八節 今井君 後編
文化祭が近づき、準備の係になった人たちが打ち合わせなどをしている中、僕は特にやることもないので帰ろうとしていた。
そのとき、今井君に呼び止められた。
「やっほー、玉木くん」
「ああ、あれ今井くん準備いいの?」
たしか、今井君は準備の係だったはずだ。僕が尋ねると、今井君は鼻で笑った。
「うん。むかつくからさぼった」
「そうなんだ」
今井君は、初めて見る表情をしていた。何かを見下げるような目。斜めから見たその目は、僕を向いていない。これは怒りというよりは、呆れだろうか。純粋な怒りではない気がした。
さすがにそのまま帰る気にはなれなかったので、僕は近くの公園に行こうと誘った。今井君は、僕の提案を快諾した。
幸いかどうかはわからないが、公園には僕たち以外誰の姿もなかった。
「えっと、何があったの」
僕は、隣のブランコに座っている今井君に話しかけた。
「なんかさ、女子って勝手だよね」
「そう?」
「だって普通さ、全部おごらせるとかありえる? 僕らってまだ高校生だし、お金なんて全然ないじゃん。なのに毎回毎回全部こっちがもたなきゃいけないのはふざけてない?」
僕は事情を察した。二学期になってからも、僕と今井君が話をする機会は何度もあった。だけど、そこには少し違和感があった。どことなく、よそよそしい感じがしていた。僕はてっきり、夏休みの間に一度も会わなかったから、距離が開いたのだと思っていたが、そうではなかったようだ。
今井君は大きくブランコを漕いだ。
「ほんとさ、なんなのあいつ。こっちの要望は何も聞かないくせにさ。なんで付き合ったらお姫様気分なわけ? 少しは出すのが当たり前じゃないの?」
「まあ、たしかに世間的には男が払うイメージあるのかもだけど、今井くんの言い分もわかるよ」
「やっぱそうだよね。もうほんと最悪だわ」
「というか、いつから付き合ってたの?」
「えーっと、夏休みの少し前くらいだったかな。そうだ、履歴見ればわかるか」
そう言うと今井君はブランコを止めて、携帯電話を取り出した。そして、少し操作した後僕に画面を見せてきた。
「ほら、これ。ちょうどテスト終わった頃だね」
その画面には、メッセージアプリのやり取りが表示されている。そこには、今井君の告白の文言も映っていた。僕が見ていいものなのだろうか。というより、これはつまり、告白をメッセージアプリで済ませたということなのだろうか。
「これで告白したの?」
「うん」
今井君は笑いながら頷いた。
そういう大事なことは、直接言わないと伝わらないのではないだろうか。それに告白をするのなら、顔を見て直接思いを伝えるのは、最低限の礼節だと僕は思う。しかし、相手の人もそれを受け入れているようで、「いいよ」という返事も表示されていた。
「ねえ、これ本気だったの?」
僕は携帯電話の画面から離れて、今井君の顔を見て言った。
「ん? まあ、そうだよ」
「これって、本気だと思われてないんじゃない?」
「うーん、でもデートとか何回か行ったよ? 全部僕が金出したけど」
「お金に関しては、僕もあまりいいとは思わないけど、もともとがこんな告白からなんだから、そうもなるんじゃない?」
僕は一方的に偉そうな意見を言った。僕なんて、文字ですら告白したことはないのに。
「まあ、たしかにそうかもしれない。でももう振られたんだよね。見てほら、もう金返せって気分だわ」
そう言って今井君はまた画面を見せてきた。
そこには、「やっぱり別れてください」と書かれている。今井君はこれを見て、今までは心の中だけで感じていた、お金のことに腹が立ったのだろう。付き合っているという関係がなくなって、自分では一切払わない傲慢な態度に、やっと怒りを向けることができたのだろう。その怒りを僕は、不当だとは思えなかった。
「まあ、それで怒るのはいいんじゃない? それはさすがに僕も、ちょっとなあと思う」
「やっぱりそう思うよね。理由も言わずに一方的に別れてなんておかしいよ。しかも返信帰ってこないし、教室では避けられるし、おまけにあいつの周りの人からも避けられるし、もうひどいよ」
僕だったら耐えられるだろうか。きっと……そう思って、少し考えた。僕は、たとえクラスでそういう扱いを受けたとしても、そこまで気に留めないかもしれない。失って困るほどの関係でもない気がした。
