2回目 終わり

 気の向くままに叫び終えた俺は、高鳴る鼓動を押さえつけるように自分に言い聞かせた。


(とはいえ、まだ異世界だと決まったわけじゃない。どこか知らない外国の可能性だってあるし。)


 まずは、状況の確認だ。

 周囲は一面に広がる草原。

 持ち物は、


 学校の鞄は、……無い。

 ポケットの財布は、……無い。

 スマホは、……無い。


 靴や制服といった衣服の他は、何も持っていなかった。周囲の草をかき分けて近くを探したが、落ちているなんて事も無かった。幸いと言っていいのか、血塗れになったはずの制服は、刺される前の綺麗な状態に戻っている。


(まぁ、あったとしても、異世界じゃどれも役には立たないだろうしな!)


 俺は無理やり前向きに捉えて、気分の落ち込みを回避する。

 正直、異世界とか考えて、気分を明るくしなきゃやってられない。


 だってそうだろ?

 見ず知らずの草原で一人ぼっち。

 これって普通に考えたらヤバいじゃん!


 どうしたらいいか分からない。


(そうそう、異世界といえば……。)


 俺は右手を前に突き出して力を込める。


「はぁぁぁーーー!」


 しかし、何も起こらない。

 やっぱり、都合良く魔法が使えるようになっている、なんて事は無いようだった。これは今後に期待することにしよう。


 まずは、これからどうするかを考えないといけない。

 もう一度、周囲を注意深く見渡すと、遠くに不自然に草の生えていない場所が見えた。土が剥き出しになった場所は綺麗な一直線に続いている。


(道だ!)


 俺は道に向かって走り出していた。


 ◇


 道に出た俺は、右と左どっちに進むか迷った。左の遠方には森が見える。右は緩やかな上り坂で先は見えない。


(うーん。分からないな。)


 しかし、俺の迷いはすぐに消える事になる。

 左の方から、馬車がやってきたのだ。二頭の馬は砂煙を上げながら、足音を立てて駆けてきた。


(馬車!ってことは、いよいよ異世界っぽくなってきたな!)


「おーい!!おーい!!」


 俺は期待に胸を膨らませて、両手を大きく振った。


 ◇


 その馬車は俺の前で急停止した。


(轢かれるかと、思った。)


 俺がほっと息をついて、閉じていた目を開けると、そこには馬の顔があった。その生き物は馬によく似ているが、馬よりは少し足が短く、長い立髪はくるくるとうねっている。


(おー!知らない動物だ。)


 期待していたよりは普通の動物に見えるが、人に協力的な動物というのはどこの世界でもこんなものなのだろう。


 俺が姿の違う馬に昂揚していると、馬が引いている荷台から人が降りてきた。彼らは剣を手にしていて、すぐに俺を取り囲むと、剣を突きつけてきた。


「待ってくれ!俺は何も悪いことをするつもりは無い。」


 言葉が通じる事を期待しながら、俺は両手を上げた。


「本当か?」


 大柄な男が剣を近づけながら言う。


「服装も変だしな。」


 もう一人の柄の悪い男も言った。


(言葉が通じた!)


 誰だか知らないが、この世界に俺を飛ばした神様的な何かに感謝しつつ、俺はか弱そうな表情を浮かべる。


「本当です。敵対するつもりは無いんです。」


 俺は口調を丁寧にして、命乞いをする様に言った。

 しかし、内心ではここが異世界であるという確信が持ててウキウキだった。

 剣がありふれた世界。これで魔法が有れば言う事なしだ。


「二人とも、ちょっとはその人の話を聞いてあげたら?」


 そう口を出したのは、俺と同い年くらいの少女だった。長く伸びた髪の色は白く、エメラルドのように綺麗な緑色の瞳を持っていた。

 その美しさに目を奪われて、俺は一瞬、呆然とした。


「そうですよ。どこぞの貴族の息子かもしれません。見たところ、武器も持っていないようですし、剣を下げてください。」


 後から現れたのは恰幅の良い髭を生やしたおじさんで、その立派な身なりから、すぐにこの中で一番偉い人だと分かる。おじさんの髪の色はブロンドだから、少女の父親ってわけでも無さそうだ。

 おじさんに言われて、二人の男は剣を鞘にしまった。


 ◇


「なるほど、では君は仲間に置いていかれてしまったと。」


「はい。ちょっと喧嘩をしてしまって。謝れば許してくれるとは思うんですが、何せ相手はすぐ感情的になる人だったので。」


 俺は適当な設定を作って、誤魔化した。まだこの世界についてよく知らないのに、異世界人だと明かすのには、時期尚早だと思ったのだ。

 ロールという名前のおじさんは商人だそうで、今は次の街に向かう途中らしい。旅のメンバーは用心棒と御者を兼ねたさっきの男二人とロールさん、それからサキという名の白髪の少女の4人だ。そこに俺が加わった形になる。


