逃走


 あまりにも流れるように土下座するもので、咄嗟に誰も動けなかった。ハントに至ってはまだ夢心地で放心状態だ。


「ビッチかわたしはーーーっ!!!違う、そんなつもりはなかったーーー!!!」


 わああああああん!!と、床に突っ伏してニコラは大泣きする。ロットが慌てて立たせようとするも、手足をバタつかせて激しく抵抗。


『やだああああぁ!!わたしは浮気するのもされるのもイヤアァァ!!!』

「え、何!?なんて!?」

『ニコラ嬢、カンリル語が出てる!』


 母国語が出てしまう辺り、自分をコントロールできなくなっている。


 現在ロットと付き合っているのだから…キスもそれ以上も、ロット以外の男性としたくない。

 同時に複数の相手と関係を持つ、なんて。ニコラが最も嫌っている行為なのだから。

 だというのに今日は、無理矢理だがステランと危ない雰囲気になり。

 間違いとはいえ…自分の意思で、ハントを襲ってしまった。



『やっぱりわたしってダメな子だああああっ!!!悪い子なんだ、うううぅ…!』

『ニコラ嬢…』

『う……ふえ…ふああああぁぁん…!』


 丸まって涙する姿に…ダスティンはかつて聞いた、親友の言葉を思い出していた。



『ニコラは自己評価がとても低いのですよ。特に対人関係では。やはり物心ついた頃から…周囲の大人に否定されて育ってきたからでしょう。

 ちょっとでもミスをすると、途端にそれまでの全てが駄目になってしまうようなんです。相手がただの他人なら…割り切れるみたいなんですが。

 ですから…私は何があろうと、彼女の全てを受け入れます。まあ大体、可愛い過ちなんですけどね』




 そうだ…普段は底抜けに明るくて、みんなの頼れるお姉ちゃんは。その実常に何かに怯えていて…

 これで正解なんだろうか。自分の行動で、誰かが不幸を見ていないか。あの時は、ああすればよかったんじゃないか…と1人で苦悩している。


 レイリアに送った手紙は、もしかしたら。自分が誰かに…そう思われたい願望が、詰め込まれているのかもしれない。

 わたしは被害者です。ずっと苦労してきました。誰か、お前は間違ってないと…言ってください、と。


 同時に自分の心に踏み込まれることを、酷く恐れている。

 アールだって…もしも「おれ諦めないから!ニコラちゃんのこと、本気で好きだから!」とでも言ったら拒絶していたに違いない。彼が弟であることを選んだお陰で、絶妙なバランスを保つことができているのだ。




 そんなニコラの心情を知らない男達は、まるで状況を掴めていないけれど。

 1番悲惨なのはハントで。いきなりキスされた上に、「間違えて俺にしたのが、そんなに嫌だったのか…」と一筋の涙を流していた。


「ニコラ…?どうしたんだ、今日は様子がおかしいぞ」

「ロット……ごめん帰るっ!!」

「あっ」


 様々な感情が入り乱れ、ニコラは勢いよく立ち上がり逃げた。


「うおっと!?ニコラちゃん?」

「ごめんねっ!!」

「え、どこ行くの?帰るんなら、送っ…」

「いらないっ!!1人にして!」

「はえ…?」


 扉を体当たり同然で開けて、廊下に飛び出せば。トイレから帰ってきたゼラとぶつかった。

 ゼラは騒然とする室内と、遠ざかるニコラの背中を何度も見比べた。



「何があったんですかダスティン卿!」

「なんでニコラは泣いていたんだ!?」

『あわわ、待って分からない!誰か通訳を…!』


 意思の疎通が不可能なダスティンは、ジェスチャーで対話を試みるが…全く通じず。


 後に通訳を交えて、ステランの行いを知り。3人が憤慨し、ステランの部屋まで殴り込む寸前まで大騒ぎになっていたのだが。




 その日の夜。ニコラがいつまで経っても帰ってこないと…焦った声のアールから電話がかかってきた。

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