第19話 縋りたい
わたくしは、少し先の未来で見たボロボロの馬車を思い出していた。
客車の損傷が一番ひどかった。中に人が乗っていたら間違いなく命はないだろう。いや、乗っていたのだ。誰が被害を受けたのかもわたくしは知っている。
お母様だ。わたくしはお母様を助けたい。
でも、どうしてだろう? お父様は確かに馬車の整備不良が原因だと言っていたはず。だからわたくしは、お父様に馬車の整備をお願いしたのだ。
お父様は願いを叶えてくれた。先程、職人たちが馬車の整備をしていたもの。
そのことを思い出したわたくしは、窓の外に目を向けた。
現代に帰ってきたのならば馬車の整備が行われているはずだ。そう思って窓の外を覗いたのだが――。
馬車がない。
わたくしは息を呑んだ。
馬車はどこにいったの?
わたくしが未来に行っていた少しの間に、馬車は移動してしまったようだった。
「リシュア?」
ランティス様が背後から、わたくしに声をかける。声は聞こえているが、わたくしは反応できなかった。
余裕がないのだ。身体がガタガタと震えだす。
未来では事故が起こっていた。整備をしただけでは事故が防げなかったということだ。馬車に乗ってはいけない。特にお母様は乗ってはいけない。
わたくしは走り出した。馬車の居所を知りたいのだ。
「リシュア?!」
「え、お嬢さん! どこ行くの!?」
「馬車はどこですか!? お母様が死んでしまう!」
後ろからランティス様とヴィノ様の戸惑った声が聞こえた。この2人なら馬車の行方を知っているかもしれないと瞬時に判断したわたくしは、うっかり告げてしまった。
「待って、リシュア! どういうこと!?」
「馬車ならあっちにいったよ!」
ランティス様とヴィノ様は、あっという間にわたくしに追いついた。ランティス様は左から心配そうに聞いてくる。ヴィノ様はわたくしの右側を走りながら、本館のエントランスがある方向を指差して教えてくれた。
まさか、今から誰か馬車に乗るの?
お父様は朝から王宮に出仕しているし、幼い弟たちが乗る場合は、昨日からはしゃいでいたはずだ。しかし、そんな様子はなかった。
お母様が馬車に乗るの!?
乗ってはダメだ。事故に巻き込まれる。お母様!!!
そんな思いとは裏腹に、わたくしはランティス様たちから遅れだした。わたくしは足も遅い上に体力もないのだ。
「はぁっ。はぁっ」
エントランスが遠い。馬車に追いつきたいのに足がはやく走ってくれない。
お母様を止めなければ。馬車に乗らないで。死んじゃ嫌だ。
涙が溢れてくる。
「うっ。ひっく」
泣いている場合じゃないのに。どうしたらいいの? 誰か助けて。
すると、突然ランティス様がわたくしの腕を掴んだ。掴まれた反動で、フラフラのわたくしはランティス様の胸に飛び込む形になった。
「ランティス様……何を」
「ヴィノ!」
「はっ!」
「馬車を見つけて足止めせよ」
「かしこまりました」
ランティス様から命令を受けたヴィノ様は、返事をするなり目にもとまらぬ速さで駆け出した。
瞬き一つする間に姿が見えなくなったヴィノ様。わたくしはポカンと口を開けたままだった。
「速い……」
「彼は馬だからね。走るのは得意なんだよ。リシュアは走るの得意じゃないんでしょう? こういうときは得意な者に任せるほうがいいんだよ」
ランティス様はわたくしを優しく抱きとめながら、なだめるようにわたくしの頭をなでた。
「ヴィノが止めに行ってくれた。だからリシュアは僕と歩いて行こう?」
ランティス様は微笑んだ。その微笑みは慈愛に満ちている。声も穏やかで優しい。わたくしをなだめる両手は、いやらしさなど一切ない、温かいものだった。
ランティス様の体温は心地よく、わたくしは先程の焦りが少し落ち着いてきた。
けれど、現状が何も解決していないことも理解していた。
ランティス様の微笑みを眺めながら、わたくしはまた、涙が溢れそうになってくる。
ランティス様に縋りたい。でもそれは、迷惑をかけることになるのではないかしら?
今のランティス様は、わたくしのことをこれでもかと甘やかしてくれる。嬉しい反面、気恥ずかしかった。
それに、わたくしの内面は17歳なのだ。今のランティス様は14歳。年下の子に縋るなんてしても良いのだろうか?
ランティス様だって色々と問題を抱えている。そんなランティス様に寄りかかっていいの?
「リシュア?」
「うっ。ふっ」
涙をこらえようとしたが、ポロポロと溢れる。心配そうな表情に変わったランティス様を見て、申し訳ないし情けなくなった。
お母様を助けたい。でも、どうしたらいいかわからない。
事故ってどうやって防いだらいいの?
「リシュア」
「ラン、ティス、さ、ま」
わたくしの状態を見かねたランティス様が、優しく抱きしめてくれた。それから、背中をポンポンと軽く叩いてくれる。
わたくしはどうすることも出来なくて、されるがままになっていた。すると、ランティス様が口を開いた。
「ねぇ、リシュア。事情を話してくれないかな? 君は僕に何か伝えたいのではない? 僕はね、君が話してくれるまで待つつもりだった。でも、無理そうだ。そんなつらそうな君を見過ごせない」
ランティス様の手に力が入った。わたくしは何も反応ができないでいた。
縋りたい。でも、迷惑はかけたくない。
お母様に死んでほしくない。でも、どうしたらいいかわからない。
「教えてくれないかい? それとも僕では頼りない?」
そんなこと思ったことない。
わたくしは首をブンブンと振って否定した。ランティス様は身体を離すと、わたくしの顔を見つめる。
「僕を頼って」
わたくしを見つめるその表情が、少し未来で見たランティス様と重なった。
ああ、そうだわ。あの時、ランティス様は同じことを言っていた。
『過去に戻れたなら僕を頼ってほしい。絶対に君の力になる』
ランティス様の言葉を思い出したわたくしは、力なく下げていた腕をランティス様の背中にまわした。
「――助けて、ランティス様! お母様が死んでしまう!! どうしたらいいかわからないの!!!」
縋ってしまった。甘えてしまった。ランティス様をわたくしの事情に巻き込んでしまった。
しかし、そんな後悔をランティス様は一言で飛ばしてくれた。
「わかった。一緒に考えよう」
わたくしはランティス様の返事を聞くと、声をあげて泣いてしまったのだった。
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