第16話 初めてのお出かけ

程なくしてパパさんも起きてきて、皆で朝食を囲んだ。

「ママさん、このサラダ美味しいです!」

「そう?猫にも好評みたいで嬉しいわ。」

「やっぱりママの料理は最高だね!」

坊っちゃんがこの家にやって来てまだ2日目たが、もう既にパパさん・ママさん呼びが板に付いている。

「ママ、おいちー。」

「おいしいねー。おかわり、あるからね。」

坊っちゃんも、すっかりパパさんとママさんに懐いている。これまで育ててくれた親の元に帰りたい、と一切泣かない坊っちゃんが、一体どんな育てられ方をしてきたのか、ミケはたいそう心配しているが、今更そこに触れても仕方がないし、お手伝い猫が首を突っ込む範疇でもない。

とりあえず、今はまだお試し期間中だが、ありったけの愛情を坊っちゃんに注いであげようと思うミケだった。


「ママさん、今日はお仕事ですよね。」

「そうなのよ。私、毎日お店を開けてる訳じゃないんだけど、今日は夕方までお店に居るから、ミケさん悪いけど坊のこと宜しくね。」

「お任せ下さい。今日はお天気も良いので、お散歩もかねてより外出してみようかと…」

「その辺は、もうミケさんにお任せするわ。」

「にゅーにゅー!」

ミケがママさんと会話をしていると、坊っちゃんが突然叫んだ。

「坊っちゃん、牛乳が欲しいんですか?」

「にゅーにゅー!ちょーだい!」

「あ、ごめんね。私達夫婦が普段、牛乳飲まないから…ミケさん、悪いけどお散歩のついでに近所のスーパーで買っておいてくれる?マンションのエントランスから出たら、もう見えてるお店ね。坊は、とりあえずりんごジュースでもいい?」

「ジュース!ジュース!」

「こらこら、椅子の上に立たないよ。」

とりあえず、坊っちゃんの機嫌を損ねずに済んだみたいでホッとした一同だった。

「ママさん、最初に説明があった通り、スマホ決済で良いなら牛乳買ってきますので。」

業務中のお手伝いペット達は、金銭トラブル回避のために、原則スマホ決済でのみ買い物が出来る。勿論、いつ何を購入したかは、逐次契約者の元へ通知が入る。

「大丈夫よ。お試しの契約の時に、私宛てに請求が来るように設定しといたから。とりあえず明日まで持てばいいから、小さめのパックでお願いね。」

「承知しました。」

「あと、念の為に私とパパの名刺を置いていくわね。基本的には、何かあれば私のスマホに連絡してくれればいいから。」

「ありがとうございます。」

ミケは、ママさんがくれた名刺を眺めた。

「ハンドメイドの店 くまこ」

…店名に突っ込みを入れるべきか迷ったが、坊っちゃんが何かいきんでいるような顔付きである事に気付き、ミケは坊っちゃんを抱えてトイレに駆け込んだ。

しばらくして、

「うんち、でたー。」

「あら、おトイレでうんちしてお利口さんね。」

パパさんだけは

「可愛いママの口から、うんちなんて言葉が自然に出るなんて…」

と内心複雑だったが、残りの3人は拍手で盛り上がっていた。

「じゃあ、ミケさん私達出掛けるから、よろしく。また夕方ね。」

「はい、行ってらっしゃいませ。」

「いってらー。」

いつの間にかバッチリとメイクを仕上げたママさんは、パパさんと一緒に家を出た。


坊っちゃんが朝の子ども向け番組を見ている間に、洗い物と洗濯物干しを終えたミケは、テレビに夢中になっている隙に坊っちゃんの歯磨きと着替えも済ませた。

「では坊っちゃん、お出掛けしましょうか。」

「おでかけー。」

予めママさんに許可を得ておいた幼児用のハーネスリュックを背負わせ、一緒に家中の戸締まりを確認したミケと坊っちゃんは、お掃除ロボットの電源を入れて玄関を出た。

(このハーネス、売り物みたいに可愛いけど、ママさんの手作りって言ってたな…あ、ママさんそういう仕事だったわ。一応、オムツとオヤツも入れたし30分位なら余裕よね。)


マンションのエントランスを出た二人は、手を繋いで歩道を進んでいく。

保育園に通っていた頃の名残なのか、ミケの想像以上に坊っちゃんは道路に飛び出すでもなく、自分で歩いてくれた。お散歩を兼ねたスーパーまでの道のりで注意したのは、車道の方へ舞う蝶々を追いかけようとした時ぐらいだった。

「ミケ、ポンポンすいたー。」

「坊っちゃん、さっき朝ご飯食べたばっかりですよ。じゃあ、麦茶を飲んで一休みしましょう。」

まだ10分も歩いてないし、おやつでも催促したかっただけだろう…スーパーに入れば、坊っちゃんの気も紛れるはず。

ミケと坊っちゃんは件の牛乳を買いにスーパーへ入った。

坊っちゃんは、まだ歳相応の社会のルールを教えられていないかもしれないので、あまりスーパーには長居しないで欲しい…とママさんから言われていたので、ミケは足早に乳製品コーナーへ向かい、その後お菓子コーナーで小袋のラムネを1つ握らせ、

