第27話 わたくしだけに向ける顔
「ねぇ、少しでいいから私と話しましょう? ここのオーナーは私の父なの。最上級の個室に案内するわ」
「申し訳ございません、お嬢様。主はこの後予定がありますので、どうぞお引取りください」
「うるさいわね! 貴方には話しかけていないのよ! 下がってくれない?」
ランティス様と女性の間に立ってお断りしているヴィノ様だが、女性は全く引こうとしない。
ヴィノ様は穏やかな表情と口調で女性に対応しているが、女性の機嫌は悪くなる一方だ。
それでも女性は、ランティス様に話しかけるときは、ニコニコと笑顔を向けた。しかしランティス様は女性の方へ目線を向けることせず、ついには女性とは逆方向にある絵画を鑑賞し始めた。
怒っているようには見えないが、無の表情なのでちょっと怖く見える。
「あらら……。さすがランティス様だわ。女性に言い寄られるだなんて」
「お相手の方は貴族の方でしょうか?」
「どうかしら? それにしてはマナーがなってない気がするわ。貴族街にあるカフェだから安心していたのだけど、お客様をお連れしている時は、予定にないお店に入るものではないわね」
「ごめんなさい、お母様。わたくしが疲れてしまったばかりに……」
「あら、リシュは何も悪くないのよ? では、ランティス様とヴィノ様を助けに参りましょうか」
柱の影からこっそりと状況を見守っていたわたくしとお母様だが、なかなか女性が帰らないので、さっさとカフェを出ることにした。
店を出てしまえば女性も諦めがつくだろう。
しかし、5年後のランティス様は来る者拒まずという感じだった。特に女性に対しては物腰やわらかく対応していたのに、今のランティス様はぜんぜん違う。
軽い人のイメージだったけれど、どのタイミングで軽い人になるのだろうか?
そんなことを考えながら柱から歩き出すと、最初に反応したのはランティス様だった。
「リシュア!」
ランティス様と目が合ったかと思ったら、大きな声で呼ばれる。ランティス様の表情はまたたく間にとびきりの笑顔になり、わたくしは驚いた。
ランティス様は席から立つと、わたくしに駆け寄ってくる。わたくしの目の前までくると、ランティス様はわたくしの頬にそっと手を添えた。
「リシュア、体調は大丈夫かい? なかなか戻ってこないから心配していたんだ」
「ご、ごめんなさい、ランティス様。お母様と話し込んでいただけなの」
「そうなんだ。良かった」
ホッと息をついてわたくしに微笑むランティス様。そんなに心配をかけてたのかと申し訳なく思っていると、女性からの視線を感じた。
チラッと確認してみると、女性はポカーンと口を開けている。ランティス様の態度にびっくりしたのだろう。
しかしすぐに気を取り直した女性は、なんと話しかけてきた。
「まぁ! ランティス様とおっしゃるのね!」
あ、しまった。うっかり名前を出してしまった。
「ごめんなさい」
わたくしはランティス様に向かって謝った。女性が今、ランティス様の名前を知ったということは、お互いに名乗りをしていないということだ。
名乗り合わないということは、知り合いになりたくないという意思表示になる。ランティス様はこの女性と関わりたくないのだ。
貴族ならば、このことは幼いうちから教え込まれる。なので、相手が名乗ってくれない場合は下がらなければならないこともわかっているはずだが、この女性はお構いなしだった。
「そちらは妹さんかしら? ご兄妹で仲睦まじいのね」
ご兄妹?!
ウソでしょう。ランティス様とわたくしって兄と妹に見えてるの??
わたくしは自分でも驚くぐらいショックを受けていた。
確かに今のわたくしは幼いが、ランティス様とは2歳しか違わない。わたくしが幼すぎるのだろうか? え? 中身は17歳ですけど?!
そう思いつつ女性を見ると、女性はなぜか勝ち誇ったような表情をわたくしに対して向けてきた。
あ、これは兄妹とは思ってないわね。
そして、わたくしのことは随分と下に見ているわ。
この女性はよっぽど自分に自信があるのだろう。確かに綺麗で大人っぽい人だ。いくつかわからないけれど。
そんなことを考えていると、ランティス様に優しく抱きしめられた。驚いてランティス様を見上げるが、視線は合わなかった。
ランティス様はなんとも冷たい表情で女性を睨んでいたのだ。
5年後を彷彿とさせる表情に、わたくしの肝が冷える。自分に向けられたものではないのに、いちいち怖がってしまう自分が情けない。
すると、ランティス様がゆっくりと口を開いた。
「……先程から失礼な方ですね? この子は大事な婚約者ですが?」
いつ婚約したっけ?!
突然の宣言に固まってしまう。汗がブワッと吹き出して、みるみる顔の温度が上がっていくのがわかった。
かろうじて目線を動かすことが出来たわたくしは、女性を盗み見た。
女性は困惑していた。小声で「え? ウソでしょ?」とも言っている。何がウソなのか。いや、婚約はウソだけど。
「リシュア、夫人、店を出ましょう」
「ええ、そうね。ではお嬢さん、ごきげんよう」
「は? ちょっと待ってよ……」
ランティス様とお母様は有無を言わさぬ圧を出しながら歩きだす。わたくしはランティス様に肩を抱かれながら馬車に向かう羽目になった。
女性が色々言いながら追いかけてきたが、店員やヴィノ様に遮られていた。
馬車に向かう途中で派手な服を着た男の人に謝られたが、お母様は相手にもしなかった。
「よろしいのですか? お母様。随分謝っておいででしたけど」
「いいのよ、リシュ」
「さっきの女性の父親だろ。父親と話して女性に追いつかれては大変なんでサッサと行きましょうや」
「そうね。申し訳ないけれど」
走って戻ってきたヴィノ様が顔を歪めて言う。お母様もそれに同意した。
「申し訳ありません、ランティス様。このようなお店にお連れして」
「夫人のせいではありませんよ。気にされないでください」
「ごめんなさい。わたくしが」
「リシュア」
元々はわたくしが疲れたのが悪いのだからと謝ろうとしたが、ランティス様に止められてしまった。
「怖い思いをさせてごめんね? もうこの話はおしまいにしよう」
そう言って、ランティス様はわたくしの頭をポンポンと撫でた。その表情は慈愛に満ちたものだった。
なんだろう? 胸の奥がくすぐったい。
肩に添えられたランティス様の手がすごく温かくて、優しくて。
「さあ、ではアクセサリー店に向かいましょうか」
お母様にうながされ、わたくしはフワフワとした気分で馬車に乗った。
馬車の座席に腰掛けると、ランティス様が隣に座ってきた。わたくしは驚いてお母様の顔を見るが、お母様は微笑んでうなずくだけだった。
やがて馬車が動き出す。
ゆっくりとした馬車の動きに、わたくしは段々と眠くなってきた。
うつらうつらとして、ランティス様の肩にわたくしの髪が触れた時だった。
馬のいななきが聞こえたかと思うと馬車が大きく揺れて、馬車はその動きを止めた。
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