第3話
「私も手伝うよ」
食べ終わり、皿を洗おうとすると西浦が声をかけてきた。
しかし、生憎スポンジは一個しかない。
「いいよ。俺がやる」
「やだ。せっかく食べさせてもらったんだし、お礼くらいしないと」
意外に気が強い。意地でもお礼する気かよ。
「電車で席譲ったり。ギャルとは思えない礼儀正しさだ」
「私ギャルじゃないもん!」
そう言いながらかけられていたふきんを手に取った。
どう見てもギャルだろと心の中で思ったけど、言わないでおく。
「じゃあ、君が洗ったやつを私が拭く。拭いたのはここの棚でいいんだよね?」
「うん。じゃあお願いしようかな」
「おけ! 任せてよ!」
そう答えると、西浦はとても嬉しそうに笑う。
西浦が自分の事をギャルだと思っているかいないかはさておき、俺達は共同作業で後片付けにあたる。
あっという間に片付けは終わり、俺はソファーに戻った。
テレビをつけるとすっかりゴールデンタイムの番組が始まっている。もういい時間だ。
「あのさ。私本当にギャルじゃないからね?」
「そのネタ、まだ引っ張る?」
「……」
返答はない。見返すと、西浦は打って変わって真面目な表情を浮かべていた。
「どうしたの。改まって」
「朱藤くんは教室で流れてる私の噂、どこまで信じてる?」
「噂?」
すっとぼけると、西浦は切羽詰まった顔をする。
「私、パパ活なんてしてないからね……?」
拗ねた風な口調で西浦が言う。
俺はさっき、父親と二人きりで住んでいると言った西浦に本当のパパか? なんて事を聞いた。
なんてことだ。西浦は噂の事を知っていたんだ。
今まで全く表情に出さなかったから分からなかったけど、彼女なりに悩んでいたのだ。
冗談でも言ってはいけない事を言ってしまった事に気づかされる。
「どうして君まで落ち込んだ風な顔になってるの?」
「え」
顔を上げると、西浦が心配した風に俺を見ていた。
「いや……さっき酷い冗談を言ったなと思って」
「?」
首を傾げたまま西浦は状況を飲み込めていない。自分でパパ活をネタにする癖に噂を気にしているのかよ。
俺は気を取り直して続ける。
「まあ……噂は知ってるよ。西浦さんがパパ活なんてひどい噂だよな」
「信じてくれるんだ?」
「当たり前だろ。カレー楽しそうに喰ってたし」
「あはは。それ関係ある?」
「ある」
真顔ではっきりと言い返すとまた笑われた。
「そんな事で信じてくれるんだ。バカじゃないの」
西浦が嬉しそうに目を細めた。
まあ、それだけじゃないんだけど。
これまで西浦と話して分かった。彼女はとても純粋な性格をしているし、人を思いやる気持ちも持っている。
口調は多少ギャルっぽいけど、こうやって見ると普通の女子って感じだ。
「電車でさ。意外に礼儀正しかったから正直引いたよ」
「言い方うっざ。君だって――」
そう言って、西浦は少しだけ空気を飲み込む。
こらえきれない感情を必死に抑えているようにも、俺には見えた。
「君だって、教室だとおとなしいじゃない? もっと良い子だと思ってた」
「お互い様だな」
「ほんっとうに!」
俺達は示し合わせたように笑い合う。
「この髪ね」
蛍光灯の下、艶光りする銀のキューティクル。西浦は前髪を一本摘まみ上げながら続ける。
「生まれつきこういう色なの。珍しい体質なんだって」
「珍しすぎるね」
もしかして、アルビノって奴か? はっきり聞こうとしたけど、何となくそういう言葉を安易に口に出すのはいけない気がした。
「あ。別に気にしなくていいからね?」
「してないよ」
正直、多少は気にしてる。でも、西浦が事前にそういう風に言ってくれると安心する。
「学校だとカラコンしてるけど、普段はうさぎさんみたいな真っ赤な瞳なんだ」
「うさぎさんって」
「何、今笑うとこだった!?」
西浦の反応とうさぎさんという例えが可愛らしくておかしかったのだ。
だが、笑いをこらえる俺を見て何故かムッとする西浦。
「本当良い性格してるよ、君」
ソファーにくたっと身体を預け、腕で額を覆う。
「髪なんて染めちゃえばいいんだけど、出来ないんだよね」
「カラコンはするのに?」
俺も後ろに手をついて楽な姿勢で座り直す。
ソファーの上の西浦。額から腕をどけて困ったような笑みを向けてくる。
「ちっちゃい頃に死んじゃったお母さんが褒めてくれたの。私の髪はとても綺麗な髪だって。今でも覚えてる」
「そうか」
二人暮らしっていうのはそういう事だったのか。
多分、西浦は大好きだった母親の言葉を今でもずっと大切にしたいんだろう。だから、染めずにありのままの髪で過ごしている。
「あ、気を使わなくていいからね?」
「綺麗だと思うけどな。俺は」
「えっ!?」
驚いたように飛び起きる。
目をしぱしぱ瞬かせる西浦に言ってやる。
「その髪。これからも染めなくてもいいんじゃないの、西浦さんは」
「髪の方かあ」
何故か残念そうな顔を向けられた、次の瞬間。
「おっと」
