第22話 わたくしの味方
階段から突き落とされて、鐘の音を聞いたあの日から不安だった事がある。
今の生活はすべて、夢なのではないか、と。
穏やかな生活。お母様が生きていて、弟たちもいて、お父様は忙しそうだけど、夕食には帰ってくる。
お母様が亡くなって弟たちが領地に行ってしまってから、侯爵夫人教育が始まるまで、わたくしはひとりでご飯を食べることが多かった。
家族揃っての食事は、わたくしにとって良い思い出でもあるし、失くしてからは憧れる風景でもあった。
ランティス様とこんなに仲良く過ごせることも、信じられなかった。
ランティス様は私に対してずっと優しいし、気遣ってくれる。
わたくしの態度はすごくギクシャクしていただろうし、関わらないように線を引こうとしていたことも、ランティス様はわかっていたはずだ。
好かれる要素なんて一切なかった。けれどもランティス様は、わたくしに対して思いやりを持って接し続けてくれる。
ニコニコと笑いかけてくれるし、大切にしてくれていることを、ひしひしと感じていた。
わたくしの知るランティス様と全く違う。暗く光のない瞳で睨まれることもない。笑顔も見せず、終始不機嫌を隠さなかったランティス様と同一人物だと思えない。
わたくしはランティス様ともう一度、普通に話したかった。
今、それが叶っている。
信じられなかった。
何もかもが自分に都合が良すぎる。
本当は、階段から突き落とされてすでに死んでいるのかも知れない。ランティス様に助けられたことも実は夢で、今のこの幸せもわたくしの願望が見せる夢なのかも知れない。
タイムリープしてやり直せるなんて、嘘よ。12歳のわたくしに17歳のわたくしがいるなんてありえない。
わたくしはうっすらとどこかでそう思っていたのだ。
説明できなかったのは、わたくしが信じていなかったから。周りに言ったところで信じてくれるはずがないと、心のどこかでそう思っていたからだ。
なのにランティス様は疑うこともしなかった。真面目にわたくしの話を聞いてくれた。一緒に考えようとしてくれて、今だって、こんなに必死になってくれている。
ランティス様は、わたくしよりもわたくしの味方になってくれたのだ。
わたくしは自分が情けなかった。同時に嬉しかった。
現実ではありえないわたくしに、夢じゃないよ、ここにいてもおかしくないんだよ、と言ってもらってるみたいで。
17歳までの頑張ってきた自分も幻じゃないんだよと、言ってくれてるみたいで。
「うっく。ひっく……」
「ああっ。ごめんなさい、リシュ。こんなに泣くなんて。お母様が悪かったわ」
お母様はわたくしの所まで駆け寄ってくれた。ソファに座るわたくしを見上げる形で膝をつくと、心配そうに見つめてくる。
お父様は駆け寄ることはしないが、オロオロとしている雰囲気が伝わってきた。
「夫人。リシュアを休ませましょう」
「そうね。そうしましょう」
「……っ。待って、待ってください」
ランティス様の提案に、お母様が反応する。説明はしたものの、お母様の事故を防ぐ対策についての話がまだだったため、わたくしは拒否をしようとした。
「安心して、リシュア。後は僕がやっておくから」
「でも」
「行きましょう。リシュ。お母様もお部屋までついていくわ」
「夫人はダメです」
「え?」
わたくしに付き添う気満々だったお母様は、ランティス様からダメだと言われてびっくりしていた。
「夫人は明後日、僕らと一緒に馬車に乗るのですから、今から対策を話し合わないとなりません」
「わ、わかりましたわ。だれか、リシュに付き添ってあげて」
お母様は渋々といった表情で、部屋の隅にいた侍女を呼んだ。
「ヴィノ。君もリシュアに」
「かしこまりました」
「……部屋まで入るなよ?」
「……入りませんて」
ランティス様はヴィノ様に声をかける。りりしい表情で真面目に立っていたヴィノ様だったが、ランティス様の思いがけない一言に表情を崩した。
