人参 食/さくら散る頃に
この世界に神がいるのだとしたら、酷く残酷で慈悲の心さえもないのだろう。
春、卒業した先輩に代わってもうすぐ3年になる俺たちはこの学年最後の一週間を過ごしていた。
インターホンがなって誰なのかも確認せずに家を出る。
「おはよう、新」
「おはよ、涼」
"咲良"と書かれた家の表札の前で待ち合わせ学校にいく。そんな日々の繰り返しだ。でもこの幼なじみと同じクラスで過ごした一年間も、もう終わる。俺の命はあとどれくらいまで持ってくれるのだろうか。
正確な余命も分からない。けど確実に分かるのはこの病気のせいで死ぬということ。
所謂、花吐き病を患ってしまった。
2年の夏、初めて異物が込み上げてくる感覚に襲われて嗚咽とともに花を吐くようになった。それが最悪な始まりだった。
何も分からないままスマホで調べた。花吐き病、想い人のことを思って花を吐く病気。次第に花を吐く回数は増えていき、最後には呼吸さえままならなくなる。
治す方法はただ一つ、想い人と両思いになることだけ。
こんな病気、前例すらまともにないのだから病院や、他の人に言うことすらできなかった。
それでも生きるか死ぬかの二択ならば後悔する前に早く想いを言えという話だ。
それでも俺にはできなかった。
だって"絶対"に叶うはずのない恋だから。
幼なじみの同性の相手なんて誰が望んで好きになるものか。
今も、この昼休みの休憩時間に急な吐き気が襲ってきて一人トイレに駆け込んでいた。
トイレから帰ろうと少し騒がしい教室に向かってるとその教室から俺の名前が聞こえてきた。
「結局どうなの?咲良のこと好きなの?」
それほど大きい声で話してる訳では無いのに変に意識をしてしまって完全に教室に戻るタイミングを失ってしまった。
どうしよう、今ならまだ行けるかな。…そう思ってドアに手をかけようとした時、手はそのまま空を切った。
「新は大切な幼なじみだよ、好きじゃないわけないだろ」
それが憎いほど好きなあいつの声だったからだ。
そうだよな、『幼なじみ 』だもんな。
その時、タイミングよく予鈴がなって教室へ入ることが許された。
こういう幸運は求めてない。なら、最初からこの叶わない恋をしないようにしてくれれば良かったのに。あぁ…神はやっぱり残酷なんだ。
始まった午後の授業は何一つ集中できなかった。
しまいには先生から顔色が悪いから早退したほうがいいとまで言われてしまった。
なら、お言葉に甘えて、と途中で早退することにした。あと一時間の授業もまともに受けれる気はしなかった。
それでも家に帰る気にさえもなれなかった。
押していた自転車に勢いつけて飛び乗る。こういう時は気分転換するのがいいってテレビで見た気がする。そのまま波風の吹く方へ向かった。
不安定なまま自転車を砂浜に停めて海に近づく。小さい頃、いやまだ身長的には小さいかもしれないけど…それこそ幼稚園に行ってた時からここでたくさん涼と遊んだことを覚えてる。
初めて涼とここに来た時は2人で迷子になって、でも涼は泣きじゃくる俺の手を繋いで「大丈夫、新には俺がいるよ」って何度も言ってくれたのを覚えてる。もしかしたらあの時から、恋に落ちていたのかもしれない。
それから嫌なことがあったらここに来てそんな俺の話を涼が聞いてくれるまでが流れだった。
どんな話でも涼は嫌と言わずに聞いて、いつも俺の味方でいてくれた。
そういう優しいところが大好きで大嫌いなんだ。きっと俺が想いを伝えても、涼なら拒絶はしない。だからこそ言えない。
決めた、この恋は墓場まで持って行ってやる。
そう思った直後、喉の奥を締め付けるような苦しさが襲ってきた。あ、吐く。
そう直感したあと、今までとは比べ物にならないくらいの苦しい感覚に包まれて花を吐くこと以外できなくなっていた。
「…あらた?………新!」
ついに幻聴までも聞こえるようになったのか。本当になんて酷い神がいたもんだ。
でも、背中をさする暖かい感覚のせいで俺の意識は一気に現実に引き戻された。
「りょう…?」
「そうだよ、新、分かる?苦しいよな、大丈夫、大丈夫、俺がいるから」
何度も支えられてきたその大好きな声に今度は地獄に落ちたような感覚になった。
やばい、まずい、ばれた。
「りょう、ごめん、ごめん。」
口から出てくるのは花と謝罪の言葉だけだった。それでも涼は大丈夫と言って背中をさすり続けてくれた。