 ロールさんと話す中で、何となくこの世界についても分かってきた。魔王がいて、勇者もいる、剣と魔法のファンタジー世界。こう言ってはなんだが、よくある異世界だ。

 だが、それよりも今の俺の関心は、サキという美少女に向いていた。

 彼女は荷台で揺られながら、つまらなそうに外の景色を見ている。時おり風になびく長い白髪が、彼女の儚げな表情を飾り立てている。 

 実のところ、俺が馬車に乗ってから、彼女は一言も喋っていない。

 そこで、俺は彼女の凛とした可愛い声をもう一度聞くために話しかけた。


「君はなんでこの馬車に?」


 サキはチラリと俺を見たが、すぐに視線を外の風景に戻した。


(無視された……。)


 俺は落胆し、心に軽い傷を負った。


「サキは私の連れでしてね、こう見えて腕が立つので、同行してもらっているのですよ。」


 ロールさんが説明してくれたが、できればサキ自身の口から聞きたかった。


 ◆


 結局、俺はサキと一言も言葉を交わせないまま夕方になり、俺たちは小さな宿場町へと立ち寄った。


「私たちは、宿の手配をしてくるから、馬車を頼みます。」


 ロールさんは大柄な男の方を連れて行った。


「しっかりと見張っておけよ。」


「はい。」


 ロールさんは去り際、柄の悪い方の男に低い声で念を押すように言っていたが、荷物は商人にとって命みたいに大事なものだからだろうと、俺は勝手に思っていた。

 荷馬車は人目につかない所に置いてあるし、ロールさんは余程慎重なのだろう。


 ……そんな俺の楽観が、悪かったのかも知れない。


 不本意な事に、それは尿意を催した俺が、用を足してスッキリとした気分で戻ってきた時だった。

 俺は漂う嫌なにおいに顔を顰めた。今朝にも嗅いだ匂いだ。世界が違うからかなり昔の事のように感じるが、実際はつい半日前だ。

 俺は血の匂いに嫌な記憶を思い出しながらも、想定され得る最悪の事態に陥っていない事を祈りながら、荷馬車の中をおそるおそる覗いた。


 俺の嫌な予感は的中した。

 そこには血塗れの遺体があった。

 あの柄の悪い男の遺体。


 男は無惨にも死んでいた。俺はこれまでの人生で死体なんて見たことが無かったから、力なく倒れた血塗れの男を前にして、当然ながら大きなショックを受けた。

 トラウマになって然るべきである。


 しかし、そんな事よりもさらに俺を驚かせたのは、死んだ男の隣に立つ少女の姿だった。

 白髪を血の赤色に染めたサキの手には、短剣が握られていた。

 全身に返り血を浴びたサキは、ギョロっと眼球を動かして俺を見た。エメラルドの瞳は怪しい光を帯びていて、俺は目の前の殺人犯に戦慄した。


(逃げなくちゃ!!)


 俺はゆっくりと後退り、馬車の荷台にいるサキの視界から外れると、振り返って全力疾走しようとした。

 だが、恐怖で走り方を忘れてしまったかのように、足がもつれて上手く走れない。

 荷台の木が軋む音がして、見ていないはずなのに背後からサキの視線を感じる。


(誰か助けを呼ばなきゃ。)


 俺はすっかりパニックに陥っていた。


(そうだ、ロールさん、ロールさんに……)


 俺は助けを呼ぼうと全身全霊で叫ぼうとした。


「ロー……。」


 最初の一文字を発した瞬間、俺の背中には短剣が刺さっていた。

 俺は地面に倒れ込み、痛みに涙を浮かべた。


「ごめんなさい。あなたには何の恨みも無いわ。」


 背後から冷たい声がする。


「でも、もうあんな卑劣な商人に縛られたままなのはイヤなの!!」


 サキの重苦しい感情を乗せた心の叫びが、死にかけの俺の背中にのし掛かった。

 それだけ言って、サキは俺から離れて行った。


(嘘だろ?これで俺死ぬのか?)


 俺は飛びそうになる意識を必死に繋ぎ止めようとしていた。


(夢にまで見た異世界なのに、もう終わり?)


 背中から流れ出る血は、止まりそうに無いし、止める術も俺は知らない。

 もう動く力も、助けを呼ぶ力も、俺には残っていなかった。


(マジか……。)


 サキを乗せた馬が走り去る足音が、最後に耳に届いた。



 こうして俺は、異世界に来て1日も経たずに、


 ……死んだ。















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