架空のすきまで働く皆さん
二八 鯉市(にはち りいち)
01 信号が青に変わった瞬間歩き出す仕事
「あの、待ち合わせの方ですか」
「あっどうも本日はよろしくお願い……あれ、結構お若いんですね。失礼ですが今、おいくつですか?」
「大学生で二十歳です」
「はーなるほど。あの、他にも学生のバイトさんって多いんですか」
「そうですね。でも結構老若男女色々ですよ。この仕事、誰でもなれますから。健脚、ってことだけが大事みたいで」
「ははぁ」
待ち合わせ場所である喫茶店に現れたのは、清潔感のある若い女性だった。大きなロゴの入った白いTシャツに、軽い素材のロングスカートを着ている。
二十歳とのことだったが、大卒の新社会人と言っても通じるほど大人びて見える。それはただ、化粧や装いが整っているからだというようには感じなかった。何が彼女を大人っぽく見せるのだろう。
私は愛用の万年筆を手にした。
「では早速いいですか。今のバイトに応募したきっかけなど」
「きっかけは先輩からの紹介です。友達の友達ぐらいの間柄だったんですけど。どこかから、私が中学高校と陸上部だったっていうのを聞いたみたいで。体力と足に自信ある? って聞かれまして」
「ほう、体力がいるんですか」
「結構いりますね。例えば、延々と歩き続けるだけだったら結構なんとかなるんですけど、歩いたり立ち止まったりを繰り返すって意外とハードなんですよ」
「ははぁ」
私は率直に聞いた。
「あの、横断歩道で赤から青に変わった瞬間歩き出す仕事……ということですが」
彼女は素直に頷く。
「そうです」
「それって結局あの、どういう」
彼女はころころと笑った。
「でも、そのままですよ。赤から青になって車が来てないことを確認したら、歩き出す。これだけです」
「それってお仕事になるんですか」
「なるみたいですね。というか、結構重要な役目みたいなんですよ」
「というと」
「結構今って、赤信号の最中にスマホ見てる人多いじゃないですか。後は音楽聞いてたりとか」
「まぁ大抵そうですよね」
「そうすると、赤から青に変わったタイミングって気づかない人多いんですよ。でも人間って不思議ですよね。誰かが歩き出すと、その人の気配についていくんです」
彼女はアイスレモンティーのグラスのふちをなぞった。彼女が見つめる窓の外には、一定の周期で歩いては止まる、横断歩道の人の群れがあった。
「私も最初、そんな上手く行くかなって心配でした。誰もついてこなかったらどうしよう、とか。でも、やってみると結構うまくいくんです。私が歩き出すと、誰かが歩き出す。最初は緊張してイヤだなって思ってたけど、経験を積む内にタイミングとか分かるようになってきて。そうやって大人数を先導すればするほど、自信になっていくんです。五人より十人、十人より二十人。三十人ぐらい一気に先導する時は、もう快感ですよ」
「ははぁなるほど」
横断歩道で赤から青に変わった瞬間歩き出すというと単純な仕事にも思えるが、実は意外とシビアなのだという。
「エッ、歩合制なんですか」
「そうなんです」
彼女は僅かに顔を曇らせた。だがすぐに、スマホを取り出しアプリの画面を見せてくれた。
「このアプリで評価が決まってそれが報酬になるんですけど、ちょっとでも赤信号の時に動いていたらダメなんですよ」
ここの判定は、思っているより厳しいらしい。彼女はペナルティについて話してくれた。
「私と同じ時期ぐらいに始めた人が、結構ペナルティ食らってて。まだ赤信号の範疇なのに、慌てて歩き出しちゃうのが続いたみたいなんですよね。それで、二週間ぐらいかな……結構すぐ辞めちゃったみたいで。ウーン、この仕事ってただ青信号になったら歩き出すだけに思えるんですけど、結構性格の向き不向きってあるみたいです」
「ははぁ」
「あと、大勢牽引ボーナスっていうのもあって」
「ボーナス?」
「その地域の時間帯の混み具合とか、先導した人数にあわせてボーナスが変わるんです」
一度に何人の人間を安全に先導できたか、というのが、重要になるらしい。
「たまに、横断歩道の対面でね。あ、同じバイトの人いるなって分かるんですよ。なんで分かるかっていうと、同業者の気配……なんですけど。そのときは妙な対抗意識燃やしちゃったりして。あたしの方が沢山牽引してるぞ、なんて」
彼女はくすくすと笑う。
彼女の話は興味深く、約束の一時間はあっという間に過ぎた。
私はこんな質問をしてみた。
「このお仕事で大変なことは?」
「あーそうですねぇ」
彼女は少し迷ってから、「あぁ!」と声をあげた。
「ちょっと稼ぎたいなって思って行った地元より大きな街で、青信号にかわるタイミングが分からない時ですね。もうそろそろ信号変わるかなーって思ったらまだ変わらないの」
彼女の明るい笑顔に釣られ、私もナルホドと頷きながら微笑む。
別れ際、今後の抱負を聞いた。彼女は、魅力的な笑顔のまま答えてくれた。
「そうですね。いつか、年末年始辺りの大混雑を任せてもらえるようになりたいですね」
「年末年始……それは混みあいそうですね」
「大都会の年末年始だと、ベテランの人しかバイト入れないらしいんですよ。あたしもいつか、それぐらいのベテランになってみたいですね。ふふ、それに年末年始の手当、結構高いらしいんですよ」
「それは……大変そうですけど、確かに重要な役目ですもんね。私だったら緊張して難しいかもしれない」
「ふふ。何事も自信です。大勢を先導する自信、あとは健脚だけですよ」
彼女はロングスカートの上から、自慢の脚をぽんぽんと叩いて笑った。
見た目は柔和な彼女だが、話を聞いている内に結構闘争心のある方なのだと実感した。なるほど、大衆を先導する意思の強さが、彼女を年齢よりも少し大人っぽく見せていたのかもしれない。
私は最後に尋ねた。
「ところでいわゆる普通のコンビニや接客業より、上手くいけば……上手くいけばですが、沢山稼げる印象です。そのお金は何に使うのか聞いてもいいですか」
彼女は輝く笑顔で、少しはにかみながら言った。
「陸上部だった頃から、スニーカーを集めるのが趣味なんです。ふふ、まあ集めたスニーカーが大好きすぎて、履けないんですけどね」
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