第10話 本当は




 夕食を済ませたわたくしは、自室へ帰るため廊下を歩いていた。


 その足取りは重いものだった。


 5年後のわたくしは何も見えていなかった。そしてそれは今でも変わっていない。そんな状態でやり直しが上手くいくのだろうか?


 とりあえず馬車の整備についてはお父様に伝えられたが、他の目標についてはまったくもって自信がなくなってしまった。


 友達を作ったところで、ランティス様の時のように何かやらかして嫌われてしまっては意味がない。

 グラード様との婚約も回避したいが今の所良い案はないし、どうしたらいいんだろう?


 色々と考えていると、わたくしの肩に何かが触れた。ランティス様の手だった。


「リシュア。フラフラしているよ? 大丈夫かい?」

「ランティス様……」

「部屋へ帰るんだよね? 送るよ」


 ランティス様の手は温かくて、大事なものに触れるような優しいものだった。


 また気遣わせてしまった。


 わたくしはランティス様に向き合いジッと顔を見つめる。


「どうしたの?」


 ランティス様はそう言いながら微笑んでくれる。


 ランティス様の方がきっと大変だろうに。


 殺されかけて、文化や慣習の違う元敵国に逃げて来ているのに、わたくしを気遣って優しい行動や言葉をかけてくれる。


 なんて出来た人なのだろう。


 人を簡単に傷つけるわたくしが、関わって良い方ではない。


「そうだ、リシュア。今度街へ出かけないかい?」

「……街へ?」

「うん。色々見てみたいんだ。良ければ案内してくれないか?」

「ごめんなさい」

「すぐに行こうとは言っていないよ? 体調のこともあるだろうし、僕は――」

「……申し訳ありません」

「リシュア……」


 気づけばわたくしはうつむいていた。ランティス様の顔が見られない。どう接したらいいのだろう。今のわたくしには判断がつかない。


 ランティス様は黙り込んでしまった。わたくしも動けない。空気が重い。


 するとランティス様が口を開いた。


「リシュアは僕が怖い?」

「え!?」


 そんなことを尋ねられるとは思っていなかったわたくしは、驚いて顔をあげた。


 わたくしの目線の先には、悲しそうな表情のランティス様が立っていた。


「君はずっと僕に対してビクビクしているよね? 気のせいかな?」


 わたくしは息を吸った。その時ヒュッと小さく音がなった。


 ランティス様はわたくしから目線を外し下を向く。


「お茶会の時も緊張していたよね? あのときは僕も緊張していたし、僕の身分のこともあっただろうし、それはいいんだ。でも、ずっと気になってて」


 動悸が止まらない。冷や汗が頬をつたっていく。


 うまく隠せていると思っていた。悟られないように、堂々と振る舞っていたつもりだった。


 笑顔がやっぱりぎこちなかったのだろうか? そもそも、そんなにビクビクしていたつもりもなかった。


 しょんぼりしたランティス様を見つめながら思い返していたが、いくら考えてみても答えは出ない。


 ああ、どうしよう。やらかした。また、嫌われる。この人にまた――。


 足元から凍っていく。頭の中は真っ白で、声も発せないわたくしはただただ立ち尽くしていた。


 そんなわたくしに向かって、ランティス様は意を決したように顔を上げた。


「獣人の僕はやっぱり怖いよね?」

「……へ?」


 またもや思ってもみなかった言葉を投げかけられ、わたくしは間の抜けた声を出していた。


 しかしランティス様は、そんなわたくしを置き去りにしてどんどん話しだした。


「噂には聞いていたんだ。僕たち獣人は怖がられているって。特にベイスンレイスとは戦争もしていたわけだし、あまり良い感情は持たれてないとは思っていたんだけど、こんなに怖がられるとは思っていなくて」

「え? あの」

「特に僕は竜だし、同じ獣人からも実は怖がられているし。でもね、荒っぽいことはしないよ? いや、君を傷つけられたら怒り狂うかもしれないけど」

「んん?」

「君は僕の大事な番なんだ。大切にしたい人だから、怖いことはしないよ?」

「えっと、ランティス様?」

「獣人の僕のことは受け入れられないかもしれない。でも、チャンスが欲しいんだ。獣人というくくりじゃなくて僕自信を見て欲しい」


 まくし立てるランティス様の姿は普段の落ち着いた感じからは程遠く、少しワタワタした身振り手振りが可愛らしく見えた。


 しかし、そうさせているのはわたくしなのだと思ったら申し訳なくなった。


 種族は関係ない。怖がっている原因は別にあるのだ。ランティス様は何も悪くない。私の方に問題があるのだ。


「ごめんなさいランティス様。わたくし、獣人族のことや、レインフォレストの皆様に何か抵抗があるわけではないのです」

「え? ……じゃあ、僕の容姿が……生理的に受け付けない?」


 待って。自分自身をそんなに貶めないで。


 わたくしは慌てた。だからだろうか。ポロッと言ってしまった。


「そんなことありません! ランティス様のお顔はキレイで、男前で、スッとした鼻筋に涼し気な色気のある目元が素敵ですわ! これで14歳なんですの!? すごくないですか!? ずっと見ていられますわよ?!」


「……」

「……」


 少しの間お互いの顔を見つめ合っていたが、わたくしはジワジワと我に返った。


 ランティス様はぽかんとした表情をしていたが、自分の発言に引いてしまったわたくしはそっと目線をそらした。


 いや、本当にわたくしは何を言っているのだ。変態じゃないの。


 だがこれが本心だ。そもそもランティス様の容姿は、わたくしの好みど真ん中である。


 顔も身体もアツアツだ。きっと熟れたりんごのように真っ赤になっているのだろう。何も言わないランティス様が気になって、チラッと盗み見た。ランティス様は解せないといった表情で困惑していた。


「じゃあ、どうしてそんなに怖がっているの?」

「それは」


 言葉にするために頭の中で文章を組み立てていく。


 ランティス様のことが怖いのではない。わたくしが怖いのは――。


 そう思った途端、頭にかかった霞が晴れるような感覚がした。


「わたくしが怖いのは……あなたに……嫌われること……」


 自分の口から出た言葉にわたくしは驚いた。ストンと腑に落ちたのだ。


 そうか。わたくしは失うことが怖かったのね。


 ランティス様と仲良くなることに抵抗があったのは、仲良くなってもまた嫌われて、友達を失うことを怖がっていたのだ。


 ランティス様に対して変に緊張していたことも、嫌われないように気を張っていたからなのだわ。そんなに意識しているつもりはなかったのだけど。


 嫌われる前と後の落差もひどかったものね。優しいランティス様を知っているからこそ、憎悪に満ちた眼差しを向けられたときは、心臓が止まるかと思ったもの。


 わたくしに対してだけ明らかに態度が冷ややかだったのも辛いものだった。


 謝ればよかったのかもしれない。だけど勇気が出なかった。どうしたらいいのかもわからなかったから避けていた。


 わたくし、本当はランティス様と仲直りがしたかったのだわ。







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