第5話 お母様
「異常なし」
「……」
わたくしはベッドの上で、おとなしくお医者様の診察を受けていた。
わたくしが天高く絶望を叫んだ後、いろんな人達が部屋へなだれ込んできた。
侍女や護衛の騎士たちに『どうしました?!』『大丈夫ですか?!』と心配されていたところに、遅れてお母様がやってきた。
死んだはずのお母様に会えたわたくしは、感情が溢れ出してしまい大号泣。どこかが痛くて泣いているのだと勘違いしたお母様は、急いでお医者様を呼び寄せて今に至る。
「そ、そんなはずはないわ。こんなに泣いているのよ? お医者様、よく診てくださいまし」
お母様はわたくしを心配しながら見つめた後、お医者様に懇願した。
わたくしのまぶたは痛々しいほど腫れており、泣きすぎたせいか少々ぼんやりする。それでも大好きなお母様にこれ以上の心配をかけることは忍びなく、わたくしは声をかけた。
「お母様。わたくしは大丈夫です。痛いところなんてありませんわ」
「で、でもリシュ。あなたそんなに泣いて――」
「お母様のお顔を見てホッとしてしまったの」
お母様の眉が八の字のように下がる。そんな表情もお母様らしくて、わたくしは気づけば微笑んでいた。
「3日間も高熱にうなされていたのですから致し方ありませんな。熱も下がりましたし受け答えもしっかり出来ておりますから問題ないでしょう」
お医者様の言葉にわたくしは驚いた。
「3日間……?」
「どうしたの? リシュ。3日前のこと覚えていないの?」
ええと、体感1日なのですけど。3日も眠っていたの?
「そういえば、今って一体何歳なのかしら?」
疑問に思ったわたくしは、心の声がうっかり漏れてしまっていた。
すると、お母様の端正な顔が驚愕の表情に変わり、白い口ひげを蓄えた老齢のお医者様はぽかーんと口を開けた。
「おや、まぁ。記憶障害が」
「い、医者ー!!! 医者を呼んでちょうだい!!!」
「ここにおります。夫人、落ち着いて」
混乱したお母様が大声で叫んだため、またもや色んな人達がわたくしの部屋へなだれ込んだ。
お医者様はわたくしにいくつか質問した後、高熱により一時的に記憶が混乱したのだろうと結論づけて、そのまま帰っていった。
お医者様を玄関まで見送ったお母様は、再びわたくしの部屋へやってきた。その後ろには侍女が食事を載せたカートを押している。
「リシュ。ご飯を食べましょうね」
そう言いながらベッド脇に椅子を持ち込んで座ったお母様は、侍女から粥の入った皿とスプーンを受け取った。
わたくしは皿を受け取ろうとしたが、お母様は粥をすくってスプーンを差し出す。
「はい、あーん」
「お、お母様。わたくし一人で食べれますわ」
すると、スプーンを引っ込めたお母様は、ジッとわたくしを見つめてきた。
「リシュ。あなたのお名前は?」
「? リシュア・ロンメルです……」
「歳は?」
「……12歳です」
「母の名前は?」
「アメリア・ロンメル」
「父の」
「ギルバート」
お母様は納得したのかニコッと笑った。
その笑顔にわたくしの瞳が潤む。
お母様は明るい人だった。お母様がいるだけで屋敷はにぎやかで楽しかった。お父様だってまだ優しかった。
お母様が亡くなって何もかも壊れてしまったけれど。
わたくしにとってお母様は幸せの象徴のような存在だった。
そのお母様が目の前で笑っている。
お母様はもう一度スプーンを差し出す。わたくしは恥ずかしい気持ちと甘えたい気持ちの間で揺れながら、差し出された粥を食べた。
「ごめんなさいね、リシュ。なんだかあなたが随分と大人びて見えたものだから」
「!」
わたくしはもぐもぐと口を動かしながら驚いてしまった。お母様するどいわ。
先程お医者様に確認したのだが、今のわたくしは12歳なのだ。でも、意識は17歳だと自覚している。
信じられないが5年前に戻っているのだ。
どうしよう。お母様に話してみようか。
しかし上手く説明できる自信がない。わたくしも自分の身に何が起こっているのかよくわからないのだ。
悩んでいるとお母様が口を開いた。
「リシュ。実はね。あなたに会いたがっている方がいらっしゃるの」
「わ、わたくしに……?」
「ええ。3日前、あなたが倒れた時なんだけど、介抱してくれた男の子のこと覚えているかしら?」
そう問われてフッと思い出したのは、ランティス殿下だった。
ん? ランティス殿下? ああ、違うわ。ランティス殿下似のあの少年のことよね。なんだか色んな記憶がごちゃまぜになっているようだわ。
わたくしは頭の中を整理しつつ答える。
「黒髪の方ですよね?」
「そうそう! 彼ね、リシュを部屋まで運んでくれてね。すごくリシュのこと心配してくれているの。最初はリシュが元気になったらってお願いしたんだけど、毎日聞いてくるし、日に日にやつれていくし」
「やつれていく?」
「眠れていないみたいなの」
「……は?」
眠れていないとは穏やかではない。どういうことなのか。
「わたくしが心配で……眠れない……のですか……?」
「そうみたい。目の下のクマもひどくって」
それは死活問題というやつではないかしら?
というか、なぜそんな事態になっているのだろう? 気になったわたくしはさらに聞いてみた。
「お母様、あの、その方なんですけど、わたくしとお知り合いでしたっけ?」
するとお母様はふるふると首を左右に振った。
「いいえ? 初めてお会いしているはずだわ。だって『国を出るのは初めてだ』っておっしゃっていたもの」
「国を出る? お母様、あの方どなたなのですか?」
お母様は皿を侍女に渡してわたくしに向き直った。
「隣国の方よ。レインフォレスト帝国はわかるかしら? もともと彼のおじい様と知り合いでね。ちょっと事情があってね。少しの間、預かることになったの。離れに住んでもらっているわ」
わたくしは急いで記憶を探る。しかし、12歳のときに隣国からお客様が来たという記憶は一切なかった。
なぜ、覚えていないのかしら?
レインフォレスト帝国の民はほぼ獣人だ。人間とは異なる人種だし、出会っていたら記憶に残っていてもおかしくないのに。
しかもあのランティス殿下似の美少年。忘れるなんてことあります??
『離れに近づくな』と言われたこともないし、短期滞在だとしても出会っていないのは不自然に思えた。
お母様の反応を見てみても、娘を絶対会わせたくないと考えていないことは明らかだし。
なのに覚えていないの?
自分が覚えている5年前と噛み合わない。
「リシュ、どうする? お会いしてみる?」
お母様に問われて、わたくしはハッと顔を上げた。
お母様はわたくしに水の入ったコップを差し出す。わたくしはコップを受け取り目線を下げた。
正直、今は誰かと面会するなんて気が重い。自分の身に色んなことが一度に起こり、わたくしはまだまだ混乱しているからだ。
しかし黒髪の少年には助けてもらったし、わたくしと会うことで不眠の症状が和らぐならば一度ぐらいお会いしても良いだろう。
わたくしは顔を上げて、お母様を見つめた。
「ぜひ。ご挨拶もできていないしお礼もしたいです」
そう返答するとお母様がホッとしたように微笑む。わたくしはその顔を少し眺めてから水を口に含んだ。
するとお母様が驚きの言葉を口にした。
「良かったわ。あの方は隣国の第3皇子でランティス様とおっしゃるの。お歳も近いからきっと良いお友達になれるわ」
わたくしは盛大に水を吹いたのだった。
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