやマラカスが上手とか」
私の不躾な質問にも、男性は笑っていた。
「いやいや、おっしゃる通りですよ本当に。私も最初は、なんで私が一人で懐かしい歌を歌うだけで他の部屋が盛り上がるのかなと不思議だったんです」
「いや、実際不思議ですよ」
「でもこれって、人間の謎の心理なんですよね」
「謎の心理?」
「私もはじめはいったいどういうことなのかはわからず、ひとまず一人で入室し、懐かしい歌を歌っていました。懐かしいとはいえ、私の世代からすると青春真っ盛りの頃に流行っていた歌なんですが」
「はい」
「メロンメロンパビリオンガールズってご存じですか。いや分からないかな、世代が違う」
「は、すみませんちょっと詳しくはありませんが、昔のアイドルでしたよね。緑の丸い衣装の」
「そうです。そのね、メロンメロンパビリオンガールズの曲にね、『完熟もぎたて海でメロン』って曲と、そして同じ作曲者によるシリーズで、『冬のメロンを愛してね』って曲があるんです。まぁメロンメロンパビリオンガールズの、代表曲と言っていいほど有名でね」
「なるほど。シリーズモノの楽曲って、歌詞やメロディの意味の繋がりの持たせ方とか、編曲のアレンジの共通点とかがエモかったりしますよね」
「まさしくそういうことです。でね、私がある日『完熟もぎたて海でメロン』を歌っていたらね」
「はい」
「聞こえてきたんですよ、隣の部屋から」
「ま、まさか」
私は息をのむ。男性はコクコクと頷いた。
「そうです。『冬のメロンを愛してね』が、聞こえてきたんです。まるで、海メロンを歌っていた私に対抗するみたいに」
「は、はぁあ……ああ、あああー」
合点が、脊髄を通り過ぎる。私は思わず膝を打った。
「あります、ありますね!隣の部屋から流れてきた曲に影響されて、そういえばあの曲歌いたかったなァ~って思い出すこと!」
男性は満足げにうなずいた。
「そうなんです。私もそのとき、気づきました。なるほどこういうことか、と。つまり、私が懐かしい曲を歌うことで、周囲の部屋で歌っている皆さんの、あるいはドリンクやトイレに立って廊下を歩く皆さんの、歌のレパートリーの分野が刺激されるんです。そして、選曲の選択肢が充実して、よりカラオケや宴会が盛り上がるんですよ」
「わかります。なるほど、なるほどぉ」
「こうして皆さんのカラオケ時間が盛り上がってくれることが、私の仕事のやりがいです」
「なるほど、ははぁそれは楽しそうだ」
男性はその後も、男性自身が若かった頃に通ったアイドル歌手の思い出や、カップリング曲の魅力などを話してくれた。
そして最後に、男性は私の求めに応じて「完熟もぎたて海でメロン」の1番を歌ってくれた。
「どうです?」
「いやーいい曲ですね。なるほど、大ヒットしたのもうなずけます。それにとてもお上手ですよ」
「いやいやそんなそんなハッハッハ」
私は最後に、何気なく尋ねた。
「そういえば、普段はカラオケでバイトされてるんですよね。休日の息抜きも、やっぱりカラオケなんですか?」
「いえ、さすがに違いますね。私、実は趣味はもっぱらアウトドアな方でして」
「なるほど。あ、そうかそういえば日頃から身体を動かしていると言ってらっしゃいましたね。アウトドアな方と言いますと……」
「はは、登山なんです」
「おぉいいじゃないですか。私の知り合いにも居ますよ、登山が趣味という人。やはり、醍醐味は頂上ですか、それとも山小屋での食事ですか」
「そうですねぇ」
男性は楽しそうに微笑んだ。
「やはり、登った達成感ですね。一つの山を登り終えた後にね、連なる山々に向かって『やっほー』と叫んでみることですね。するとやっほーと声が返ってくる。これが楽しい」
「なるほどいいですね。これからも、どうかお仕事頑張ってください」
男性は『完熟もぎたて海でメロン』を口ずさみながら、軽い足取りで去っていった。
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