第21話 あなただけが最初から
夕食後、わたくしはお父様とお母様に、聞いてほしい話があることを伝えた。すると、お父様が困った顔をした。
「今からか? 書斎でも構わないか? 仕事が残っていてな」
「構いませんわ、お父様。お時間をいただきありがとうございます」
お母様からも了承を得て、書斎に連れ立って移動しようとした時、背後から声をかけられた。
「僕も同席させてください」
「ランティス殿下?」
ランティス様からお願いされて驚いているお父様。わたくしにアイコンタクトを取ってくる。お父様に対して事前に何の話をするのか伝えていなかったため、ランティス様が同席していいのか判断に困っているのだろう。
しきりにわたくしを見てくるお父様に気づいたランティス様は、わたくしを心配そうにみつめてくる。
わたくしは申し訳なく思った。
未来を変えたいと思いながらも、何も出来ずにただ泣いているだけの自分。こんな情けないわたくしを、ランティス様はずっと心配してくれている。
しっかりしなくては。ランティス様に甘えていてはいけないわ。
ちゃんと説明できる自信なんてないけれど、お母様の死を回避したいんだもの。わたくしだって頑張らなくては。
そう思って口を開こうとしたが、ランティス様にあっと言う間に距離を詰められた。
「僕も話したいことがあるんだ。一緒に行くよ」
耳元で囁かれる。耳に心地いい声が、甘えてはいけないという考えを吹っ飛ばす。ドギマギしたわたくしは、ただただうなずくしかなかった。
◇◇◇
書斎に移動して、両親にも同じ話をした。
机に向かいながら書類仕事をしていたお父様は、手が止まってしまっている。わたくしを不思議な生き物でも見るような目つきで見てくる。
書斎机の前にある来客用のソファに座っていたお母様は、キョトンとしていた。話し始める前は、わたくしとランティス様をニコニコと見ていたが、話の内容が思っていたのと違ったのか、はたまた理解が追いつかないのか、まばたきが多くなっている。
お母様と向かい合って座ったわたくしとランティス様は、静かに両親の表情を観察していた。ランティス様の後ろにはヴィノ様が恭しく佇んでいる。
「……一体何の話をしているんだ?」
お父様から絞り出された言葉は、困惑に満ちていた。
「え? 私、死んでしまうの? それにリシュに対して婚約破棄を宣言するなんてひどすぎない?」
お母様は悲しそうにしながらも、発言は物語の感想を述べるような軽いものだった。
すると、お父様がため息をついた。
「……縁起でもない。冗談でもそんなことをいうものではない」
お父様の言葉を聞いたわたくしの心臓が、嫌な音を立てた。
冗談。
冗談ではない。お母様が死んでしまうなんて、わたくしだって言いたくない。
婚約破棄されるなんて微塵も思っていなかった。
ああ、やっぱり信じてもらえないわよね。17歳までの記憶があるだなんて。
自分自身でさえ何が現実なのか、よくわからなくなっていた。
ただ、両親の反応を見てぼんやりと思ったことは、わたくしがお父様と同じ立場なら、きっと同じように思っただろう、ということだ。
「夢でも見たのだろう。話はそれだけか?」
お父様は書類に目を落としながら素っ気なく答えた。そして、カリカリと書類に文字を書く音だけが室内に響く。
夢だと断言されてしまった。そのまま仕事を再開するお父様に失望する。
娘よりも仕事。わかっている。お父様は悪気があってやっているわけではない。ただ、仕事を始めると他に関心が無くなるだけだ。お父様の悪い癖だった。
お父様は、わたくしがなにか願えば何でも叶えてくれる。しかし、理由は聞いてこない。場合によってはありがたいが、それだけ娘に対して興味が低いという表れでもあった。
お母様を見てみると、わたくしとお父様を見比べながら悲しそうな表情をしている。
「旦那様。その言い方はあんまりだわ」
「ん……」
「もぅ。またそんな返事をする。娘との会話も楽しんでくださいな」
お母様はお父様をやんわりとたしなめる。しかし、お父様は生返事をしただけだった。お母様の言い方もやはりどこか軽く、事故で亡くなるという話も他人事のように思っていそうだ。
ふたりとも、信じてくれていない。
悲しかった。
やはり、わたくしだけで足掻くしかないのだろうか? わたくしだけで未来を変えられるだろうか?
