第7話 やり直せ……ますわね?




「ランティス様はわたくしのことが嫌いなはずでは?」


 気づけばわたくしは、そんな言葉を発していた。


 すると、顔色を変えたランティス様が勢いよく立ち上がった。その拍子に椅子が大きな音を立てて倒れる。


「嫌い?! どうして?! 嫌いになんてならないよ!?」


 椅子の倒れる音と、ランティス様の大声に身体が震えてしまったが、それ以上にランティス様の言葉に驚いた。


 嫌いにならない? いいえ、わたくしは嫌われていたわ。


 わたくしの表情に嫌悪感が出ていたのか、ハッと気づいたランティス様は慌てて頭を下げた。


「ご、ごめん! 大きな声を出して。怒ったわけじゃないんだ」


 皇族であるランティス様に頭を下げさせるなんて、不敬もいいところだ。本来ならばそんな行動を取らせてはいけないのだが、今のわたくしには出来なかった。


 モヤモヤしたのだ。


 身体の熱が引いていくのがわかった。4月のポカポカした陽気に包まれているはずなのにだんだんと冷えていく。


 侍女が、倒れた椅子を直そうとしたのか近づこうとするが、ランティス様は慌てて自分で椅子を起こした。

 その彼を眺めながら、わたくしは口を開いていた。


「あなたはわたくしを嫌いになるわ」


 ランティス様は、椅子からわたくしの方へ振り向くと困惑の表情になっていた。


「どうしてそんな事を言うの?」

「だって」


 5年後のあなたを、わたくしは知っているもの。


 言えなかった。言えるはずがない。今のランティス様には関係ないから。


 わたくしはうつむいた。どうして嫌いにならないと言い切れるのか。実際に嫌っていたではないか。そんな気持ちが胸に渦巻いて顔を上げていられなかった。


 膝の上にのったわたくしの両手は、スカートを激しく掴んでいた。


 すると、ランティス様はわたくしの手前に跪いた。


「……さっき僕は一目惚れと言ったけど、厳密には一目惚れじゃない。どう表現すればいいのかわからないんだ。人族の君には理解し難いだろう。実は僕自身も、番については君に出会うまで…………」


 そこでランティス様は言葉に詰まってしまった。


 不思議に思ったわたくしは、顔を少し上げた。わたくしを見上げるランティス様は、口を真一文字に結びわたくしを見つめていた。


 なんだか苦しそうな表情だわ。


「ランティス様?」


 ランティス様は、わたくしの両手をスカートから優しく離す。そのまま自分の両手に包み込んだ。


「……ごめん。その、要するに番って好き嫌いに収まらなくて、もっと深いものなんだ。それこそ獣人にとってはかけがえのない存在で、嫌いになんてならない」


 ランティス様の真剣な眼差しに、わたくしは何も言えなかった。


 では、わたくしがランティス様に何かしでかした、ということなのだろうか。


 そうね。きっとやらかしたのよ。


 わたくしはガックリと肩を落としてうつむいた。


 わたくしは人付き合いが非常に下手くそだ。グラード様が何に対して怒っているのかもわからなかったし、友達と呼べる方々も……いなかったわ。


 だから、ランティス様が友人として接してくださったときはとても嬉しかった。


 でも、その関係も早々と壊れてしまった。


 その時は『嫌い』と言われてただただ悲しく、わたくしからランティス様を避けまくったのよね。

 あの時わたくしは、なぜランティス様から嫌われたのか考えなかったのかしら?


 わたくしはランティス様との出会いから振り返った。


 確かわたくしが学園の前期3年生の時だった。隣国の第3皇子が学園に編入してきたと、学園内はランティス様の噂で持ち切りになったのだ。


 ランティス様とわたくしは2歳違いで、ランティス様は後期の学舎に通われていたから、わたくしとは関わることも無いだろうと思っていたのだけれど、ランティス様が話しかけてくださって……。


 ん? あら? ランティス様はどうしてわたくしに話しかけてくれたのかしら?


 いや、ちょっと待って。そういえばランティス様、一度わたくしの屋敷へ来たことなかったかしら?


 いつだったか、わたくしの屋敷へ黒髪の獣人がやってきて、面会したことを思い出した。


 お父様に『応接室に来て挨拶しろ』と呼ばれたのだ。もうその時にはお母様はいなくて、お父様は仕事人間になっていて親子の会話も減っていた。そのお父様に呼ばれたから何事かと思ったのだ。


 そ、そうだわ! わ、わたくし、ランティス様にお会いしているじゃない!


 わたくしは雷に打たれたような衝撃に見舞われた。


 雷に打たれた経験はないのだけど、唐突にその時の光景が蘇ってびっくりしたのだ。


 応接間でお会いした獣人は確かにランティス様だった。けれど、お互いに名乗らなかったのだ。


 わたくしはランティス様の身なりから目上の方だと判断して、ランティス様からの名乗りを待っていたのだがランティス様の言葉は確か……。


『覚えていないの?』


 顔を上げたわたくしは思いっきり口から息を吸い込んだ。そのせいで変な「はぁ!」が出てしまった。


 出会い当初からやらかしているわ!!!


 わああ! わたくしのおバカ! これは、ポンコツなわたくしがやらかしを積み重ねて最終的に愛想を尽かされたパターンなのでは??!


 なぁーにが、『あなたはわたくしを嫌いになるわ』なの! そんなの、嫌気がさすに決まってますわ! すねてる場合じゃなかった。


 ぎょっとしたランティス様とばっちり目が合う。きっとおかしな顔を晒しているのだろうが、知ったことか。


 全力で謝らせてください。


「ランティス様、ごめんなさい!!!」

「へ?!」

「わたくし本当に不出来な人間でランティス様の気も知らず……」

「なになに?! いきなりどうしたの??」


 15歳から17歳頃のわたくしは、初恋のグラード様に会えたことで、思考も生活もグラード様に偏りすぎていたように思う。


 だから友達もろくに作らず、唯一の友人だったランティス様もないがしろにしてしまっていたのだ。そんな意識はなかったけれども。


 記憶が曖昧なのもそのせいだろう。だってグラード様との思い出はすごく鮮明に思い出せるもの。嫌な思い出ばかりだが。


 わたくしは頭を抱えた。


「リシュア? 頭が痛いの?! やっぱりまだ調子が悪かったんだね?! ごめん、部屋に戻ろう」「やり直したい……」


 わたくしは知らずに呻いていた。


 人付き合いが下手とかじゃない。わたくしが無関心すぎたのだ。グラード様に振り向いてほしい気持ちが先走り、周りの人達のことを見ていなかった。


 これではいけない。もっと周りに目を向けよう。ああ、一からやり直したい。


 そう思っていたがはたと気づいた。


 ……やり直せますわね……?




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る