十一節 クラスマッチ

 三学期にもなれば、さすがにほとぼりは冷めたようで、僕と今井君は女子たちからふつうに接せられるようになっていた。特に、森島さんは同情からか、話しかけてくることもあった。

 だけど、そんなことはいまさらどうでもよかった。僕は別に哀れんでほしいわけではない。ただこのまま、三学期が何事もなく終わってくれたらそれでいい。

 もう、面倒ごとはごめんだ。正直に言えば、僕に対してころころと接し方を変えた人間たちとは、二度と関わりたくなかった。



 三学期は、僕の願いかなってか、本当に特に何もなかった。テストが終わるまで行事もないため、ゆるやかな日常が続いた。

 変わったことは、僕が今井君ではなく、小林君とよく話すようになったということくらいだ。小林君は、かなり距離感を保ってくれる人で、僕の踏み込んでほしくない領域には踏み込まないし、追及もしない人だった。そのおかげで、僕は小林君とそれなりの関係を築くことができていた。あまり自己をさらけ出さなくてよいのは、今の僕にとってはかなり助かる。



 そしてテスト後、今年度最後の行事であるクラスマッチのチーム分けが行われた。バスケ、バレー、サッカーのいずれかに割り振られる。僕は、中学の部活でやっていたバレーにしようと思っていたが、なぜか友貴が僕をサッカーに誘ってきた。


「別に僕はなんだって構わないけれど、なんでサッカー?」

「いやだって、玉木くんサッカー強そうだし」

「全然やったことないよ」


「んーまあでもいいや、一緒にがんばろう」

「まあ、いいけど」

「おっけ、じゃあ玉木くんはもーらい」


 半ば強引に僕はサッカーをすることに決められた。でも、友貴と何かをするのはこれが最後かもしれない。そう考えれば、思い出作りとしては悪くない気がした。


 クラスマッチ当日、僕は友貴と他にクラスの数名と、サッカーをした。相手は一年三組で、経験者ばかりだったため、僕たちはあっさりと負けた。

 僕は早々にやることを失くしてしまった。倖成君はバレー部員ということで審判をやらされており、小林君もどこかに行ってしまっていた。


 僕は図書室に行き、何冊か本を借りて自分の教室に戻った。教室には誰もいなかったが、電気が点けっぱなしにされていた。借りてきた小説を一人で静かに読んでいると、次第に眠くなってきた。もう最近はすっかり温かくなってきて、風も春めき始めている。僕は教室の電気を消して、机に突っ伏して眠った。



 目を覚ますと、教卓で江口先生がノートパソコンを使っていた。


「あ、おはよう」


 先生はすぐに僕が起きたことに気が付き、声をかけてきた。その後、先生はノートパソコンを再び操作し始めた。


「……おはようござます」

「今日あったかいもんね。眠くもなるよね」

「すみませんでした」

「あーいやいや、別に今は寝ててもいいんだよ」


 そうか、今日はクラスマッチだ。


「うちのクラスどこか勝ちましたか?」

「えーっと、女子のバレーが勝ってたかな」

「他は……?」

「全滅だよ」

「……そうでしたか」


 みんなは応援に行っているのだろうか。


「先生は応援行かなくていいんですか?」

「うん、まあクラスマッチは生徒が楽しむものだからね。教員たちは外野だよ」

「そうですか」


 僕も応援に行った方がいいだろうか。僕が迷っていると、先生はノートパソコンを畳んだ。


「やっぱり後でいいか。ねえ玉木くん、サッカー楽しかった?」

「えーっと、それなりに、楽しかったと思います」

「そっか、それはよかった」


 先生の顔が少しほころぶ。


「まあでも、相手に経験者いると、勝つのは厳しいですよね」

「あー、まあそれもう仕方ないね。そこは運だから」

「ですね。そういえば先生って、高校で部活やってましたか?」

「え、うん、やってたよ。こう見えて硬式テニスをたしなんでおりました」

「けっこうなお点前でしたか?」


 先生の言葉遣いに僕は乗った。


「いや全然だったよ。テニス出来たら格好いいかなと思って軽い気持ちで始めて、これが全くうまくならなくてね。きっと向いてなかったんだと思う。それでも三年間続けたけど」

