九節 文化祭
文化祭の校内発表当日、僕は準備のために少し早めに学校に来ていた。しかし氷水にジュースの瓶を入れるだけなので、準備はすぐに終わった。
小林君と談笑しながら、僕は今日の販売係をどうするか考えていた。僕の番には女子が二人いる。
一人は噂などというものとは無縁のタイプだからいいのだが、もう一人は今井君を振った人とよく話している人だった。クラスで浮いている僕に話しかけられるのは困るだろうか、極力話しかけないようにしたほうがいいだろうかなどと考えていた。だけど、そんな人たちに気を遣うのは癪だった。たとえ変な風に噂が流れていたとしても、それを勝手に信じてしまえば、誰かを傷つけることになる。そんなことさえ分からない人に、気を遣いたくなかった。
僕は結局、小林君と積極的に話すことにした。これは、僕が甘いというよりは、面倒ごとをこれ以上増やしたくなかったからだ。僕はいつも、楽なほうに逃げてしまう。
「昨日の舞台すごかったよね」
「あー……踊りとかよかったよね」
小林君は昨日の舞台発表のことを話した。確かにすごかったような気はするけれど、上級生なんて一人も知らない僕は、ずっとぼんやり眺めていただけだった。だからほとんど記憶に残っていない。
雑に話を合わせたあと、僕は話題を変えた。
「そういや小林くんってさ、この前の数学の実力テストどうだった? あの夏休み明けにあったやつ」
「僕は六十点だった。平均よりは全然いいけど、高くはないよね。玉木くんは?」
「あー、僕は八点。宿題めんどくて答え全部写しちゃってさ」
「でも定期テストはかなりよかったよね。なんか上位の人っていうので名前も呼ばれてなかったっけ」
「あのときは勉強してたからね」
「そっか、でも夏休みって長いし、だらけちゃうよね」
「ほんとにね」
店番をしながら小林君と話していると、不意に声がかかった。
「ねえ、玉木くん」
その声の主は、僕がわざと話しかけないようにしていた、今井君を振った人の友だちである、
「なに?」
僕はなぜ話しかけられたのか分からなかった。店番に関しての用なら、隣にいる室長の小林君の方が適任だから、そういう話ではないだろう。
僕は少し身構える。
「あのさ、今井君のことなんだけど」
「……うん」
「もしかしたら、知らないのかなと思って。もし知ってて味方してるなら、別に私はそれでも構わないんだけど。あのさ、今井君が
「え……?」
僕は、森島さんに詳しく話を聞いた。
曜子さんは、今井君に迫られて拒絶した。怖いから嫌だと言ったようだ。そして今井君は、その拒絶を素直に受け入れたという。そこで終わっていたらよかったのだが、その後お金に関してもめたらしい。
僕はてっきり、森島さんは今井君のことを敵対視しているのだと思っていた。だが話を聞いているとどうやらそうではないらしく、むしろ冷静な判断をしているように思えた。
その極めつけが、「多分曜子が嘘吐いてるところもあると思うから、全部は信用しないでね」という言葉だった。
その言葉を聞いて、僕の方こそ冷静ではなかったと感じた。歪曲された噂を聞いても、みんなが敵になるわけではないという単純なことを、僕は失念していた。
そうして改めて僕は考えた。今井君が言ったお金返せという言葉の意味は、そういうことなのだろう。曜子さんのことは知らないが、僕は今井君のことは少し知っている。だからこそ、そういうことを、するだろうと思った。そういうことがしたいと言っていた今井君、彼女が欲しいと言っていた今井君、溺れても構わないと言っていた今井君、愛に飢えている今井君。彼はきっと、そういうものに飢えている。
今井君は、僕にこのことを隠しているわけでもないだろう。聞けばきっと、当たり前のように答える。僕の理解は得られないとしても、僕に嘘をつくことも、ないだろう。
それでも僕は、それを知ってもなお今井君を否定する気にはなれなかった。なぜならあれは、環境がよくない。彼にはきっと、愛情が足りていない。僕よりも、ずっと。
迫ることで愛を確かめようとした。お金を与えることで愛を確かめようとした。だけど、そんなことで得た愛では、満たされないだろう。僕は迫ったことに対して彼を非難する気はないが、その手段は問題があるように思った。その方法は、きっと歪んでいる。
僕はもう、面と向かって告白しなかったことも、付き合っているのを隠していたのも、悪い方向にしかとれなくなってしまった。
今井君、それはきっと、お金では買えないものだ。
「それで森島さん。こんなことを僕に話してどうしたいの?」
「あ、いや、ごめんね。友だちなんだよね、今井君と。なのに悪いことばかり言って」
「それはまあ、いいけど」
「……ごめんね」
森島さんは、それきり話しかけてこなくなった。
僕は深くため息をついた。
森島さんは、結局何がしたかったのだろう。こんなことをわざわざ僕に話して、何の意味があったのだろう。森島さんのおかげで冷静になれた僕だが、森島さんが教えてくれた理由は分からなかった。同情か、気まぐれか、どちらにせよ僕はもうどうでもよかった。
本当に、くだらない。
僕は、今井君のことを友だちだと、思っていたのだろうか。話を聞くと言ったのも、結局慎ちゃんの真似をしただけだ。僕は元より、今井君のことをそれほど信頼してもいなかったのだろう。少し似た境遇だったから、仲間意識があっただけだ。僕は未だに、過去の出来事を引きずっている。僕は未だに、人を信用することができないことに、気が付いた。
その後は、ちょうど僕の担当時間が終わるころにジュースを買いに来た倖成君と、一緒に回った。幸いにしてか否か、今井君は隣のクラスの子とうまくいっているようで、僕との距離は自然に開いていった。
僕はもう、森島さんの話が本当なのかを聞く気にもならなかった。聞かないことで、事実をあいまいにした。僕は、これ以上面倒なことに関わりたくなかった。濁してしまうほうが、楽だった。
そうして僕と今井君の関係性は、次第に薄れた。そして、冬休みに入るころにはその関係はより軽薄になり、僕たちは挨拶を交わす程度の関係になった。それから長いときはかからずに、どちらともなく会話はしなくなった。
――――登場人物――――
中学時代はバレーボール部。
父親と兄との三人暮らし。
小学校からの付き合い。
僕をまこと呼ぶ。
京都に住むために勉強をしているらしい。
中学時代は、僕と同じくバレーボール部。
二年間クラスも同じでよく話をした。
僕をまこと呼ぶ。
高校でもバレーボール部に入った。
僕と似た空気を感じる。
親戚の家で暮らしており、少しだけ僕と境遇が似ている。
曜子という人ともめたらしい。
昔やっていたゲームの話をした。気が合わないわけではない。
室長なだけあってしっかりしている。
中学は同じだが、話したのは高校受験の日が初めて。
部活をやっている。坊主頭。
今井君のことを教えてくれた人。
冷静な人のようだが、意図はよくわからない。
曜子という人の友人。
高校一年生のときの担任。担当科目は国語。
役者めいた話し方をする人。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます