第6話


「ヤーコブ?……なんで彼の名前が出てくるの?」

「今朝ヤーコブ君がうちに来たんだよ。ィルがどこにいるか聞かれて、直ぐに出ていったんだ。てっきり今日はヤーコブ君と出かけているものだと思っていたよ」


 彼は確か、ついでにカーヌスクードの花屋に寄った、と言っていた。

 前日に実家を訪れたという事は、もしかして私にわざわざ会いに来たのだろうか。


「もしかして入れ違いだったのかしら。残念ねぇ。ヤーコブ君、見違える程ハンサムになってたわよぉ」


 母はそう言って意地悪な笑みを浮かべると、夕食の支度をしにキッチンへ向かった。


「ヤーコブ君も昔はやんちゃ坊主だったけれど、もうしっかりした男性だね。この紅茶も、ヤーコブ君が持って来てくれたものなんだよ」


 私は耳を疑った。

 私の好みのど真ん中の紅茶を持ってきたのがまさかヤーコブだったとは。彼は一体何を思ってこの紅茶を選んだのだろう。

 両親の生暖かい視線の意図は理解しているが、邂逅早々に私の容姿を詰った彼に一抹の期待など、持てるはずもなかった。


「昔の事は、もういいんじゃないのかい」


 父のこの一言で、過去の記憶が蘇る。


    ◇


『イェリヌですってよ、もっと似合う名前なかったのかしら』

『こんなに日差しが強いのに、日傘ぐらい買ってあげたらいいのにねぇ』

『見てあの顔。少ないのは可愛らしいけど、多すぎたらちょっと不気味よ』

『随分そばかすが多いのねぇ、可哀そうに』


 幼かった私に放たれた心無い言葉達。

 大人達のひそひそ声は、案外子供の耳に入ってくるものだ。

 人の少ないこの田舎町は噂話が大好きで、他人に興味があり過ぎた。バーディへ移り住んだ私達は彼女達の格好の餌食だったのだ。元々は若く美しい母を疎む声が多かったが、それはいずれ子供の私へと飛び火した。最初は誰の事を言っているのだろうと思っていたが、物心つく頃には矛先が自分に向けられている事を理解した。

 それに一度だけ、近所の内の数人に直接話しかけられた事がある。

 それは両親がちょうど外出していて、一人で裏口の水場で遊んでいた時の事だった。

 捨てられた大量のイェリヌムの葉を水面に浮かべていると、気づけば近所の婦人達が私を取り囲んでいた。心配そうな顔で「大丈夫?」と聞かれたのだ。

 不思議そうにしている私に、その人の内の一人がこう続けた。


『なんだか心配で。自信が無くても頑張っていれば良いことがあるわよ』


――お門違いにも程がある。

 私は自分に自信が無いだなんて一言も言ったことがない。そもそも未発達な子供に自信の向上を説くなんてどうかしている。

 心配という言葉を隠れ蓑にして、本人が知る必要の無い視点を押し付ける。

 自信を奪っているのはむしろ、そういう身勝手で無神経な言葉を使う貴方達のほうだ。

 大人になった今の私なら跳ね除けられるだろうが、幼かった私にはそれを事実として受け取ることしかできなかった。


 私が鏡を見られなくなったのは、この時からだ。

 自分の顔に自信を無くした私は、徐々に塞ぎ込み、学校にすら行けなくなった。

 皆が寝静まった頃、私は水場へ行き、自室の鏡を木槌で叩き割った。その頃の私には、最早自身の顔を見ることすら出来なくなっていたのだ。割れた破片に映る自分の姿は一層醜く見えた。

 ふと視線をそらした先に、付近に盛られていたイェリヌムの葉が見えた。

 白い斑点と、そばかす。捨てられたイェリヌムの葉は、私と同じだったのだ。


――私はいらない存在なんだ。

 生まれて来なければよかった。

 だって私は醜いんだから。


 そんな事をつぶやきながら、静まり返った夜に嗚咽を漏らした。



 そして事件は次の日に起こった。

 ヤーコブはおもむろに私の家の前に仁王立ちし、次の言葉をつんざかんばかりの大声で叫んだのだ。


『お前のそばかす、変!!』


 その後はもう滅茶苦茶だった。

 泣き叫びながら家を出た私は、ヤーコブと取っ組み合いになった。髪をつかみ、押し倒し、腕を振り上げ、もつれ込む。周りには人だかりができて、甲高い悲鳴が飛び交った。

 すると、箒を持ったヤーコブの母親がすっ飛んできた。


『やめねぇかこの馬鹿息子が!バーディの恥知らずに影響されてんじゃないよ!』


 薔薇園に怒号が響き渡った。

 私達は互いに引き剥がされ、ヤーコブだけが箒で引っぱたかれる。そして野次馬達は蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。ハッキリとした性格のおばさんの存在は圧倒的で、おばさんに楯突くような村人は一人としていなかったのだ。

 これを機に「恥知らず」と呼ばれた村人達は大人しくなり、私の噂話をする事も無くなった。


「彼を許してあげてほしいんだ。あれはね、きっとヤーコブ君も悪気があってやった訳じゃないんだよ。それに」

「分かってるよ」


 私は父の言葉を遮り、薄まった紅茶を飲み干した。


「許すも何も、恨んでないから大丈夫。あの一件で逆にヤーコブと仲良くなっちゃったんだから。それより私は…」


 その先を言いかけて、口を紡いだ。

 父に余計な心配をかけさせたくなかった。


「少し、自分の部屋に行ってくるね」


 不安げな表情の父を視界の端で捉えながら、私はリビングを後にした。


    ◇


 ベッドに腰掛け、ヤーコブと取っ組み合いになった時の事を思いだす。


『へへ、これでもう学校来れるなぁ』


 喧嘩があった数日後、ヤーコブは私にそう言った。

 おばさんに箒で叩かれた顔は赤く腫れあがってしまって、笑顔があまりにぎこちなかった。

 彼はわざと近隣住民に聞こえるようにして叫んだのだ。

 後から聞いた話だが、どうやら彼は私が鏡を叩き割るところを見ていたらしい。元々は学校に来るように催促しに家に忍び込んできたらしいが、私のただならぬ様子を見て、喧嘩を企て、おばさんの立場を利用したのだ。

