第2話
「で、何で俺の駅に降りたの?」
「いやー。いろいろ話してたら自分の駅に降りるの忘れちゃってさ」
嘘つけと思いながら、俺は駅からの帰り道を歩いていた。
隣を歩くのは西浦。
「せっかくだし、カレー食べたい。私カレー好きなんだよね」
「そうなのか。言わなきゃよかったな今日の晩御飯」
言い返すと西浦は派手に笑った。
電車で俺が一人暮らしだと言う事。今日の夕ご飯はカレーだと言う事をうっかり口に出してしまったのがまずかった。
慣れない女子との会話でついつい浮かれてしまったのかもしれない。
そんなこんなでマンションに着く。
「でっかー。マンションじゃん」
「元々親と住んでたんだよ。転勤についていくにしても、来年は受験だし。ここに残った方がいろいろ都合が良いってなったんだ」
「ギャルも連れ込めるし?」
「こら」
言うと、楽しそうに肩を揺らす。
こんな風に話術に乗せられて色々と喋ってしまったのだ。
俺の片手には帰り道にスーパーで買った買い物袋。
「ねえ、朱藤くん」
「えっ」
エレベーターの前で待っていたら、西浦が急に改まった口調で話しかけてくる。
「君みたいなタイプって女の子に騙されやすいタイプだと思うんだ。壺とか買わされないように気を付けなよ?」
「西浦さんにだけは言われたくないな」
エレベーターの扉が開くと同時に俺は声に出していた。
それを聞いて軽快に笑う西浦。ここがエレベーターの密室の中で助かった。
「んで、西浦さんは何で俺の家までついてきたの? 本当の理由は?」
リビングについてすぐ、俺はかねてからの疑問をぶつけてみた。
無下に断って面倒事になるのも嫌だったから黙っていたけれど、ここはもう俺の家なのだ。
そろそろ何を企んでいるのか問い詰める必要がある。
「言ったでしょ? 私カレー好きなの。君の作るカレーがどんな味か確かめたくなったんだ」
「ああ。絶対嘘だね、はいはい」
何かもうこのノリ慣れて来たな。
電車では緊張してばかりの俺だったけど、西浦と自然に会話できている事に驚いた。
そもそも、俺と西浦は春から今まで挨拶すらした事が無いのに。
「どうしたの?」
冷蔵庫から良く冷えたウーロン茶を出すと、西浦は何故か笑いをこらえるような顔をしていた。
吊り上がった口角が感情を隠しきれていない。
「君は気が利くね。この部屋に彼女とかも呼んだりしてるの?」
「俺に彼女なんてできっこないと思って聞いてるよね?」
そう言うと、また優しい顔で笑われた。俺は彼女にからかわれているんだろうか。
「でも、本当に一人暮らしだなんて。羨ましい」
西浦はそう言いながら、スーパーの袋に入っていた食材をあさる。
「家事は全部一人でやらなきゃいけないし、結構面倒だよ」
「そうなんだ?」
西浦はテーブルの上に買ってきた野菜やら肉を並べていく。
カレールーに牛肉、ニンジン、たまねぎ、じゃがいも。まあ、一般的なカレーの具材ばかりだ。
「ちなみに私はパパと
「……」
ドヤ顔でそんな事を言われても。
「あ、気使ってる? 片親だけど気にしてないよ?」
「そっちの意味か」
きょとんとしたままの西浦から牛肉パックを取り上げる。
「どっちの意味よ?」
「ねえ西浦さん。そのパパって本当に血のつながったパパ?」
「あー。なるほど。そういうことか。ひっどー!」
気づいた西浦が割と本気っぽく怒るけど演技丸出しだ。それを見ていたら何故か俺も笑ってしまった。
聞いてもいないのに片親とか打ち明けられたら反応に困るけど、パパ活やってるとかカミングアウトされるのもそれはそれで困る。
「朱藤くんって結構生意気だね」
西浦は駄々をこねた子供みたいにソファーに倒れ込むように座り込む。
「まるで今まではそうじゃないと思ってたような言い方だなあ」
「おとなしいし、教室では割と皆に気配りできるタイプじゃん? 絶対優しいと思ったからついてきたのに」
西浦はじっと俺を見つめながら言いきった。お世辞だと分かっていても普通に照れてしまうのが悔しかった。
意外に教室での俺を見られている。その事実が俺の思考を急にフリーズさせる。
「あ、どう返すか困ってる? 褒めたから照れてるんだ。かわいいー」
カレーを食べたいからついて来たわけでもないらしい。このギャルが何を考えているのか分からない俺は心の中で頭を抱える。
しかし、そんな俺を余所に西浦は話を続ける。
「パパ……ううん。お父さんとね、喧嘩してるの。引っ越してきて三日目で盛大にやっちゃった」
ああ、そう言う事か。ようやく心が平静を取り戻し始めた。
「どうりで同じ電車に乗ってたわけだ」
この辺に最近住み始めたなら仕方がない。今まで電車で見た事がない理由にも納得がいった。
そもそも、西浦の見た目なら同じホームにいたら一発で分かる気がする。
「聞いてる? 喧嘩したんだよ? たった一人の娘にありえなくない?」
ここに来た本当の理由はどうやらそれらしい。
「たった一人の娘がそんなだったからじゃいの」
