第9話
私が初めて接客したお客様は全身傷だらけの、まさに屈強というイメージがぴったりの男性だった。花屋に来るお客様にしては随分いかついな、と初めは思った。
しかし男性が「彼女に花束を渡したいんです。初めてでよくわからなくて」と言って頬を赤らめているのを見て、意外にも可愛らしい人だなと思い改めた。
会計をしている時、男の胸元にあったブローチに目が留まり、私は彼に問いかけた。
『素敵なブローチですね。彼女さんから頂いたものですか?』
すると男は驚いた顔をして、くすりと笑った。
『いいえ、違いますよ。あとこれはブローチではなく勲章です。世間的にはエンブレムと呼ばれているもので、協会の戦士は皆これをつけているんです』
『こらこらィルちゃん!接客するなら戦士様のエンブレムぐらいは知っとかなきゃ駄目よぉ!』
傍にいた祖母に叱られ、私は自分の世間知らずを恥じた。
真っ赤になった顔で頭を下げると、男は『いいんですよ』と言って朗らかに笑って許してくれた。
あとから祖母に聞いた話だと、協会というのは世界を守るために設立された国際組織で、戦士は世界を股にかけて害獣や災害等から私達を守ってくれるらしい。国がカバーできない問題を補い、その身を捧げて人類を救う。戦士というのはどこの国でも共通して敬われる存在であり、その中でも階級の高い戦士であれば、場合によっては国王にも匹敵する発言権を持っているらしい。
「全ての人へ輝きを」という言葉で改革を起こしたユーロ・ドル・ガッバァーナが最高階級の戦士であるということも、祖母から教えてもらった事だった。
私はその後、ユーロ・ドル・ガッバァーナが出したいくつかの自伝書を読み漁った。
〈私達にとって最も幸運であることは、美しい事ではない。女に生まれたということだ〉
彼女の名言の中で私が最も好きな言葉だ。
ばかすだらけでも、手が皸だらけになったとしても、女性としての人生を謳歌する事を諦めなかったのは、この言葉に出会えたからだった。
戦士というのは人々に勇気を与え、明るい未来へと導く。私はこれを機に、戦士の偉大さというものを痛感したのだ。
そんな偉大な存在が、今目の前にいる。
幼い頃、肩車をして遊んでくれたおじいさんが戦士だったとは、まさに青天の霹靂である。
スティッグさんは私の感情の機微を読み取ると、照れくさそうに笑ってみせた。
「もう引退した身だけどなぁ、そりゃ過去の栄光だよぉ」
そう言ってスティッグさんはエンブレムを懐にしまい、代わりに胸元にあったヘルヴァッキを私に手渡した。
「間違える事もある。失敗も後悔も、若いうちに経験しなきゃぁ、もったいねぇからなぁ」
あの新聞は、スティッグさんがすべてを見透かして差し出したものだったのだ。あえてその場で言わず私自身に考えさせたのは、私を思っての厳しさなのだろう。
私は煌々と光るヘルヴァッキを抱き、「ありがとうございます」と呟いた。
「でも…もう間に合いません。ここにゴンドラはありませんし…」
「何言ってんだぁ。ゴンドラならここにあるぞぉ」
顔を上げると、スティッグさんがにやりとして壁際に寄る。
するとスティッグさんの背後に小さな蜘蛛が大きな黒い塊となって何かを覆っているのが見えた。スティッグさんが木板をこつんと叩くと、蜘蛛は散り散りになって去っていく。
小さな蜘蛛に覆われていたそれは、月明かりを反射してキラキラと輝く。
そこにはちょうど一人用の、小さなゴンドラがあった。
緩やかな曲線が美しいゴンドラは、まるで童話に出てくる馬車を彷彿とさせた。
「戦士御用達の特急便だぁ」
ゴンドラの天井部についている行き先を記す部分が、カラカラと音を立てて回転する。そして数秒後ぴたりと止まった行先を見て、私は思わず息を吸い込む。
―スクーグスチルゴゴーデン墓地行き―
「さぁ、お姫様どうぞこちらに」
スティッグさんはそう言って、従者を思わせるようなそぶりで手を差し出した。
私はスティッグさんの手を取り、その老体を思い切り抱きしめた。
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