第12話
スクーグスチルゴゴーデン墓地、頂上。
葉の無い木々が生え、なだらかな傾斜を埋めるように墓地が立ち並ぶ。
墓には一本一本丁寧にヘルヴァッキが添えられ、開花したヘルヴァッキから放たれる光が墓地を明るくしていた。
地上へつながる洞口部から、月明かりが漏れている。地上では雲の隙間から射す太陽の光を天使の梯子と呼ぶが、ヘルヘイムではこの光を悪魔の梯子と呼んでいる。
その悪魔の梯子に照らされた一本の大樹。その根元に彼女が座っていた。
遠目で見て一瞬、お得意様だと分からなかった。
今日のお得意様はいつもの高級なドレスではなく、黒のブラウスにズボンという、かなり質素な装いだった。彼女は突っ伏して座り込み、片足をだらんと伸ばしている。墓地と悪魔の梯子という環境も相まって、彼女が一つの芸術品であるかのような錯覚を覚えた。
息を整え、彼女に近づく。
「あの」
突っ伏している彼女の肩が微かに揺れ、ゆっくりと面を上げる。その瞬間、目の前にいるお得意様と、ゴンドラで見た悪夢が重なる。私の身体に緊張が走った。
「あ……」
彼女の目に涙は無かった。月光を浴び、白い皮膚がまぶしすぎるほどに透き通っている。しかしその美しい皮膚に、無数の古傷がついていた。明るい場所で見なければ分からないほど薄く、小さな傷跡。
年頃の女にあるはずの無いその傷は、彼女の本来の姿をありありと表していた。
「貴方は……、花屋の」
彼女は言いかけて、私の呆然とした顔を見て視線を落とした。そして彼女は苦笑しながら「すみません」と言う。
「今日は化粧をしていなくて。傷だらけの顔なんて、怖いですよね」
私ははっとして、首を横に振る。
「そんな…とんでもない。お綺麗です」
「気を使わなくてもいいんですよ」
「いいえ気など使っていません!本当に、本当にお綺麗です!女神にだって負けていません!」
勢いで出た本音に、はっとした。これではまるで愛の告白だ。私は赤くなった顔を手で隠すように覆った。しかし私が言った事は事実だ。傷跡さえどうでもよく思えるぐらい整っている顔だし、何より月明かりがよく似合う。
手を広げると、指の隙間から彼女の顔が見えた。
「そんなに必死に言わなくても」
お得意様は朗らかに笑っていた。人間らしい、温かみのある表情だ。
初めて目にする彼女の笑顔に、私は身体中の毛穴が開くのを感じた。これまで美人だなと思う人は何人も会ってきたが、彼女は別格だった。
彼女の魅力は顔だけではないのだ。彼女の一挙一動にはたとえようのない緊張感がある。きっと隙の無い動作がそう感じさせるのだろう。
「ブルーノさんへ?」
お得意様が私の手元を指さす。バスケットの中で、開花したヘルヴァッキが輝いていた。
「いえ、これは……」
私はバスケットの柄をぎゅっと握りしめる。
――これは、私が盗んだ花なんです。
この期に及んでその一言が言葉にできない。遠のいていた罪悪感が迫りくる。
亡くなった死者の魂が、私を指さしている。そんな気がした。
黙り込んでしまった私を見兼ねて、お得意様が口を開いた。
「ブルーノさんも、戦死されたんですよね」
祖母から聞いたのだろう。私は縮こまった身体で、こくりと頷く。するとお得意様が「ヴァルハラというものを知っていますか?」と訊いた。
「戦死した者が行く館…ですよね。神が生きていた時代にあったとかいう」
私が答えると、お得意様は「ええ」と言って頷いた。
「ヴァルハラへ送られた戦死者は、来る終末の日までそこで過ごさなければならない。私達がいるこの墓地も、そういった神話の名残で区別化されているんです。だから貴方のおじいさんもここにいらっしゃる」
なるほど、だから他の墓地とは違う扱いなのか。
腑に落ちてぼうっとしている私に、お得意様が隣へ座るように促した。
「今ではその伝統も変化して、せめて太陽に近い場所で眠らせてあげようと、こうして山頂に埋葬されるようになったんですけどね。しかし家族といえどここに入る事はできない。入ってはならない。これは戦士の崇高な死を守るためのルールなんです」
彼女の隣に腰掛ける。彼女は少し微笑んで「少し私の話を聞いてもらっても?」と問いかけた。
私は「もちろん」と言って、姿勢を正す。
「私が所属していたチームに、サニング・ヘドマンという男がいました。彼はいつも明るく元気で、どんな苦境にあってもめげないタフガイでした。チームの士気を上げるのが上手で、今回の任務においても彼はそれを遺憾なく発揮しました。誰もが彼を信頼していて、……私自身も、そんな彼が心の支えだったんです。でも彼は……」
彼女の喉仏がぐっと下がる。
その先を言えない理由は、私でもわかる。視界に広がる無数の墓地。今いるこの場所がそれを説明してくれていた。
「……亡くなられたんですね」
私が言うと、お得意様は数秒置いて、小さく「はい」と頷いた。
「私はサニングの名誉勲章を渡しにサニングの奥様に会いに行きました。正直、勲章を投げつけられ罵倒されると覚悟していました。けれど奥様は私の往訪を快く受け入れてくださった。どうやら私の事をサニングから聞いていたようで、奥様は「やっとお会いできた」と言ってくれた。――しばらく話した後、奥様はサニングの日記を私に見せてくれました。彼と出会ったのは2年ほど前で、日記にはそのあたりから私への称賛が書かれてありました。彼女は類稀なる才能を持った戦士だ、なんて事を書いてくれていて、うれしかった」
彼女はうっすらと微笑んでいる。私もつられて頬がほころんだ。
しかしその後すぐに、彼女の顔から笑顔が消えた。
「……けれど、最後のページを見て言葉を失いました」
彼女の声ぐっと低くなった。
恐る恐る「何が書かれていたんですか?」と訊くと、お得意様は目を伏せた。
「――死にたくない、と」
丘の底から風が吹き上がった。
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