「うざ」
楽しそうに不平を垂れる西浦に耳を傾けながら、対面キッチンに回って鍋にお湯を沸かした。
「会話もずっとしてないんだ」
「へえ」
「帰ってくるのは遅いからあまり話さないにしても、ないわー。そう思わない?」
「へえ」
一方的に愚痴る西浦に相槌を打つ。百均の小さなピーラーなのででかいじゃがいもの皮が剥きづらい。
「今日だって朝は顔合わせてご飯食べたんだよ? それでも会話一切ナシ! 気まずいっつーの」
「そうなんだ」
いつもはもっと小粒なじゃがいもでカレーを作っている。それなのに、今日は西浦が食べたいからとか言う理由ででかいのを買ってきてしまったのだ。
野菜を切っていた所で、ちょうどいい具合にお湯が沸騰してくる。
俺は手早く具材を炒めてそれを鍋に入れる。
「ねえ。ちゃんと聞いてる?」
「聞いてるよ。学校でも家でも会話が無いんだよね?」
要は話し相手が欲しかったんだろう。俺は学校でもぼっちの西浦を皮肉るつもりで言ったのだけど、何故か嬉しそうにソファーで足をぱたぱたさせている。
「そうそう。素っ気ない顔してちゃんと聞いてるんだね。よしよし」
姉が弟を褒めるような言い方だ。
「それで、親父と顔を合わせるのが気まずいから、丁度いい寄生先を見つけて駆け込んできたと?」
「うわそれ言っちゃう? 君さ、ちょっと酷いよ」
ソファーの上で膝を抱え込みながら上目で睨みつけてくる。さらさらと銀色ヘアーが眩しいったら無い。
この生活感溢れた俺の家に西浦がいる事が未だに現実離れしているように思えた。
「まあ、食べたら帰りなよ。それで仲直りしなって」
「泊まっていけっては言わないんだ。部屋、他にも空いてるんだよね?」
「ダメだよ」
泊めるなんて出来る訳がない。たまに帰ってくる母親に見慣れない銀髪の一本でも見つけられたら家族会議が始まる。
「あ。同じ部屋じゃないんだとか思ってがっかりした?」
「一駅だけだよね? 何なら送ってあげてもいい」
「うわー。帰る前提で物言ってるよ。この人」
有無を言わさずカレールーを鍋に投入した。
「あ、カレーの匂いしてきた!」
「ちゃんと仲直りしなって。一人だけの父親なんだろ?」
コンロ前で鍋を見張る俺。西浦はその横にやってきて、ぴたっとついている。
「上から目線だね」
人の家に勝手に上がり込んでおいて、どの口が言うんだろう。
ころころっと笑う西浦を見てそう思ったけど、多分これは俺の本音じゃない。
「君ってさ。もしかして、私の事怖いと思ってる?」
「もう怖くなくなったよ」
「そっか。安心した」
今度は本心のまま答えると西浦は何故かゆっくりと息を吐いた。
「うれしい」
満面の笑みで言われてしまった。俺も心の中で密かに嬉しさがこみ上げて来るけど、顔には出さない。
カレーが出来上がり、俺は鍋を持ちながらリビングのテーブルに向かう。
「西浦さんも――」
「えっ?」
西浦は俺の横をついてきながら、不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「西浦さんもこんなに明るい人だとは思わなかったよ」
「私って学校じゃそんなに暗い?」
「どっちかというと暗いんじゃなくて怖い」
「全然怖そうにしてないけど、君は私の事ずっと怖かったんだ?」
まるで、二年になってからずっと俺を見てきたような事を言う。俺はそう思った。
「さっきも言ったでしょ。これだけ本性見せられたらもう怖くないから。これで安心した?」
「安心したけど言い方がうざい」
「はいはい」
いつもは一人だけの食卓に向かい合わせに座る。
ライスの上にルーをかけると、銀髪ギャルの顔が一気に綻ぶ。
「わー。美味しそう」
「はいこれ、スプーン。うちの家族が使ってたやつだけど」
銀のスプーンを渡すと、俺達の間で沈黙が流れる。
「え、何かした?」
首を傾げながら、西浦がそんな事を尋ねてくる。
「いや、他人の家の食器とかスプーン使うの。抵抗ないんだなって」
答えても、スプーンにカレーライスを掬った動きのまま西浦は動かない。
何か言いたい事でもあるのだろうか。
「君ってもしかして潔癖症?」
「西浦さんがずぼらすぎるんじゃないの」
「ああもう! また意地悪言ったし!」
「冷めるよ」
「ああっうざいうざい!」
そう言ってぺろりとカレーライスを頬張った。
「うまいっ!」
「意地の悪い男が作ったカレーだよ、それ」
「うざい。うまいけどうざいっ」
段々西浦の反応が面白くなってきた。
俺もカレーにスプーンをつけて食べ始める。
そこから先は学校での俺や西浦の話に終始した。でも、クラスで言いふらされている西浦自身の噂の事だけには触れない。
西浦にいじられて俺が皮肉で返す。そんなやり取りをしていたらカレーの皿はあっという間に空になった。
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