ニコラの過去
ここで少し、ニコラの過去に触れよう。
ニコラはウルシーラ王国が存在するのとは、別の大陸からやって来た少女だ。
彼女の母親は…祖国で『悪女』と呼ばれた女性だった。
母親は幼少期より決められていた貴族と結婚したのだが、相手の男には平民の恋人がいた。
貴族と平民、結ばれるはずのない禁断の恋。それを引き裂く悪女。簡単に言ってしまえばそれだけ。
父親は政略結婚の妻も、その結果生まれた娘…ニコラのことも愛しはしなかった。恋人と関係を続けていたのだ。
母親も無駄に愛を求めはしなかった。屋敷中が敵だったが、ニコラを懸命に守り育てた。
それでも父親は、自分が恋人と一緒になれないのは妻のせいだと吹聴した。更に恋人に嫌がらせをしている、屋敷の金を散財している。使用人に暴力を振るっている…どれも嘘っぱち。
夫人の味方はニコラしかいないので、誰もがその言葉を信じた。そして…
話を哀れに思ったお節介の貴族が、恋人を養女に迎えた。そうすれば、はい。結果は自ずと見えるだろう。
「母様、オレ、追い出された。住む家も金も無い…実家も頼れない。
母様、船に乗った。けど…海の上で、死んだ。元々弱ってた…長旅に、体ついてかない。
海で死ぬと、海に投げて…と、とむらう、される。オレ、その時から1人」
「………………」
ニコラは8歳にして天涯孤独となってしまった。唯一の味方を失い、母親の後を追おうとも思ったが…
「母様。最期オレに…幸せになって。って言った。
オレ、幸せ、わかんない。でも…死んだら幸せ、なれない。母様の、望み叶えたい」
「……………そう…か…」
ロットは膝の上で拳を握った。ニコラは淡々と語っているが…どれだけ心をすり減らしてきたのか、想像もできない。
「ひとまずお金。金は持ってると嬉しい。だから稼ぐ。仕事くれ」
「駄目だっ!この仕事は取り消す、どこかの屋敷でメイドとして…!」
「いや無理。オレ、問題起こす。兵士、やるよ」
「よくない!!男しかいない職場に、15歳の娘を放り込めるかっ!!」
「んー?ロット、いくつ」
「23だ!!」
「へー」
ニコラの一人称がオレなのは、言葉を教えてくれた人…質屋の親父の入れ知恵。男っぽい言葉遣いを叩き込んだのだ。
女より、男のほうが危険が少ないから。ニコラはそんなことは知らない。
更に偶然だが、ニコラの祖国では『ニコラ』は女性名、ウルシーラでは男性名になる。なので勘違いされやすい。
「大体お前、にーちゃんって呼ばれてるじゃないか!」
「ニコラおねーちゃん、にーちゃん」
ちなみにあっちゃんはアールおにーちゃんだ。
ロットは兵士なんて危険だ!と反対したが。
「じゃあ。15歳、頭悪い女が。兵士より稼げる、仕事。寄越せ」
「……うちでメイドに…簡単な仕事だけでいい、報酬は弾む」
「仕事以上の、金いらん。面倒」
「………………」
ただより高いものはない。労働以上の賃金も、無用な諍いの元。ニコラの考えは変わらない。
「………分かった。では、兵士長には話を通す」
「やめろ。新入りが特別扱い、面倒」
「……………」
ロットは反論できず、黙ってしまった。
この時点で。ニコラが女性と知るのはアール、エリカ、スピカ、マチカ、ロット、質屋の親父のみになる。
男のほうが生きやすそうだから、とニコラはロットを口止めした。たくさんお金を貯めて、もう必要ないと判断したら…女性として暮らす。今はまだ、その時じゃない。
「……その時がきたら、どうするつもりだ?」
「さあ?パン屋とか、やってみたいかも」
「…父親を恨んでいないのか?」
「何を…恨む、決まってる」
ロットは目を丸くした。ニコラはなんでもないように過去を打ち明けるから、てっきり乗り越えているのだとばかり。
勝手にそう決めつけていた。だが彼女の…全てを諦めたような、虚な目を見てしまっては。いかに自分が愚か者か、と思い知らされている。
「恨んだ。殺したい。憎い、嫌い、あとなんて言えばいい?」
「……………」
「……でも、時間の無駄。母様、生き返らない。時間、戻らない。
それよりロット。オレの話、信じる?」
「ああ、信じる」
「……お前、バカ」
「…………また来る…」
ロットはゆっくりと立ち上がり、ダイニングを出る。ずっと話を聞いていたアールは「とっとと帰れ!」と塩を撒きそうな勢い。
丸めた背中に、ニコラが「あっ」と声をかけた。
「お前、オレの裸見た。なんで、女と気付かない?」
「んな…っ!?見ていないっ!勘違いするな!!」
「ええ〜?」
ニヤニヤニヤ。レイリアが布を剥ぎ取った時のことを言っているのだろう、ロットは血管が心配になるほど真っ赤になっている。
「僕も誰も、背中しか見ていない!というか…その」チラッ
おや?ロットの視線がニコラの胸部に注がれている。貧乳すぎて本当に女なのか微妙に疑っているのだ。
ニコラは胸が成長する前から痩せていた。これから本来の体つきになるのかもしれない。
なんて想像してしまって。今まで剣一筋で、女性に免疫の無いロットは…全力で逃げたのだった。
そして今日、ニコラ初出勤。ウルシーラの首都は壁で囲まれていて、8ヶ所に門がある。ニコラの職場はその1つ、要するに門番だ。要請があれば、街の中に出動もある。
制服を着て、帽子も被って。腰に支給された剣を装着、完璧だ。鏡の前で「イケてるな」と自画自賛。
「おはよう。オレ、ニコラ。仕事しに来た」
「お?なんだ、細っこい坊主だな!おーい、新入りだぞー!」
地図を頼りに、兵士が駐在する建物を訪れた。扉を開ければ無精髭の男が座っており、奥にいるであろう兵士達を呼んだ。
無精髭はガイルと名乗り、ここの責任者らしい。ニコラが外国人の子供で、言葉が不自由なことは聞いている。なので敬語を使えなくても気を悪くはしなかった。
本日出勤の兵士達が次々自己紹介。特徴と名前をメモしながら聞く。
「ん?それ何語?」
ひょこっと手元を覗き込むのは、ニコラと1番歳が近いクランス。顔にそばかすのある、素朴な顔立ちの16歳。
「カンリル語」
「ん?きみ、カンリル出身?すっごい遠いじゃん!」
「そう?かも」
ニコラの祖国…カンリル。嫌な思い出の詰まった国だ。
読み書きができないと言っても、それはウルシーラ語の話。サラサラと綺麗な文字を書いていく。
ちなみにメモだが。[ガイル おじさん 無精髭 頭部が後退気味 クランス 若い そばかす 目がくりっとしてる]といった内容。
兵士は気のいい男ばかりで、ニコラは警戒気味だったのが大分和らいだ。
今までの人間関係…カンリルでは母以外に疎まれて嫌われて。ウルシーラでも迫害されてきた。
正直なところ、まだ他人を信用はできないけど。疑ってばかりいるのは疲れるので…これは仕事だと割り切る。
新人いびりがあっても、仕事だから。辛くても、お金になるから。所詮他人だから…
裏切られても、最初から心を開いていなければダメージは無い。
ニコラはそうやって生きてきた。これからもずっと、そうだと思っている。
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