一瞬の隙を狙って西浦がクッションを投げつけてくる。首の動きだけで避けると、きゃあと西浦が無邪気に笑う。
「何で避けるの」
「いきなり投げて来るからだろ」
「いやそれ、普通避けれないから!」
けらけらとソファーの上で踊るように笑っていた。俺はそれを西浦が飽きるまで黙って見ている。
「先生しか知らないんだけどさ。朱藤くんにも一応教えとこうと思って」
テレビに目を向けてそんな事をぽつり呟く。思わず彼女の綺麗な横顔に釘付けになった。
「じゃあ、西浦がギャルでも何でもないって噂、俺が広めておこうか?」
俺は割と本気で提案する。
こう見えてそれなりに顔は広い。
西浦の人柄が誰にも分からなかったからこそ流れた噂だ。だが、事情が分かれば今の状況もいくらかは改善されるかもしれない。
だけど、西浦は首を横に振った。
「ううん、いい」
「でも……」
「君が知ってるならそれでいい」
そのまっすぐな目線に俺は何も言い返せない。
どこまでも温かくて良心の塊みたいな瞳だった。
多分、良くも悪くも西浦は純粋過ぎるんだ。
だから、こんなに綺麗な銀髪をしているのかもしれない。そんな根拠もない事を一人思う。
「そっか。じゃ仕方ないな」
そう答えると、西浦が何故かこちらを窺うように肩をすくめる。
「あ、今照れてなかった?」
「照れてない」
西浦との問答はその後もしばらく続いた。
彼女を送る為、駅までの夜道を歩く。
「何で、俺で良かったんだ?」
「えっ」
尋ねると、西浦は何故かびくっと肩を震わせる。
「俺なんて目立たないし、この通り嫌な奴じゃないか。何で西浦さんは秘密を打ち明けてくれたのかって」
「えーと」
西浦は何故か視線を逸らしながら口ごもる。チカチカと明滅する電灯を一緒に見上げた。
「カレー作ってくれたから、そのお礼」
「皿も洗ってくれたし、お礼ばっかしてもらってる気がする」
「もう、言い方!」
駅名の灯りが徐々に見えてくる。
「本当はね、いつも聞こえてきて嫌だったんだ」
「えっ」
「クラスの皆がこそこそ陰で私の事言うの。すごく嫌だったよ」
それでも西浦は優しい笑みを向けてくる。
潤んだ瞳を見て、西浦からの言葉をはっきりと聞いた俺は愕然とする。
窓辺で一人孤高を装っていても、西浦の耳にはしっかり入っていて、噂はちくちくと彼女の心を傷つけ続けていたんだ。
「でも――」
「ん?」
駅入り口に辿り着き、西浦が足を止める。
「君は私の事、見た目だけで決めつけるなって言ってくれたよね?」
「言ったかな」
「はっきり聞こえてきたし。君がそういう風に言ってくれたの今でも覚えてる」
いつだったっけ。
クラスの友人がそんな話をしてきたのは二年に上がって間もなくの頃だった気がする。
「俺はあいつらが好き勝手言ってたのを適当に聞き流しただけだよ」
「でも、私は嬉しかったよ」
西浦はそれこそが今日言いたかった事なんだと、ぐっと頷いて俺を見る。
「嬉しかったんだからね」
泣きそうな潤んだ瞳。上目遣いで精一杯の笑みを作る。
「西浦さん。泣きそうになってる。コンタクトずれるよ?」
「あっ!」
やば、そんな事を小さく漏らしながら、西浦はそっと目を擦る。
もう一度こちらを見上げると、もう泣きそうな顔はしていなかった。
「つーかさ。西浦さん。簡単に人の言う事を信じるんだね」
「いけない?」
「いけなくはないけど……」
でも、気をつけた方はいいと思う。人をだまされやすそうとか言っておいて、西浦だって結構危うい。
「じゃ、いいじゃん!」
しかし、西浦は嬉しそうに俺の前に出る。
「今日はありがと!」
そのまま二段きりの駅の階段を軽やかに上がる。
気づけば改札口はすぐそこだった。
秋の終わりの北風がびゅうと顔に吹き付ける。
「西浦さん」
「え、なに?」
自然と声が大きくなる。
きらきらと白銀が翻り、冷たい空気にさらされた赤い頬がこちらに向けられる。
「西浦さんの本性を知ったら、きっと噂なんてなくなるよ」
「本性って言い方、なんかムカつくなー」
釈然としない。西浦は小さく唸る。それがまた可愛らしい。
学校でも今日みたいに振る舞っていればきっと皆分かってくれるはずだ。
そう言おうとしたら、西浦は駆け出した。
「親父とちゃんと仲直りしなよ」
「うん!」
最後にそう声をかけると、西浦は少しだけ気まずそうに手を振ってくる。
俺も軽く手を上げて振り返すと、そのまま駆けて行った。
~エピローグ~
翌日、教室に足を踏み入れると西浦はいつものように窓辺に一人座っていた。
しかし、少しだけ変化があった。
「あっ」
ちらりとこちらを見る西浦。
俺に気がついたのか、小さな手のひらを振ってくる。
俺が振り返すと西浦は何も言わず、嬉しそうに笑った。
クラスで一人浮いてるギャルと電車で遭遇したら、意外と良い子だった件 サンダーさん @DJ-cco-houjitea35
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