第4話


 私達は焼却炉で暖を取りながら、しばらく話し込んだ。

 各国を飛びまわった彼の話は奇譚なものばかりで、聞き役に徹しても全く退屈しなかった。


「知恵の泉だと思って飛び込んだものが先住民のお風呂で追い掛け回されたぁ?」

「いや、お風呂じゃない。先住民の聖域だったんだよ。本当にあの時は死ぬかと思った」

「てんさいになりたかったのね」

「いいや俺はもう天才だから。…え、どっちの意味のてんさい?もしかして災いの方で言ってる?」


 一頻り大笑いした後、裏口のすぐ側にある小道を散歩した。小道の端には水路があり、反対側は赤い森で覆われている。街灯の少ないこの場所は、足元で光る小石だけが道標だった。


 落差工に突き当たると、人工的だった水路は自然とほとんど同化している。水路の脇にあった赤い森を見ると、なだらかな丘に添って針葉樹が並んでいる。すうと息を吸い込むと、森林の香りが鼻孔を抜けていった。


 お得意様は丘の上に住んでいるのだ、と祖母が言っていた事を思い出す。


――もしかしてこの先に、彼女の邸宅があるのだろうか。


 私は蘇りかけた怒りを振りほどくように首を振り、水面へと視線を落とした。渓流を緩やかに流れるオックスブラッドの落ち葉はおどろおどろしいのに、幻想的だ。

 ヘルヘイムはいわば超巨大な洞窟で、洞口部から見える太陽の光が月の代用となっている。

 ヤーコブの顔を見ると、水面に偽の月光が反射していた。奇妙な伝統衣装にばかり目がいって気が付かなかったが、彼の顔つきは随分と男らしくなっていた。

 まじまじとヤーコブの顔を見つめていると、彼がチラリと視線を送った。


「暗いとこが良いんだな」

「え、何?」

「いや、なんでもない」


 彼の意味有りげな物言いが気になった。

 私が肘で脇腹を小突くと、彼は呻きながら頭を掻いた。


「ヘルヘイムは美男美女が多いけど、暗かったら、関係ないじゃんか」


 彼の言っている意味が分からず、首を傾げる。

 遠くで焼却炉のパチパチとした音がかすかに聞こえた。


「どういう意味?」


 ヤーコブは何故かバツが悪そうにそわそわとしている。私の視線に耐えかね、しばらくしてやっと彼は口を開いた。


「暗いと綺麗に見えるって事」


 一瞬、心臓の脈が飛んだ。

 嫌な飛び方だ。


「え…?」

「いや、ヘルヘイムの女の子って皆肌が真っ白だろ。そんな中にそばかすの女がいたら目立つじゃんか。ィルももう結婚とか考え始める時期だろ~。そろそろ焦ってんじゃないの?」


 ヤーコブは意地悪そうに笑って、手をひらひらと仰がせた。

 まさか、彼の顔をまじまじと見ていたせいでそう思われたのだろうか。

 自意識過剰もいい加減にしてほしいものだ。しかも人の顔を中傷するとは。いくら幼馴染でもさすがに傷つく。

 何か皮肉を言い返そうとした時、小さい頃に彼に言われた言葉を思い出した。


 『お前のそばかす、変!』


 すっかり忘れていた。彼は他人の領域に土足でズカズカ入り込む人だった。

 ヤーコブから視線を外すと、水面に自分が写っているのが見える。

 

――確か同じような事を昨日も体験した。

 お得意様の美貌と、ボロボロの私。

 私のそばかすだらけの顔は、流れてきた落ち葉に引き裂かれた。


「好きでこの顔に生まれたんじゃないのに」


 私はぽつりとそう呟いて、踵を返す。


「ィル、どこ行くんだ」


 ヤーコブは先程までの言葉が暴言だった事に気づいていない。

 彼の呆けた声が余計に腹立たしい。


「旅なんかしてるあんたに関係無いでしょ。みんな世間一般的な幸福を基準にして、私を判断する。哀れまれるのも、余計なお世話も、もううんざり」


 私は背後で聞こえる彼の戸惑う声を無視して、先程まで二人で歩いた小道を駆け抜けた。

 焼却炉の中は轟々と燃え盛り、煙は灰色を空高く充満させていた。


    ◇


 裏口のドアを勢い良く閉め、作業室に入る。店内へと通じるドアが奥にあり、その両側の壁に包装紙とリボンが掛けられてある。

 奥から、祖母の「鮮やかな日々をお祈りします」という声が聞こえてきた。祖父がヘルヘイムの人々に色彩を届けようという思いで発案したお見送りの言葉だ。


 祖父はニューダーク近衛連隊に務め、平民でありながら副隊長へと上り詰めた実力者だ。56歳で引退し、その後は祖母の花屋を手伝った。祖母曰く、厳格だった祖父は引退後に随分と丸くなり、花屋に来るお客様とよく話し込んでいたらしい。


