2023年4月12日(火)『ずっと心を見ていた』

 いま思えば本当に辛い思いをしている人よりは随分と気楽な、けれどそれでも本人なりには鬱屈と懊悩を引きずりながら過ごした若かりし頃の日々に、正しいかどうかはさておき道らしきものを示してくれたのは音楽と物語だった。当人なりには道なき道だと思っていたところに、立派ではなくとも歩くべき場所が見つかったことは、確かに救いだった。


 ぼくが没頭した音楽と物語は大半の友人とはその素晴らしさを共有できなかったし、その事実が自意識を歪めた部分もあるけれど、誰も代弁してくれなかった気持ちを語ってくれる人達がスターや作家として存在しているのだという認識は、自分を肯定することが難しかった当時のぼくにとってどれだけの慰めだったか計り知れない。


 寂しいとは思わなかったし、理解されたいとも思わなかった。それはおそらく満たされていたからで、そのうえで捻くれていた自分がとても醜く感じられた。恵まれた環境にいながら自信を持って生きられない自分がとても弱い生き物に思えた。


 ぼくはきっと何者かになりたかったのだろう。だから何者か達の物語に憧れたのだ。結局いまも果たされないままだし、青春の悩みさえも凡庸だったのだけれど。


 そんな青春時代も、特に大々的な区切りのイベントもなく、年齢を重ねるにつれて静かに終わった。ぼくが心の探究だと思っていたものは賞味期限切れであえなく手放すことになった。


 就職して長いこと時間が過ぎて、頭がビジネスな良し悪しにすっかり染まってしまったぼくにも未だに心は残されており、きっとこれからはビジネスな話でも心への注目度が高まっていくだろう。


 そこにあるけれど見えない心は取り出して誰かと比較することはできない。大学で専攻した心理学では統計的な手法を用いてその機微を推測することができたけれど、総体としての心はやっぱり掴めない。


 ただ、音楽や物語は心をパッキングできる。さながら冷凍食品のように。

 目の前の人生では摂取できない心のサンプルをかき集めれば、きっと自分にとって救いとなる心の有り様も見えてくる。


 そのためにはバリエーションが必要だ。自分のための音楽だと、自分のための物語だと感じられるものが一人ひとりに届くためには、無限のバリエーションが。


 技術的には拙くとも、自分の心を封入した物語を作るなら、二つとして同じものは生まれない。そして一人でも多くの作り手や書き手がそうするなら、より多くの読み手が救われるだろう。カクヨムもそういう場であれと勝手ながら思っている。


 エンタメ飽食の時代と言われるけれど、心の数だけ物語が必要とされるなら、人が存在する限り「もうこれで十分」という日は来ない。

 ずっと心を見ていたぼくらにとってそれが呪いなのか救いなのかは、きっと本人次第だ。

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