 あまりに強引な手口だったが、ヤーコブのおかげで噂話は止み、私は再び学校へ行くことができた。

 その後私はヤーコブと仲良くなって、学校の帰りに、彼はいつも家まで送ってくれた。

 今思えば、噂話をしていた近隣住民から守ってくれていたのだと思う。


その後ヤーコブは学校を卒業すると、私に何も言わずに旅へ出た。

 もともと自由奔放な性格の彼だから特別気にしたりはしなかったが、本音はやはり寂しかった。

 卒業後私は家の仕事を手伝うぐらいで殆ど外に出ず、ヤーコブという親友が居なくなったのも相まって自室でぼんやりとする事が増えてしまった。

 それを見兼ねた両親が「もっと世間を知るように」という名目でヘルヘイムへの移住を提案した。それを聞いた時は驚いたが、私も成長しなければならないと思いそれを受け入れた。


 しかし現実は、仕事に疲れ果て、化粧もしなくなり、挙句の果てにお客様の花を盗んでしまっている。


「…何やってるんだろう、私」


 折角ヤーコブが会いに来てくれたのに、酷い事を言ってしまった。

 元々不器用な言い回ししかできないヤーコブの事だ。おそらく悪気があってあんな事を言ったのではないのだろう。

 リビングに戻ろうとして腰を上げると、サイドデーブルに手紙と大きな箱が置かれてあることに気づいた。


「誰からだろう…?」


 差出人の名前を見て、私は息を呑んだ。


〈差出人:ヤーコブ・ウィルソン〉


 震える手で横に置いてあった箱を開けると、壁掛けサイズの鏡が入っていた。急に映った自分の顔に驚いて、思わず体がのけぞる。

 恐る恐る鏡を見てみると、楕円形の鏡の淵には繊細な唐草模様が彫られてある。

 手紙を広げると、彼らしい乱暴な字が書かれてあった。


ィルへ


何も言わずに旅立つ形になってごめん。

母ちゃんにバレるとまずいから、こっそり抜け出すしかなかったんだ。

俺は今西のリーフにいて、知恵の泉っていうところに行こうとしてる。

酒場のおっちゃんが教えてくれたんだけど、あのおっちゃんは協会の元戦士らしい。情報量として1万Kr渡しただけで色んな事を教えてくれた。

世界は面白いもので溢れてる。

ィルに見せたいと思う物がいくつもある。

その中で先に教えたいと思ったものが見つかって、この手紙を書いてる。

その鏡は今いるカルマーっていう国で買ったんだ。

カルマーは〈太陽に最も近い国〉って呼ばれてるんだけど、そっちと価値観が全然違うんだ。

お前、自分のそばかすが嫌いだった言ってた事あったよな。

この国ではそのそばかすが「太陽に愛された証拠」なんだって。

こっちではそばかすが多ければ多いほど美人なんだ。

お前はそばかすが醜いって思ってるかもしれないけど、広い世界で見たらそばかすは綺麗なんだ。

誰にもお前を醜いと思う権利なんか無いんだよ。

だから気が向いた時でいいから、鏡を見ろよ。

お前よく日焼けしたくないからって日陰にいるけどさ、その事カルマーの人に話したら「暗いところにいたら、そばかすが見えなくて勿体ない」って言ってたぞ。

もし今以上に暗い場所にいたら、遠慮なく罵るから覚悟しとけよ!


PS.鏡はあえて包装紙には包まなかったんだよ~!引っかかったなばーか!


ヤーコブより


 腫れあがった顔で笑うヤーコブの顔を思いだす。


「どっちが馬鹿よ…」


 鼻の奥がじんわりと熱くなる。私は顔を上げて零れそうになった涙を必死に堪えた。


『やっぱ暗いとこが良いんだな』

『ヘルヘイムは美男美女が多いけど、暗かったら、関係ないじゃんか』

『暗いと綺麗に見えるって事』


 彼は私の容姿を罵ったのではない。ヘルヘイムにいる事が、私のそばかすを隠せる方法として確立してしまったのではないかという彼なりの心配だったのだ。

 私をよく理解している彼の心配は真っ当だった。彼の言葉を歪んだ解釈で受け取り逃げ出した私とは違う。けれど彼の言葉選びは本当に酷い。この手紙を読まなければ受け取り方が180度違ってくるのだから。

 しかしお得意様の哀れみに引っ張られ、彼の言葉を悪い方向に解釈した私にも責任があるのだ。明日の早朝に帰ればきっと彼に会える。その時にちゃんと謝って、紅茶と鏡のお礼を言おう。


――すっかり忘れていた。

 彼は他人の領域に土足でズカズカ入り込んで私を救う、友達想いな人だった。


 帰って給料を貰ったら、ヤーコブに何かご馳走しよう。カーヌスクードの大通りには美味しいお店がたくさんある。父におすすめのレストランを聞いておこう。

 鏡の入った箱を抱えて階段を軽快な足取りで降りていく。ヤーコブとの再会を想像し、ヘルヘイムに帰るのが楽しみになってきた。


 その瞬間、母の甲高い悲鳴が響き渡った。

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