第11話

「おばあちゃん!あの…私…」


 花を盗んだ。そう続けて言おうとしたが祖母に「分かっているわ」と遮られた。


「用意していたヘルヴァッキが無かったのを見て、すぐにィルちゃんが盗んだと分かったわ。その前から様子がおかしかったんだもの。お得意様には代わりに置いてあったイェリヌムをお出ししてお帰りいただいたわ」


 祖母は険しい顔でそう言った。

 ヘルヴァッキを盗んだ時、私は代わりにイェリヌムを置いていった。私が取り違えたのだとすれば祖母の非にはならないと思っての事だったが、祖母にはすべてお見通しだったらしい。

 祖母の口調は淡々としていたが、その言葉には厳しさがあった


「ヘルヴァッキが供花だとは知らなかったの。でも盗んだ事は明らかに…私が悪い」


 胃がキリキリする。自分と向き合う事が、こんなに苦しいものだとは思わなかった。絞り出るような声で「ごめんなさい」と言うと、祖母はいつもの穏やかな顔に戻った。


「……私はこれから音楽会の人達と合流するの。ィルちゃんはこれを持って先へお行き」


 祖母はそう言って、名刺ほどの大きさのカードを渡してきた。そのカードには複数の扉を持つ城と、そしてその城を囲う狼と鷹が描かれている。

 裏返すと、「入場許可証」という文字が書いてあった。私は目を丸くした。


「どうしてこれを……」

「貴方のおじいさんもそこにいるのよ」


 祖母の寂しげな声を聞いて、はたと顔をあげる。


「ブルーノはィルちゃんの事、本当に可愛がっていたのよ。貴方が産まれた時は大喜びして、バーディへすっ飛んでいった。ィエリヌという名前を提案したのもおじいさんなのよ」


 私が「えっ」と小さく声を漏らすと、祖母は胸元にある十字架を優しく握った。


「あの人は戦争を知っているからこそ、これからを生きる人たちには幸せであってほしいと願っていた。――美しい未来を、どうかこの子に与えてください。そんな願いを込めて貴方の名前はつけられた」


 祖母の目にうっすらと涙が浮かんでいる。私は祖母を抱きしめた。


――ずっと、私が美しくなる未来を期待されているのだと思っていた。

 ここでもまた、私の心の反映があったのだと気付く。

 肩の荷が、すっと軽くなる気がした。


 祖母は涙を拭いて、私の身体を礼拝堂へと向けさせる。


「貴方はもう立派な大人よ。与えられたなら、与えられる側におなりなさい」


 さぁ、お行き。

 祖母は私の背中を強く押した。

修道女は許可証を受け取り、私を礼拝堂の脇道へと連れて行く。急勾配な坂に沿った水路には、ヘルヴァッキの花びらが流れていた。

 悠々と続く階段を見上げ、私は大きく一歩を踏み出す。

 階段を駆け上がる時、背後から讃美歌が聞こえてきた。


〈藁の死、冥府の川を下り、戦死者、理想郷の館へ入る〉


 石畳の階段はごつごつと不安定で、時折こけそうになる。鞄を階段の端に置き、ドレスの裾を膝まで上げる。


〈冥府の女王は恐ろしいか、醜いか。彼女は魂を支配する者〉


 ここには私以外に誰もいない。汗だくで息を切らし、膝を見せても、ここでは誰にも指を刺されない。たとえ誰かがいたとしても、今の私はこの醜態を恥ずかしいとは思わない。


〈後悔や嘆き、葛藤や痛み、すべてを飲み込む。それは全て冥府が請け負おう〉


 私は踊り場で息を整え、頂上を見据える。瞬間、バスケットにかけられた布が風で吹き飛んだ。

 露わになったヘルヴァッキは、淡い純白の光を放っている。

 私はそれを脇に抱え大きく息を吸い込んだ。冷たい空気が肺を満たしていく。


〈さぁその魂を神に委ねよう。赫々たる星、地上へ返さんその日まで〉


 私は長く続く暗闇の中をがむしゃらに走った。

 身体は、疲れているのに軽かった。

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