第6話 ランティス殿下とお茶を飲む




 翌日。


 わたくしは、本邸のテラスに居た。


 本日も快晴で、サンサンと太陽の光が降り注いでいる。テラスからは立派な中庭が見渡せた。


 大きめのガーデンパラソルの下には、クロスの掛けられたテーブルと、クッションが敷かれた椅子が2脚置かれていた。

 テーブルの上には皿が三段のせられるスタンドと紅茶が用意されていて、皿の上にはケーキやスコーンが並び、陽の光を受けてキラキラと輝いている。


 わたくしは椅子に座り、ぼんやりとしていた。


 ああ、穏やかだわ。


 婚約破棄されて階段から突き落とされたことが、すべて夢だったのではと疑うほど、のんびりとした時間が流れていた。


 あれから鐘の音がすることもなく、すでに1日が過ぎている。1度眠って朝起きたときには17歳に戻っているのではと期待したが、そんなことはなかった。


 そもそもわたくし、帰りたいかしら?


 帰れたところで、婚約破棄された傷物令嬢だし、グラード様やメロディナ様と会いたくない。


 2人は捕まっていたけれど、現実なのかどうか疑わしかった。実はわたくしの願望が見せた夢かもしれないものね。


 そう考えれば、17歳に戻るよりも12歳からやり直せばいいのでは……?


 いや、そもそもやり直せるものなの?


 わたくしは恋愛物語が好きで、よく読んでいた。その中には時間を遡る話もあって、主人公たちは悲惨な未来をやり直そうと突き進んでいく。


 だったらわたくしも、グラード様と婚約しない方向に持っていきたいわ。お母様だって死なせたくない。そういえば、お母様っていつ、馬車の事故に遭うんだったかしら?


「リシュア嬢」

「……はっ、はい!」


 わたくしが色々考えていると背後から声を掛けられた。驚いたわたくしは慌てて椅子から立ち上がる。


 振り向くと、花束を持った黒髪の少年が立っていた。


「隣国レインフォレストから来ました、ランティス・テオ・レインフォレストと申します。どうぞ、気軽にランと呼んでください。今日は僕のわがままを叶えてくれてありがとう」


 そう言ってランティス殿下は微笑んだ。髪は5年後よりも短めだが一つにくくっている。白いシャツは一番上だけボタンを外し、ベストとズボンは紺色で揃えていた。


 対するわたくしは、リボンタイがついた白いブラウスに赤いスカートをはいていた。そのスカートをつまみ上げ、カーテシーをする。


「ロンメル伯爵家の長子、リシュア・ロンメルと申します。先日はありがとうございました」


 ランティス殿下から花束を受け取り、椅子へと促す。受け取った花束はどの花もわたくしの好きなものだった。


 なぜ知っている。


 疑問に思いランティス殿下を見やると目があった。


「花束は気に入ってもらえたかな? 君の母君から好みを聞いたんだけど」

「そ、そうなのですね。ありがとうございます」


 人の好みを事前に調べて用意する。そういえば、そんな気遣いのできる人だったわね。


 嫌われてからのイメージが強すぎて戸惑ってしまうが、本来の彼は物腰の柔らかい方で、女性への接し方も文句のつけようがない完璧な男性だった。


 獣人だけど学園では女性からの人気がすごくて、常に囲まれていたわね。言葉は悪いが、わたくしには侍らせているようにも見えていた。


 そんな方が、わたくしとグラード様の交際にグチグチ言ってきたものだから、複雑な気分だったわ。


 ぼんやりと思い出していたら、きょとんとしたランティス殿下と目があった。


 ハッとしたわたくしは侍女に花束を渡し、自分も着席する。とりあえず何を話そうかと思っていたところ、ランティス殿下から尋ねられた。


「体調はどう? 熱がひかないと聞いて心配していたんだ」

「ご心配をおかけいたしました。3日間程寝込んでいたらしいのですが、実は全く覚えていないのです。今はこの通り、元気になりましたわ」


 だから、安心して寝てください。


 そう思いながらニコリと笑ってみせる。


「先日は助けていただいて本当にありがとうございました」

「ううん。たいして何も出来なかったよ」

「そんなことはありませんわ。あの時とても苦しかったのです。今日のお茶会はお礼の印です。どうぞ召し上がってくださいませ」


 よしよし。これで今日の茶会の目的は達成できただろう。


 するとランティス殿下から盛大なため息が漏れた。


「……それにしても本当に良かった。健康の神に祈って良かったよ」


 健康の神って何です?