もしかしたらわたくしはまた、あのつらい日々を送ることになるのかも知れない。
お母様を亡くして、家族がバラバラになって、婚約者にも振り向いてもらえず、いじめのような侯爵夫人教育を受けさせられて、心当たりのないことで責められて、婚約破棄されて、突き落とされて――。
わたくしの顔が自然と下を向いた。
どうしてこんなに不安に押しつぶされそうなの? 言うんじゃなかった。
そう思った時だった。
「僕はリシュアの話を信じます」
ランティス様の朗々とした声が、水の波紋が広がるかのごとく、室内に響いた。
わたくしは思わず顔を上げた。ランティス様はお父様の方を見つめている。
「ロンメル伯爵。貴方の娘は夢を見たのではありません。未来を見たのです」
ランティス様の堂々とした言い方に呆気に取られた。そして、ハッとしてお父様の方を見ると、お父様もポカンと口を開けてランティス様を見ている。
「で、殿下。何をおっしゃって……」
「リシュアは何かしらの加護を持っている可能性が高いのです。そして夫人の危機を察知した。ここで真剣に話を聞かなければ、貴方は二度と戻らないものを失うかも知れませんよ?」
びっくりして固まったお父様からお母様へ視線を移したランティス様は、お母様に対しても言い放った。
「夫人。リシュアは貴女が死んでしまうと悲しんでいます。ご自分の命が危ういかも知れないのです。もっと真剣に話を聞いてくださいませんか?」
口調は穏やかだが、少し怒っているようにも感じる。脅すような言い方にお父様が慌てた。
「いや、信じていないわけではありません。リシュアがウソを付いているとも思いませんが、信憑性があまりないといいますか」
「どの辺りが?」
「ええと、トルナスク侯爵家とは派閥も違いますし、わざわざ娘を婚約させる程、重要な家柄ではない。ましてや政略結婚を強いるなどありえません。妻に関しても、彼女は恨まれるような人ではない。事故には十分気をつけないといけませんが、気をつけて防げるものでもないでしょう? もちろん、妻を失うなど耐えられないので対策は考えますが……」
「では、リシュアが語った未来に、もしなるとしたら、どのような場合だと思いますか?」
「え? ……そうですね。ロンメル家が持つ資産が欲しいとか、妻の実家であるルメストレイア公爵家との仲を悪くさせたいとかでしょうか? 他に考えられる可能性は――」
ランティス様の質問に、お父様は腕を組み考え始めた。
ランティス様とお父様の問答のような会話に、わたくしとお母様はポカンとするしかない。
そのうち、お父様の顔色が悪くなってきた。
ランティス様との会話で、最悪の状況が訪れる可能性に気づいたのだ。
ランティス様が必死に、お父様を説得してくれている。
わたくしは恥ずかしくなった。だって本来は、わたくしがやらなければならないことだったのに。
頑張りたいと思いながら、わたくしはすぐに諦めた。なんてかっこ悪いのかしら。
お父様と会話を続けるランティス様を、わたくしは眩しい思いで見つめる。
不思議だった。
どうしてランティス様は、わたくしの言葉を信じてくれたのだろう?
ランティス様からしたら、出会って一月も経っていないのに。
ランティス様は最初から、真剣に話を聞いてくれた。
「リシュ?!」
お母様がわたくしを見て声を上げた。
「どうして泣いているの? どこか痛いの!?」
そう言われて初めて、自分が涙を流していた事に気づいた。わたくしは急いで涙を拭うが、次から次へと溢れてくる。
ランティス様が慌てて、わたくしの顔を覗いてくる。
「リシュア?!」
「ご、ごめんなさい。わたくし、自分が情けなくて。……ランティス様はこんなにわたくしを信じてくれているのに」
わたくしがそう言うと、お父様が声を上げた。
「リ、リシュア。信じている。私も信じているぞ。すまなかった。私の態度が悪かったな。許しておくれ」
「お母様も悪かったわ! どこか物語を読んでいる気分になっていたの。真剣に聞くから泣き止んでちょうだい」
ふたりは慌てて言い募るが、わたくしはフルフルと首を左右に振った。
「違う、違うのです。わたくしは、わたくしは……」
その後の言葉は声にならなかった。
わたくしは気づいてしまったのだ。
両親が自分を信じてくれないことにショックを受けたのではない。
わたくしは、自分自身を信じられていないのだ。
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