『花を買いに来る人は上機嫌な人ばかりだ。銃や剣の使い方しか知らぬ私に、彼らは鮮やかな日々とは何たるかを教えてくれた。私も太陽の無いこの国の人々に色彩を届けたい』


花を買いに来る貴族は、祖父の話を聞きたがる。私は祖父の記憶は殆どなく、祖父の事を聞かれては、毎回返事に困ったものだ。

 祖父は、私が幼い頃に死んでいるのだ。

 祖父である『ブルーノ・フォレスト』には、カーヌスクードに千を超える害獣が攻め込んできた時、剣ひとつで区内にいる住民すべてを非難させたという逸話がある。

 泣きじゃくる祖母を説得した祖父は街に一人で残り、その身は戦火の露と消えた。


 祖父は区民から英雄と称えられ、平民だった私達フォレスト家は貴族からも一目置かれる存在となった。貴族が平民の花屋に来るなんて事はまず無い。世界中探してもうちぐらいだろう。

 それだけ祖父の影響は凄まじかった。


 床に落ちていた花がらを踏むと、くしゃりと乾いた音がした。

 私は祖父が羨ましい。私が他人の生活の彩りを願っても、返ってくるのは侮辱ばかりだ。若い時をすり減らして頑張っても、そこに賞賛は無く、無遠慮な偏見に傷つけられた。

 努力や思いやりが誰かの嘲笑の的になったのは、いつからなのだろう。


 ふと、作業台にあった注文書が目にとまる。


〈Ms.グレンキンス〉


 受取日時は、今日の17:00になっている。

 注文書の隣に、40本のヘルヴァッキが包装されていた。蕾がはち切れんばかりに膨らんでいる。


 “それ“を想像して、心臓の音が徐々に大きくなっていく。


 私が今やろうとしている事は、控えめに言って最悪だ。

 ただ、それを止められる冷静さが今の私にあるのだろうか。

 

 白い蕾は、汗ばんだ手にゆっくりと覆い隠された。


    ◇


 お得意様が座り込んで、ぐちゃぐちゃになったヘルヴァッキを抱えている。彼女は可哀想にと嘆き、仄かに光る花弁を一枚一枚手に取った。

 そんな悲惨な状況を、天から伸びる光が柱となって彼女を照らしている。

 静寂と闇の中で、それはさながら悲劇のスポットライトのようだった。


 見下ろすように立っている私に向かって、彼女がゆっくりと面を上げる。

 私の顔を捉えた美貌はぐにゃり、と歪み、彼女の透明な声は地獄から這い出るようなおぞましい声へと変貌した。


「絶対に許さない」



ガタン



 私は飛び起きた。

 小刻みに息を切らしながら視界の焦点を合わせる。周りにいる乗客が眉を潜めて此方を見ているのに気が付き、私は慌てて座席に座った。胸を抑えて息を整えると、他の乗客は何事も無かったかのように視線を戻す。


 外を見ると、窓ガラス越しに映るヘルヘイムの町並みが遠ざかっている。


 洞口部へ伸びるゴンドラは、平民が使う一般的な交通機関だ。

 地上へ出る穴はまとまった場所にいくつか開いていて、それを中心にロープが張り巡らされている。私が乗っているゴンドラはミズカルズ南方へ向かう特急便で、4時間ほどで地元であるバーディに到着する。

 きっと両親が昼食の準備をしている頃に着くだろう。

 久しぶりに浴びる太陽光に目を細め、足元に置いていた荷物を抱える。荷物は革のカバンと、もう一つは布をかけたバスケットだけ。


 布の下には、私の心の醜さが隠れている。


 私はヘルヴァッキを潰そうとして、結局、思いとどまった。いや、結果盗んでいるのだから思いとどまれたとは言えない。

 しかしお得意様は裕福だ。時間などいくらでもあるだろう。花を飾るのが今日になろうが明後日になろうが問題は無いはずだ。そもそも昨日の115本があれば、どれだけ大きな邸宅でも手に余る。

 花を"取り違えた"としても、貴族が平民のミスをわざわざ追求したりはしない。

 もちろん、後日お得意様にはちゃんとヘルヴァッキを用意する。


――これは彼女へのちょっとした復讐だ。そして脆弱な私の、醜い心の反映だ。

 この身に生まれた以上、自身の醜さを抱えて私は生きていくのだ。

 私は冥府の美人を覆いかぶさるように抱え、瞼を閉じた。

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