そして夏は言葉になった。

 彼の夢の話を聞くのは、色のない映像に彼の記憶を使って色をつけていく作業に似ている。

 椅子に座ってこちらに話しかけてくる彼の目は左下を向いている。いつも彼は自分の記憶を漁るとき、自然と左下を向く。

「そう、真っ白な体に耳だけ灰色でさ、まるで灰を被ってしまったようなうさぎだったんだ」

 言葉にする度に頭の中の映像が色付いていく。記憶を捏造しているだけかと思ったけれど、彼はよくいや、違ったな、と言っているので記憶の中に確かに映像があるのだろう。

「綺麗なうさぎだね、羨ましいな」

 私はふんふんと頷きながら、彼の話の続きを促す。

「でもそのうさぎは足を怪我してたな、なんだっけか。ソアホック病だったか、詳しいことなんて調べたことが無いから確証はない。ただ、他に怪我をしていた様子は無いからそう思った」

 話を聴いていると、微かに焼けるような匂いが鼻をくすぐる。あと少しで彼の食事が出来上がる。

「そのうさぎに言われるんだ。恋愛を物語にいれてもいいんだろうか。それは甘えじゃないのか」

 彼は拳を作りながら私に語る。私は創作活動などしないのでわからないが、質問するような口振りでありながら、まるで断定するように話す。

「私は誰かと居なければ死んでしまう。一人でいると、気が狂いそうになるんだ。いつも誰かの影を探している。でも、それが物語になるのは、私の恥ずかしい物を詳らかにされているようで嫌なんだよ」

 チン、と金属音が響く。彼の食事が完成したのだ。

 しかし、それに気付かないように彼は続ける。

「そこで僕は言い返すんだ。この世の人気な作品はどれも恋愛じゃないか。ならば、恋愛が人気になる必要最低限の条件なのではないか」

 彼の話は面白いけれど、朝の空腹感が食事の方へ意識を向かせる。それに気付いたのか、彼は一回朝ごはんを食べようか、と話を中断した。

 持ってこられたのは香ばしい香りのするパンといい匂いのするキャベツ。

 菜食主義であることを理解してくれるのに少しかかったが、それでも理解がある人で助かった。

 彼はパンにマーガリンを塗る。香ばしい香りに甘い匂いが合わさる。それを横目に、私はキャベツを齧った。

「君はどう思う? 恋愛が作品の注目を集めるのに必要かどうか」

 どうなのだろう。難しいことを考えるのは得意じゃない。

 少し間を開けて、彼は口を開く。

「ごめん、そんなこと知らないよな。結局、うさぎからなにか言われた気がしたけれど、覚えてない。そこで目が覚めたんだ」

「うん」

「恋愛はもっともステレオタイプに彩られたものだ。それを芸術と呼ぶには難しい気もする。でも、もはや恋愛自体を否定することこそが芸術になっている気もする。だから、恋愛を模倣するものとして考えるべきでは無いのかもしれない」

「そっか」

「でも、それを描く夏は、きっと色に溢れているんだろう。それを表す言葉だけは、模倣出来るものじゃないのかもしれない」

例えば、そんな夏の日から。


 僕はいつもの席に着く。君と話をする席ではなく、創作をする時に使う席だ。白紙の便箋を取り出す。僕はいつも創作を始める前に、登場人物の心情を想像して手紙を書く。主人公から親へ。友達へ。逆に友達から主人公へ。後悔だったり、願望だったりといった感情を存分に書き込んで、最後に一言だけ添える。

 今回は絵本の世界に入ってしまった女性の夢を見た。宛先は絵本の登場人物。体が不自由であった彼女の希望となってくれたお礼の手紙になった。

 手紙の内容は創作に反映されることもあれば、全く無為に終わることもある。それでもこの作業は自分の中でオリジナリティーを感じる瞬間で。

 それが好きだった。

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