「そんなでも続けたんですね」

「まあそうだね。なんとなくで始めたら、なんとなく続いたね。玉木くん、中学はバレーボール部だったっけ?」


 先生が僕の中学での部活を覚えていることに驚き、少し目が冴えた。たしか、初めの自己紹介くらいでしか言っていないはずだ。


「はい、バレー部でした。よく覚えてますね」

「そういうのはできるだけ覚えるようにしてるから。高校はやらなくてよかったの?」

「まあ、はい。なんというか、高校の部活は厳しそうだったので。本気の人ばかりというか」


「そうだね、運動部はけっこう本気で練習してるところが多いよ。僕が高校生のときも、きつかったなあ」

「やっぱりそうですよね」


 先生は何かを思ったのか、目線を僕の頭の上に移した。


「玉木くん、夏休みとか冬休み何してた?」

「えっと、自堕落に過ごしてましたね。とりあえず宿題を終わらせただけみたいな」

「あまりやりたこととかない感じ?」

「どうなんでしょう。もしかしたら、そうかもしれません」


 僕にやりたいことがないことくらい、自分が一番知っている。やりたいことはないくせに、やりたくないことだけはたくさんあることも。


「へえー」


 先生はそう言って目を細め、やさしく笑った。その表情は、いつもより大人っぽく見えた。


「やりたいこと、見つかるといいね」

「はい」


 僕の言葉に、先生はやわらかい笑顔のままうなずいた。先生は僕を通して、遠くを見ている感じがした。


 江口先生はきっと、僕に少し似ているのだろう。茶化すような話し方をして、自分を隠している。表面を繕うことで、自分の核を守っている。だがこうして似たような人に会ったときにだけ、僕たちのような人は少し素直になれる。

 それは、心の領域を大事にしてくれることがわかるからだ。自分の領域を強固に守る人は、他人の領域に踏み入ることはない。だから、心の距離は開かない。だが、常にあるその距離は、縮まることもない。

 それはきっと、弱さでもあるのだろう。ありのままでの自分でいることに対して、恐れがあるのだろう。受け入れられない自分にふたをして、繕った自分を演じるのは、僕にとっては当たり前のことになっている。


「高校最初の一年はどうだった?」


 先生が表情を変えずに聞いてきた。


「うーん、まあまあですかね」


 僕は苦笑いをしながら答えた。


「そっか」


 先生も苦笑いを浮かべた。先生にとっては、案の定といったところだろうか。


「来年は、もうちょっと楽しいといいね」

「……そうですね」


 僕がそう言うと、教室の扉が開き、小林君が入ってきた。


「あれ、二人だけで何やってるんですか? 面談?」

「まあ、そんな感じかな」


 僕は苦笑いを崩さないまま、目をそらして答えた。


「へー。あ、そうだ玉木くん。もう女子バスケの二回戦始まるよ、応援行かないと。先生も来ませんか?」

「いや、僕は……」


 断ろうとする先生に、僕は声をかけた。


「いいじゃないですか、行きましょうよ」


 先生は、驚き交じりに困ったような顔をしながら、あきれたように呟いた。

「まあ……いいか」


 そう言って立ち上がった先生に、僕はほんの少しだけ希望を抱いた笑顔を向けた。


 次の一年が、僕たちを変えてくれることを祈って。






 知らない声は、聞こえない。

 知っている声も、聞こえない。



  一章 高校生編 一年生




――――登場人物――――

玉木悠太たまきゆうた 僕

 中学時代はバレーボール部。

 父親と兄との三人暮らし。


永野司ながのつかさ かさ

 小学校からの付き合い。

 僕をまこと呼ぶ。

 京都に住むために勉強をしているらしい。


前川倖成まえかわこうせい 倖成くん

 中学時代は、僕と同じくバレーボール部。

 二年間クラスも同じでよく話をした。

 僕をまこと呼ぶ。

 高校でもバレーボール部に入った。


今井俊いまいしゅん 今井くん

 僕と似た空気を感じる。

 親戚の家で暮らしており、少しだけ僕と境遇が似ている。

 曜子という人ともめたらしい。

 一年生の文化祭のときに、曜子という人ともめた話を聞いた。

 それからは、距離が開いてしまった。


小林正樹こばやしまさき 小林くん

 昔やっていたゲームの話をした。気が合わないわけではない。

 室長なだけあってしっかりしている。


田原友貴たはらともき 友貴

 中学は同じだが、話したのは高校受験の日が初めて。

 部活をやっている。坊主頭。


森島もりしまさん

 今井君のことを教えてくれた人。

 冷静な人のようだが、意図はよくわからない。

 曜子という人の友人。


江口えぐち先生

 高校一年生のときの担任。担当科目は国語。

 役者めいた話し方をする人。

 表面を繕って核を守る振舞いが、僕に少し似ている。

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