第20話 ぬくもりのおかげで
わたくしがランティス様の胸で泣いていると、ヴィノ様が帰ってきた。
「今日は誰も乗せないんだって。屋敷の周囲を試験走行するだけで」
ヴィノ様の言葉を聞いて、わたくしは安心したと同時に恥ずかしくなった。
馬車にお母様が乗るのだと思い込んだのだ。ひとりで騒いで泣きわめいた挙げ句、ランティス様とヴィノ様に迷惑と心配をかけただけだった。
「ごめんなさい。わたくし――」
「いいんだよ。リシュア」
そう言ってわたくしの頭をなでたランティス様は、優しい微笑みを浮かべた。
ランティス様のその表情に、自分の鼓動が小さく跳ねたのがわかった。
◇◇◇
わたくしは、ランティス様とヴィノ様にこれまでのことを話すため、サロンへ案内した。
サロンに移動する際、通りかかったメイドにお茶の用意を頼む。
ランティス様を席へ案内するが逆にエスコートされ、ふたり仲良くソファに並んで座った。話が長引くことを考慮して、ヴィノ様にも好きな場所に座ってもらった。
何から話せばいいのかわからなかった。
17歳までの記憶があること。婚約破棄されて、婚約者の浮気相手から突き落とされた拍子に鐘の音が聞こえて、気づけば12歳に戻っていたこと。
お母様が馬車の事故に遭って亡くなること。
グシャグシャの馬車を見たこと。
わたくしの話は荒唐無稽な上に要領を得なかっただろうに、ランティス様は時々質問しながら最後まで聞いてくれた。
「明らかに神縁だろうね。儀式を行った記憶はないんだよね?」
ヴィノ様が腕を組みながらわたくしに尋ねる。
「はい。ベイスンレイスでは加護を授かること自体が大変珍しいのです。元々持っているものだなんて、お二人から聞くまで知りませんでしたし、学園でも学びませんでしたわ」
「いや、その、レインフォレストに行ったこととかない?」
「? ありませんわ。どうしてですの?」
もしかして儀式ってレインフォレストでしか出来ないのかしら?
「う~ん……。その、殿下に連れてもらったりとかは……」
「ランティス様とはそこまで親密な関係ではありませんでしたの」
ヴィノ様は何が聞きたいのだろうか?
ヴィノ様はわたくしに尋ねながらも、ランティス様をチラチラと確認している。しかしランティス様は、腕を組んだままずっと床を見ているようだった。
何か考え込んでいるのだと思うが、こころなしか顔色が悪い気がする。
「ランティス様?」
心配になり呼びかけると、ランティス様が顔を上げた。
「ああ、すまない。少しショックで」
「え?」
「どうして僕がリシュアの婚約者じゃないんだろうかと思ってね」
「へ?!」
するとランティス様のその言葉に、ヴィノ様がうなずいた。
「そうだよね~。だってお嬢さんは殿下の番なのに。なんで殿下以外の男と婚約してんの?」
んん!?
わたくしはヴィノ様の発言にびっくりした。
番とは確か、運命の相手……ってランティス様は言っていたわよね? あ、そうか。だから、ランティス様からしたらわたくしは結婚相手になる……。
けっこんあいて??
自分で導き出した答えに、一瞬で顔から火が出た感覚がした。
「未来の僕は一体何をしているんだ?」
「殿下が許すはずないもんねぇ。何か理由があったとしか思えないけど」
「あ、いや、あの、お父様がお話を持ってきたのです。政略結婚ですわ。お相手の方もわたくしとは仲良くするつもりはなかったみたいで」
説明のためにと思って放った言葉だったが、ランティス様の方から冷ややかな風が吹いてきた。
「リシュアはそもそも番のことがよくわかっていないから仕方がない。父君が持ってきた話ならば、断れるものでもないだろうし。貴族の結婚など、ほとんどが政略だ。でも、僕は違う。別の男に、しかもリシュアを愛してもいない男に取られるなどと、僕は何をやっていたんだ……?」
「ロンメル伯爵を説得しきれなかったんですかね? その婚約者もどきは借金まみれの侯爵子息なんでしょ? いくら殿下が元敵国の皇子でも、殿下に嫁ぐほうが待遇は良いと思うんだけどなぁ」
ランティス様の顔がだんだんと険しくなってくる。睨まれているわけではないし、明らかにランティス様は自分自身に対して怒っているのだが、なぜか、わたくしの背筋は凍りそうだった。
「ラ、ランティス様とは出会う前でしたので、いや、ランティス様はもう学園にいらしてたかしら? その、ランティス様とは友人関係でした」
「解せない」
どうして?