わたくしはそのまま書斎を退出した。
侍女に付き添われながら廊下を歩いていると、ヴィノ様が話しかけてきた。
「お嬢さん大丈夫? はい、これ」
そう言って渡してきたのは上質な布のハンカチだった。
「殿下からだと思って使ってください。本当は俺のなんだけど。ヤキモチ焼くから、あの竜」
「フフッ。そうですわね。では、ありがたく頂戴しますわ」
わたくしはハンカチを受け取ると、涙をそっと拭いた。
「ヴィノ様。今回は色々と申し訳ございません。わたくしの勘違いで走らせた上に、不思議な話を聞いていただいて。ランティス様にもご迷惑を」
「いいの、いいの。俺はともかく、殿下はお嬢さんにいいところを見せたい欲もあんのよ。むしろガンガン迷惑かけちゃえばいいと思うよ」
軽い言い方に笑ってしまう。そういえばヴィノ様も、最初からわたくしの話を信じてくれていたな。
「ありがとうございます。信じてくれて」
そう思ってお礼を述べたのだが、ヴィノ様の返事は意外なものだった。
「いやぁ、俺も殿下がいなけりゃ聞き流してたよ?」
「え」
「殿下が真剣だったから、合わせてただけ。だって俺、お嬢さんのことよく知らないし。こんなに泣くほど追い詰められてると思ってなかったし、お礼言われちゃうと逆に申し訳なくなる」
「そう、だったんですか……」
「そのお礼は殿下に言ってあげて? きっと喜ぶよ~」
なんだかちょっぴりショックな気もするが、だからこそランティス様への信頼が増したようにも感じる。
「もちろんお礼はします。ですが、どうしてランティス様はわたくしのことを信じてくれるのでしょうか? ……番だからですか?」
ヴィノ様に聞いたところで知らないと言われそうだが、わたくしはポロッとこぼしていた。
しかしヴィノ様は即答だった。
「惚れた弱みってやつさ~」
「ほれ……」
「そう、だからさ。もう少し甘えてあげてよ。男は好きな女から頼られたい生き物なんだからさ」
「そんな! ランティス様のご負担が増えます! 今回だってわたくしがしっかりしなくてはならなかったのに、ランティス様に任せっぱなしで、情けなくて」
自分の家族のことなのに、わたくしは早々に部屋から退出してしまった。不甲斐ない自分にイライラする。
「お嬢さんは甘えることが苦手なのかな? じゃあさ。殿下が困ってたら助けてあげて?」
ヴィノ様の何気ない提案に驚く。しかし、わたくしに出来ることなんてあるのだろうか?
そんな心配をしたからか、わたくしは自然と顔を下げていた。
「もちろん、ランティス様のお力になりたいです。お役に立ちたい。でも、わたくしには自信がありませんわ」
「大丈夫だって。簡単だよ。例えばさ、殿下の今一番の悩みって『雷帝』の制御なの」
「確か、コントロールが難しいとおっしゃっていましたわね?」
「コントロールが悪いのはそこまで深刻じゃない。一番怖いのは殿下が我を忘れることなんだ」
「我を忘れる?」
「そう。『雷帝』は魔力が強い上に、攻撃的な性質を持つんだ。殿下はなるべく理性を保とうと心がけているけど、儀式前に覚醒してしまったから他の人より難しくてね。我を忘れて『雷帝』の力を使ってしまった場合、最悪、国がひとつ無くなってもおかしくないんだ」
「お待ち下さい。それは、わたくしなんかが解決出来るものだとは思えませんが? わたくしには解決策なんて思いつきませんわ」
「策なんて考えなくていいよ」
ヴィノ様が何を言いたいのかわからない。
ニタニタと笑うヴィノ様を不思議に思いながらも次の言葉を待ったが、その言葉を聞いてしまったわたくしは倒れ込みたい気分になった。
「殿下が我を忘れたときは、お嬢さんのあっついキスを捧げてあげて、ね?」
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