 レインフォレストは自然崇拝の国ではなかったか。健康の神とやらは一体何に分類されるの。そんな疑問は浮かんだものの、聞き始めたら茶会が長引きそうな気がして、湧き上がる好奇心を抑え込む。


 実を言えばわたくしは、いくばくか緊張していた。


 ランティス殿下との会話にあまり良い思い出がないのだ。


 穏やかに話せていた期間もあるにはあるが、短すぎるせいか記憶が薄い。確か、最初に様子がおかしいと思ったのは、グラード様の話をしたときだった。


 グラード様の話題を出すたびに、ランティス殿下の瞳の光がなくなっていくような感覚がしていた。そして不機嫌を隠さなくなって、最終的には「嫌い」と言われたのだ。


 グラード様と不仲だったという話は聞いたことがないが、グラード様のことが嫌いだったのかも知れない。


 現時点でグラード様の話をすることはないだろうが、自分が思っていたより不安が強いようだ。わたくしは茶会を早く終わらせたかった。


 こんな考えはやはり失礼だろうか。


 そう思い、ランティス殿下をよく見ると、目は潤み、目の下にはうっすらとクマが出来ていた。唇も少し荒れていて、顔色も悪い。


 わたくしとお茶を飲むよりお休みになったほうが良いんじゃないかしら。


 やっぱり茶会を早々に切り上げよう。わたくしは口を開いた。


「ランティス殿下、その……」


 するとランティス殿下は、安堵の表情から悲しそうな表情に変わり、わたくしは困惑した。


「ラン、と呼んでほしいな」

「え? いえ、その、婚約者でもないですし」


 するとランティス殿下はあからさまにシュンとうなだれた。


 なぜそんな残念そうにするの。いくらなんでも段階をすっ飛ばしているし、愛称呼びのハードルって高いのよ。


 ランティス殿下の行動に戸惑い何も言えなくなっていると、ランティス殿下が顔を上げた。


「では、ランティスで構わないよ。殿下は不要だ」

「わ、わかりましたわ。では、わたくしのこともリシュアとお呼びください」

「敬語もいらない。気軽に話そう」

「わたくし、普段からこの話し方なのですが……」

「そ、そうなんだね。ごめん」


 なんだろう。ものすごく残念がっている気がする。心の声で話せば良いのだろうか。


「ええと、ランティス、様。ひとつお聞きした……聞きたいのです……聞きたい、んだけど」

「……無理しないで。僕が悪かった」


 割と難しいわ。心の声はもっと砕けて話せるのに。


「聞きたいことってなにかな?」


 わたくしが首をひねっていると、ランティス様が尋ねてくれた。わたくしはもう一度尋ねる。


「あの、ランティス様は、なぜそんなにわたくしのことを気にかけてくださるのですか?」


 ランティス様は出会ったときから優しかった。困っている人を見過ごせないだけかもしれないし、わたくしが苦しそうにうずくまっていたから、その後どうなったか気になったということもあるだろう。


 5年後の、嫌われる前だってとても優しかった。嫌われた後の印象がわたくしの中で強すぎるだけで。


 ただ、心配しすぎて眠れないのはひどすぎない? 普通のことなの?


 茶会を切り上げようとしていたはずなのに、ランティス様の一喜一憂する姿に尋ねずにはいられなかった。


 するとランティス様はフワッと微笑んだ。


「それはね。君は僕の大事な番だからなんだ」

「……はい?」


 ツガイ? なんですか、それ?


「番なんて言われてもわからないよね? 番というのは獣人族特有のもので、なんて言えばいいかな。……運命の相手……と言えばわかるかな?」


 運命の相手??!


 なんですか、そのパワーワード。恋愛物語好きなわたくしからしたら、たまらなく興奮するワードだわ。

 ん? でも、待って。要するにどういう事?


「運命の相手? え? わたくしが? ……誰の?」

「僕の」


 わたくしはランティス様を凝視しながら、静かに混乱していた。その様子を楽しむかのように、ランティス様はニコニコとわたくしを見つめてくる。


「君を離れの庭で見かけた時、ものすごい衝撃を受けたんだ。ひと目見て番だと理解したよ。その時から君のことが愛しくてたまらないんだ。……変なことを言ってごめんね」


 い・と・し・い?

 い、いい、愛しいって言いました?! 今??!


 顔に熱が集まる感覚がする。


 絶対、今、真っ赤だわ。スカートも真っ赤だから白いブラウスを挟んで逆サンドイッチ状態。いや、今はそんなこと言っている場合じゃないのよ。どうしましょう。ランティス様も照れているし、テラスの端で待機している侍女たちも、みんな床を見てない?


 何、この雰囲気。いたたまれないのだけどっ?!


 わたくしが口をパクパクとさせていると、ランティス様が頬をポリポリと掻いた。


「……一目惚れした、そういう理解で構わないよ」


 ひ・と・め・ぼ・れ。


 もう、やめてほしい。恥ずかしすぎる。わたくしが持たない。誰か彼を止めて。


 侍女たちが一心不乱に床を見つめている。顔色を変えないのはさすがだわ。わたくしも見習いたい。


 しかし、わたくしの中で疑問が生じた。5年後のランティス様は、わたくしのことを愛しいだとか微塵も感じていなかったはずなのだ。


 混乱していた上に、なにか話さねばと思ったわたくしは、うっかり声に出してしまった。


「ランティス様はわたくしのことが嫌いなはずでは?」




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