そして僕はふと、今井君の発言に違和感を覚えた。
僕は今日も教室にいたけれど、今井君が避けられていたのは見ていないはずだ。当事者の今井君がそう言うのだから、そうなのだろうとは思うが……。今井君の言葉を信じていないわけではないが、明日少し観察して、確かめることにした。
「まあでも、これで無駄にお金なくならなくなったから、そこはよかったか。ははは」
今井君は笑っていた。かなり、無理をしているようだ。
「いやでも、玉木くんいてくれてよかった。もしあのまま帰ってたら、もういろいろぶちまけそうだった」
「ならよかった」
僕は特に何もしていないが、今井君は吹っ切れたようだ。
「なんか玉木くんなら話してもいいかなって思って。玉木くんって、こういうの聞いてもまったく気にしなさそうだからさ。なんていうかな、人を人として見てないというか」
「そんなことはないよ」
僕はいつも人を見ている。顔色をうかがっている。これはもう、僕の癖だ。どうしても人の内面を見ようとしてしまう。表層に出ている部分から、人のことを勘ぐってしまう。
ずっと前から、僕はこんなだ。だから、人をまっすぐに見ていないという点においては、今井君の指摘は正しい。
「いや、あくまでそんな感じがするってだけだから。なんかさ、すごい独特だよね。玉木くんみたいな人、初めて会った」
「それはよく言われる」
僕は自分の心境が伝わるように、わざと苦笑いをした。
「あ、そうなんだ」
僕の顔を見て、今井君も笑った。その後少し話した後、子どもたちが来たので僕たちはブランコを降りて公園を出た。
そして別れ際、僕は今井君に、昔友だちが言ってくれた言葉を使ってみた。
「今井くん、僕でよかったら、あの、相談くらいは乗るから。いつでも頼って」
「はは、頼りにしてる」
今井君は僕のぎこちない言葉に、顔をほころばせた。そして、そのまま家のほうに帰っていった。
よくこんな台詞を、恥ずかしげもなく言えるものだ。出会ってすぐの僕に、この台詞を言った友だちを思い出した。どれだけ自分の観察眼に自信があるのやら。
次の日から、今井君は普段よりも堂々としていた。準備をさぼったことも謝って、相手の人ともメールでだったが話し合ったようで、いい方向に行くように思えた。だが、事はあまりいいようにはいなかった。
相手の人が今井君を避けるのは、仕方のないことだと思う。
だけど、今井君はほとんどの女子達から避けられていた。それも、露骨なものではなく、内輪で盛り上がるような陰湿さを伴ったものだった。相手の人が、今井君のことをどういう風に話したのかは知らない。だけど、これはあまりにもひどい。敵対心を隠すために、うすら寒い笑みと目配せが交わされる。それは、細かく人を見ないとわからないほどに、陰湿だった。
それでも僕は、今井君とふつうに会話をした。一部の男子は事情を知っているようで、それについてからかおうとする輩もいた。その人たちを跳ねのけて、下種な視線もかいくぐって、僕は今井君と一緒にいた。
そうしている内に今井君の同類だとみなされたのか、今井君ほどではないにしろ、僕も避けられるようになった。ただ、当の今井君は隣のクラスの子にお熱になっている。
なんとものんきなものだが、それくらいでいいのかもしれない。噂を信じてそういう態度をとってくる輩とは、もとより仲良くする義理などないのだから。
――――登場人物――――
中学時代はバレーボール部。
父親と兄との三人暮らし。
小学校からの付き合い。
僕をまこと呼ぶ。
京都に住むために勉強をしているらしい。
中学時代は、僕と同じくバレーボール部。
二年間クラスも同じでよく話をした。
僕をまこと呼ぶ。
高校でもバレーボール部に入った。
僕と似た空気を感じる。
親戚の家で暮らしており、少しだけ僕と境遇が似ている。
昔やっていたゲームの話をした。気が合わないわけではない。
室長なだけあってしっかりしている。
中学は同じだが、話したのは高校受験の日が初めて。
部活をやっている。坊主頭。
高校一年生のときの担任。担当科目は国語。
役者めいた話し方をする人。
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