第8話 親になる覚悟

例の女性は、約束の5分程前に交番に再びやって来た。スーツほど改まってはいないが、紺色のセットアップといういわゆるきちんとした装いに着替えて。

「児童相談所の方はまだお見えになってませんので、こちらにかけてお待ち下さい。」

いつも通りの丁寧だが愛想の無い口調で、凛ちゃんが言った。彼女のこの態度は別に、怒っているわけではないらしい。本人曰く「下手に愛想を振り撒いて余計な手間を増やしたくない」のだと。確かに、凛ちゃんは美人なので少し優しくされただけで勘違いする奴が多いのだろう。


「すみません、ご厚意に甘えてしまってお手数をおかけします。」

程なくして、児童相談所の職員が交番に訪れた。定期の巡回でやって来る、もう俺とも顔馴染の男性だ。

「どうも、濱口さん。いつもお世話になります。」

「こちらこそ、いつもありがとうございます。それでは、先に巡査長からお伺いしてる、先日保護された男の子の件から…」

職員さんは、ちらりと例の女性の方を見た。女性はすっと立ち上がり、名刺を差し出しつつ一礼した。

「この度は、このような機会を頂きありがとうございます。私、大沢きよみと申します。」

「私、すずしろ市児童相談所の濱口と申します。本日は宜しくお願い致します。」

濱口さんが名刺入れの上に置いた大沢さん(落とし物を届けてくれて以来、度々お会いしてたが、俺もこのとき初めて名前を知った)名刺を拝見すると、「ハンドメイドの店 くま子」を経営しているらしい。ネーミングセンスに思わず吹き出しそうになったが、二人の話に聞き耳を立てつつ、俺は通常業務に戻った。


「それでは、率直にお尋ねします。大沢さんはどうして、例の男の子を引き取りたいとお考えなのですか?」

「こんな事を申しますと、審査に影響があるかもしれませんが、この交番で初めて会ったあの子の顔が忘れられなかったからです。」

…いや奥さん、それじゃあペットショップで犬猫選ぶ感覚と一緒じゃねえか。俺が心の中で毒づいていると、大沢さんが再び口を開いた。

「あの子が交番で保護された経緯をその後、ニュースで知りましたが普通、あの位の子なら世界の全てがママって感じでいくら親から叱られても、酷い目に遭わされていても、親の姿が見えなくなったら「ママー」って泣きじゃくると思うんです。それなのに、交番で見たあの子はあんなにお巡りさん達に懐いて飄々としていて…私に子どもはいませんのであくまでも想像に過ぎませんが、あの子が今までどんな育てられ方をしてきたのかを考えただけで、居ても立っても居られなくなって…」

大沢さんが涙声になるのが分かり、俺はさっきまで彼女の事を心の中で毒づいていたことが何となく申し訳ないような、恥ずかしいような気持ちになり、顔を上げられなかった。巡査長も交番に居たので、俺は裏口からパトロールに出た。


「大沢さんのお気持ちは分かりました。勿論、子どもは一時の同情だけでは到底育てられません。大沢さん一人ではなくご家族の皆さんのお考え、生活環境、収入、養育を希望されるお子さんとの相性…まあ、今回のケースは特殊で、親権者があのような理由で逮捕されたので、彼らの意向が尊重されない分ハードルは少し下がりますが。どちらにしても長期的な話にはなります。親になる覚悟のない人に、大事なすずしろ市の子どもを任せることは出来ませんので。」

濱口さんは、口調はもの静かなもののきっぱりと言い放った。

「勿論、あの子の人生に関わる話ですので私の気持ちと異なる結論になっても、受け入れる所存です。ただ、あの子がこれまで歩んできた人生よりも、幸せな生活を与えられるよう、私は精一杯努力する覚悟は出来ています。」

大沢さんも、さっきまでの涙声ではなく、落ち着いているが強い口調で答えた。

「とにかく、この場で私共だけで決められる事では当然ありませんので、このお話を相談所の責任者やケースワーカーさん、役所の窓口には上げておきます。何か動きがありましたら、先ほど頂戴したお名刺に連絡差し上げたら良いですか?」

「あ、すみません。携帯の番号をお渡ししますのでそちらにお願い致します。」

濱口さんが、大沢さんの名刺をもう一度見てから、こう尋ねた。

「大沢さん、お店を経営されているようですが、もし、お子さんを養育されることになった場合、保育園を探されるのですか?」

「将来的には保育園や幼稚園等に入園させたいと思いますが、もし、本当に我が家に来てくれたら里親や養子縁組が正式に決まる迄はお手伝い猫を住み込みでお願いする予定で…実はもう、お手伝いペットの派遣会社にも問い合わせをしています。」

「あぁ、この辺りでも見かけることが増えましたよね。最初は否定的な意見が多かったですけど、お手伝いペットが家事育児のサポート役として介入することで、子どもの脳や心理面にも良い影響が出ることが大規模サンプリングで証明されてから、僕らも啓発チラシ作ったりしてるんですよ。このチラシが、誰の手も借りずに親子だけでいっぱいいっぱいな状況になってしまって、虐待に走ってしまうような事案を1件でも無くしてくれれば、嬉しいんですけどね…」

チラシには、お手伝い猫に抱きしめられて嬉しそうに笑う子どもが掲載されていた。

「いい写真ですね。あの子にも、こんな風に笑える日が来てくれたら…」

大沢さんがそう言うと、濱口さんも少し口元が緩んだ。

「それでは、また後日連絡が入ると思いますので。」

「承知致しました。本日は、ありがとうございました。」

大沢さんは交番を去り、濱口さんは巡査長との定例の報告会を始めた。





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