頭を抱え始めたランティス様に、わたくしは慌てた。
「僕は今、君と出会って、君が自分の番であることもわかっている。番は唯一無二の存在だ。誰かに奪われるなど正気を失ってしまうかも……」
なんだか怖いことを言っている。
ひとりでブツブツ言い出したランティス様に困惑していると、見かねたヴィノ様が明るい声を出した。
「まあまあ殿下。その話はおいおい考えましょうや。今はロンメル伯爵夫人の事故をどう防ぐかを優先しましょ」
「そうだな。リシュア。その、思い出したくないとは思うが、夫人の事故について話してくれるかい?」
闇オーラをまとっていたランティス様は、ヴィノ様の提案を聞いて、いつもの神々しい姿を取り戻した。
わたくしも安心して、お母様の事故を話そうとしたが言葉に詰まってしまった。
なぜならわたくしは、お母様の事故を覚えていないのだ。
「ごめんなさい、ランティス様。実はお母様の事故のことをまともに覚えていないのです。時期としては学園入学前にはいなかったので、もうすぐだと思うのですが……」
「覚えていないの?」
「は、はい。実は12歳頃の記憶があやふやなんです。ランティス様と出会ったことも、その、覚えていなくて……」
言ってから後悔した。
ランティス様のことを覚えていないという話は、別にしなくても良かったよね? なぜ、言ってしまったの、わたくし。
ちらっとランティス様を見やると、ランティス様はやはりというべきか、ショックを受けていた。
「ご、ごめんなさい!」
「いや、うん、いいんだ。……うん」
呆然とさせてしまったことが申し訳なくなったわたくしは、慌てて言葉を続けた。
「わたくしも考えたのです! なぜ、覚えてないんだろうって。もしかしたらお母様を亡くしたことでショックが強すぎたのかも知れません。ランティス様のことだけではないのです。弟たちも気づいたら家にいなくて、お父様に聞いたら領地にいるってことでしたし」
「そうなの?」
「お母様の事故もお父様から聞いたのです。馬車の整備不良だったって」
わたくしが一心不乱に話していると、ヴィノ様が疑問を投げかけた。
「じゃあ、整備不良で事故を起こしたかどうか、正確にはわからないんだ?」
「え?」
「ロンメル伯爵がそう言ってただけなんでしょ? 本当かどうかわかんなくない?」
「ヴィノ」
「いろんな可能性を考えたほうがいいと思いません? それに事故に見せかけた殺人なんて、貴族の世界では割とよく聞く話よ?」
「ヴィノ!」
ランティス様が声を張り上げた。だが、ヴィノ様は怯まない。わたくしは呆然としていた。
「リシュア。ごめんね。ヴィノが色々言ってるけど、怖がらないで」
ランティス様のいたわる声に、わたくしはハッとした。ランティス様はわたくしを守るかのように肩を抱いてくれている。
「……大丈夫ですわ。怖がっていません。むしろ、良い助言をいただいて感謝したいぐらいですわ」
ランティス様の手のぬくもりが伝わってくる。そのおかげか、不思議と怖くなかった。
ヴィノ様の疑問は至極もっともだ。わたくしも噂程度には聞いたことがあったのに、考えが及ばなかった。
いいや、考えたくなかったのだろう。
きっと、ランティス様に打ち明ける前にこの考えに及んでいたら、わたくしはパニックを起こして恐怖に打ち負けていたはずだわ。
「ランティス様も、その可能性は考えついていらっしゃったのでしょう?」
静かに問うと、ランティス様は悲しそうな表情になった。
「わたくしのことを思って黙っていてくださったのですね。ありがとうございます」
ランティス様だって殺されかけた経験がある。わたくしの話を聞いてすぐに思い至っただろうに。
ランティス様の優しさが嬉しい。そう思ったら、感謝の言葉が口から出ていた。
すると、ランティス様に抱き寄せられた。しかし、すぐに身体が離れる。
ランティス様は厳しい表情をしていた。わたくしの目を見て諭すように話す。
「リシュア。この話は僕たちだけで抱える問題じゃない。ロンメル伯爵夫妻にも相談しよう。特に夫人はご自身の命に関わることだから。いいね?」
わたくしはランティス様の真剣な姿を見ながらコクンとうなずいた。
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