苦しい感覚が少しづつ引いてきて頭が働くようになった時、思い出した。
「涼、離れて、涼も花吐いちゃう、近づいちゃだめだから」
花吐き病の人が吐いた花に触れるとその人も花吐き病となってしまう。ネットで見た信憑性のない一文だったけれど、もし本当なら取り返しのつかないことになってしまう。
今ならまだ、間に合うからだから…そう言いかけたけれど静止したのは涼だった。
「それでもいいよ、新を1人で苦しませたくなんてない」
俺の吐いた花を掬いあげながら俺よりも苦しそうな顔をしてそう言った。
時間が止まったようだった。
涼には花吐き病について全部話した。夏ごろから発症したこと、好きな人のことを思う病気であること、次第に死に近づくこと、治すには両思いになるしかないこと。
でもやっぱり、涼が好きだとは言えなかった。
涼は怒るよりも先に心配してくれた。
「なんで、言ってくれなかったの」
「治るはずない病気なんて言って迷惑かけたくなかったんだよ」
まるで叶わない恋をしているのだと伝えているようにそう言うと、涼は一度、口を開いて何かを言おうとしたけれど何かを考えたようにその口を閉じてしまった。
少しの沈黙が流れる。
「それでも、言って欲しかった。」
今にも消えそうな細い声でそう呟く涼に罪悪感が生まれた。
「うん…ごめん、ごめんね涼」
「違う、…謝って欲しいわけじゃないんだ」
俺からまた出てきた謝罪の言葉を聞いてはっとしたようにこっちを向いた涼は俺の言葉を直ぐに否定してきた。
なんだよ、謝ることさえ許してくれないのかよ。酷いやつだな。
今まで味わうことの無かった幼なじみとの気まずい時間は一秒、一秒が重かった。また苦しい感覚が少しずつ戻ってきてこれに耐えるのさえ嫌になってきた。
あぁ…もう、終わりにしてしまおう。
この恋も大切にしてきたものも全部。目の前で壊れてしまう前に何もかも、全部全部全部、俺の手で終わらせよう。
そうして、顔をあげた俺は立ち上がって揺れる波に向かって行った。
「…あらた?」
後ろから聞こえる涼の声も聞こえないふりをして水が膝下まで浸かるくらいの場所まで走った。そこで耐えきれなくなってハスの花を吐いた。生憎、出てきたのはものの数輪ですぐに苦痛から開放された。
水面に揺らいで俺から離れて行く花を見ながら振り返る。
「ありがとう、涼」
弱い俺をいつも慰めてくれて、忘れられない恋をくれて、幼なじみでいてくれて、数え切れない感謝を伝えきれないほどの感謝を少しでも、残しておきたかった。
俺がまた前を向いて、奥へと踏み出したと同時に背中に温もりを感じた。
今こんな温かさをくれるのは涼しかいない。
「涼、風邪ひいちゃうよ」
「行かせない、この先だけは絶対に」
抵抗しようとするも何回も俺の事を苦しめてきた感覚がまた、襲ってくる。
手を口元にやりながら桜の花を吐いた。それと同時にこれが最期なんだと直感した。
これが神からの最後のプレゼントなのかな、最後にこれを持ってくるあたり性格が悪いと言うべきなのか…
「涼、もう離して、もう苦しいのは嫌だから」
正直、立っているのさえつらかった。だからこの苦しみから、この痛さから早く解放されたかった。
「なら、俺も一緒にいる」
何、馬鹿なことを言っているんだ。お前はお前で恋を叶えて生きていくんだよ。否定しようと思った言葉はまた涼に静止された。
「大丈夫、涼には俺がついてるから」
嘘ひとつない真面目な顔で目を合わせてくる涼を拒もうとすら思えなかった。
後ろにいた涼は横に立って俺の手を握ってくる。あの時と同じ。苦しくて悲しくてツラい俺を守ってくれたあの温かさと一緒だった。それは冷たくなっていく身体と反比例で、心地良ささえ、感じてしまった。
水をかき分けて2人で進んでいく。
もうすぐ一段下がった足が届かなくなってしまうところまで浸かってしまう。そんなところで段々と意識が朦朧としてきた。
ならもういいだろう。墓場まで持って行く予定だったけどそれも全部、バラしてしまおう。
「新、愛してたよ」
それを最後に何も考えられなくなっていって意識は途切れた。
「愛してるよ、俺だけのさくら」
繋いだままの手は何時しかその温もりさえも失っていくであろう。
水面と揺れる白銀の百合の美しさは、誰にも知られないまま散っていった。
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