「レジでピッしてもらうまでは、空けないでね。泥棒さんになっちゃいますよ。」

「ピッいく!」

幸い、レジもさほど混まない時間帯なので、二人は早速レジに並んだ。

だが、ここで事件は起きた。スマホの決済アプリを起動させようと、ミケが一瞬ハーネスを握る手を緩めた隙に坊っちゃんがレジから駆け出したのだ。

「坊っちゃん!すみません、後で会計お願いします!」

ミケも慌てて駆け出した。そこまで広くないスーパーだが、小さな坊っちゃんを一瞬で見つけるのは容易ではない。

「あ、いた!坊っちゃん…」

ミケは坊っちゃんが道路に飛び出さず、店内に留まっていたことに安堵した。が、一瞬で血の気が引いた。

「坊っちゃん!それは売り物ー!」

「ミケ、これおいちいよ。」

ミケの方を振り向いた坊っちゃんは、惣菜コーナーの揚げ物バイキングに並べられたコロッケを両手に握り、満面の笑みで頬張っていた。

ミケは慌てて店員さんを呼び止め、平謝りし、坊っちゃんが手を付けたトレイに山盛りのコロッケを全て自腹で買い取り、店を後にした。

あぁ…このお試し期間中のお給料が吹っ飛んだニャ…

ハーネスはしっかり握っているものの、家路を急ぐミケの目は虚ろだ。一方、坊っちゃんは

「ミケー、コロッケおいちかったねぇ。」

とお腹も満たされ満面の笑みだ。

「でも坊っちゃん、ピッする前にコロッケを食べたら泥棒さんですよ。絶対にダメです。」

ミケが思いがけず自分の意見に賛同してなかったので、坊っちゃんは驚いた顔をした。

「坊っちゃん、約束です。ピッするまでは食べない。」

「…やくそく。わかった。」

ミケは自分自身が情けないやら恥ずかしいやらで、もっと感情のままに坊っちゃんを怒りたかったが、坊っちゃんの申し訳なさそうな顔を見たら、言葉が出て来なかった。

それに、スーパーに入る前に坊っちゃんの空腹を満たさなかった自分にも非がある。

「ママさんが帰って来たら、一緒にごめんなさいしましょう。」

「うん。」

それ以上言葉を交わさないまま、二人は帰宅した。


だがそこは二歳児、帰宅するなり

「ミケ、あそぼー!」

と先ほどの反省した姿は何処へやら。結局、ミケが昼食にありつけたのは、坊っちゃんが昼寝を始めた午後2時過ぎだった。

昼食のカリカリをササッと平らげると、ミケは冷凍庫の整理を始め、買いすぎたコロッケを片付けた。

(うわぁ…3日分はあるかな。ママさんに何て謝ろう…それとも、私が自腹で買ったんだし、もし契約して貰えなかったら持って帰ろうかな…)

本来なら、坊っちゃんのお昼寝タイムはミケも休憩なのだが、残念ながら今日はまだ家事が残っている。

ようやく家事が一段落し、坊っちゃんを昼寝から起こしておやつの用意をしていると、

「ただいまー。」

「あ、ママさんおかえりなさい。予定より早かったですね。」

「私の仕事、通園通学グッズのオーダーが大部分なんだけど、今は暇な時期なのよ。坊は、ミケさんに迷惑かけなかった?」

ミケは一瞬、全身の毛が逆立った。

「あの、ママさん…」

「ママー!」

坊っちゃんがリビングから駆けてきた。

「あ、この顔だとママって分かってくれる(笑)?」

どうやら、今朝の出来事はママさんにとってはもう持ちネタらしい。

「ミケ、おやつ。」

「はいはい、もうテーブルにありますよ。お手々を洗いに行きましょう。」

「あら、ミケさんありがとうね。じゃあ私、夕食の用意するわね。」

「…」

ミケは、思わず目を瞑った。すると、台所から

「あれ?ミケさんコロッケが食べたかったの?でも、スーパーでの支払いには無かった気が…」

「…ママさんすみません!全部私が悪いんです!」

「ごめんなさい!」

ふと後ろを見ると坊っちゃんまで頭を下げていた。


事の顛末を聞いたママさんは、ケラケラ笑った。

「あそこのコロッケ、いっつも美味しそな匂いさせてるもんね~。でも坊、今度したらメッ!だよ。ちゃんとお金払ってからね!」

「ごめんなしゃい…」

坊っちゃんは、ママさんの膝に抱かれて拍子抜けしたのかホッとしたのか、ここにきて涙目になっている。

「私がもっとハーネスを握ってれば…」

「まあまあ、確かに駄目だけどケガしたりさせた訳じゃないだけ不幸中の幸いよ。次からは気を付けてね…って私も同じことしちゃうかもしれないけど。あ、あとコロッケ代送金しとくわね。」

ママさんにそう言われて、ミケは驚いた。

「とんでもない!あれは完全に私のミス…」

「いいのよ、あそこのコロッケ、私もパパも結構好きなのよ。キレイに冷凍庫に詰めてくれて、ありがとうね。」

「…ママさんすみません。」

ミケは鼻の奥がツーンと痛かったし、涙を堪えるのに必死だった。

「じゃあ、夕食の前に坊っちゃんをお風呂に入れて来ます。」

「悪いわね~…ってミケさん、ちゃんと休憩してるの!?」

「はい、大丈夫です。じゃあお風呂場お借りしますね。」

ミケは、泣いてるのがバレないように、坊っちゃんを抱き抱えると急いで脱衣所へ向かった。

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