CHAPTER XXII
フィオリ達に"リュート"を聞かせたあの日から、約一月半が経過した。
以前にも話した気がするが、
これら、つまり五つの祭事と五つの祝日は、旧文明にそのルーツを探ることができる。大半は世界宗教とされていたもので執り行われていたらしいが、中には邪教とされた宗教の祭事に起源があったり、それと混ざっていたりもするらしい。記録を見ている限りでは、根本的な部分では似ているのだが、やはり生神という独自の信仰対象が存在している為か、細部には多くの違いがある。
まず初めに、一月一日の新年祭。豊穣祈願祭とも呼ばれるもので、十二夜祭というものと新年の祝いが混ざったことで生まれた祭事、であるとか。五つの祭事に含まれているものの、その中で唯一生神が現れないことと、聖芽祭の直後ということもあって、規模は小さめだ。
新年祭の五日後、一月六日には、萌芽の祝日がある。元を辿りに辿っていけば、全く無関係の信仰に行き着くらしいのだが、
三月二十三日、うるう年ではその前日である三月二十二日になるが、この日は春の四季祭、通称灰被り祭だ。新年祭から八十日目に当たり、灰の水曜日というものと、プリム祭なるものが混ざって出来上がったのだという。後者は世界宗教と信仰を異にする宗派────世界宗教の元となった宗派らしい────の祭事と聞くが、八千年前の避難民の中に異なる宗教の信徒がいて、排斥されつつも信仰や祭事に影響を与えた、ということなのだろう。この灰被り祭から火起こしの祝日までは、肉食が禁じられることとなる。
五月八日、うるう年では五月七日が、火起こしの祝日だ。
六月二十七日、うるう年では六月二十六日が、夏の四季祭だ。通称は諸聖霊祭。陽精と月精、彼らに従うピアネーテが最も力を持つとされる日で、この日の祭りでは、生神に付き従う祭神官2名と神官付8名が精霊の役を担うことになる。世界宗教の
七月四日、うるう年では七月三日には、聖なる器の祝日がある。夏の四季祭から七日後に催されるもので、生神へ感謝と祈りを捧げ、信仰を再確認する日である、とされている。聖体の祝日、とかいう祭事が基だとか。
八月十五日は、聖花の祝日だ。これはうるう年であるか否かに関係無く、必ず同じ日に催される。祭事ではなく祝日という扱いだが、規模としては四季祭に匹敵するほどである。その理由は、生神によってフローラが創られた日である、とされているからだ。記録を見ると、ノイドやフロスロイドの修復などに欠かせない装置であるフルートが稼働を開始した日、であるらしい。規模は大きくとも祝日であるため、憲兵などの特殊な職業に就いている者を除いて、労働が禁じられている。
余談だが、フルートにも名前というか、型番名が存在しているようだ。このホワイト=シンクのものは、どうやらマリア=クロリスというらしい。マリアというと、イコベヴィアと同じ名だが、世界宗教でも特に重要な人物にあやかった名前であるため、特別な意味は無いのだろう。
十月四日が、秋の四季祭である収穫祭だ。平民の間では、獣被り祭とも呼ばれている。聖花の祝日と同じように、うるう年でも関係無く、催される日は毎年同じである。狩猟祭としての側面も併せ持ち、平民は獣の仮装を行う場合も多い。三つの祭事が混ざったものであるらしいが、開催日を見ると、起源からは少々日程がずれている様子だ。聖フランチェスコの聖名祝日に、諸聖人の日やハロウィンなるものを合わせた祭事、とでもなるのだろうか。
十月三十一日から十一月二日の三日間は、魂を祈る祝日と呼ばれている。秋の四季祭と若干被っているが、死者の日とハロウィンが混ざったものだとか。この三日間は、パンと水、
十二月二十五日が、最も重要な祭事とされる冬の四季祭、つまりは聖芽祭だ。私達にとっては、全てが始まった日でもある。これもうるう年であるかは関係無く、毎年この日に催されるものだ。生神が一日でフローラを巡る、という特徴を有しており、成人の儀も兼ねているため、祭場では豪華な食事が振る舞われる。平民にとっては、一年で最も贅沢な日である、と言えるだろう。
四季祭は、平民にとっては聖芽祭の豪華な食事くらいしか魅力が無い。
今日は、一〇三二三年の五月八日。フローラで、火起こしの祝日が催されている日だ。
とはいっても、管理区画に関わる祝日は存在しない。四季祭も、保護区画内の植物の管理、という目的があるからこそのものである。フローラの住人達が労働から解放されていたとしても、それは私には関係の無いことなのだ。二日後には授業も控えているために、仕事が溜まっているというのも理由の一つではあるが、今はそれ以上の問題が起きている。
第十三別室の事務所内。講義中以外では事務処理の場として使用されているそこに、イコベヴィアとその補佐の一人、桃色のフロスロイド────コロナが来ていた。
態々足を運んできた理由には、心当たりがある。恐らく、いやまず間違いなく、保護区画内の現状についてだろう。
資源が乏しいことを気にしているのか、白湯のような飲み物を断ったイコベヴィアは、私の前に座っている。室内にいるのは彼女達二人の他に、私、ヴィヴィ、エリス、母だけだ。全員女なのは、示し合わせた訳ではなく、グールグーとグファーが雑務で出ているからである。毎度毎度、ミクシードである私の体調面に気遣ってもらって、頭が上がらないとはまさにこのことだろう。旧文明の知識を得るにも二人は必要だし、感謝をしなくてはならない。
特に今は、前回の月経から丁度三か月が経っている。いつまたあの時のような状態になるかわからないのだから、と、ヴィヴィが色々と準備をさせているようだ。
「久し振りですね、メデイア。"人間先生"の授業は順調なようで、安心しました。次回………九回目への参加者も、数名ですが増えているとか」
イコベヴィアとはあれ以来、全くと言って良いほどに、顔を合わせていなかった。ホワイト=シンクが限界に近いことで、仕事が溜まっているのだろう。補修限界の件も含めて、実際どの程度の危機なのかは、私のところにまで情報が回ってこない。しかし、恐らくは本当に、長くともあと数年程度の寿命なのだろう、と予想ができてしまう。それほどに、管理区画内の空気は張り詰めていた。
それはつまり、私達が最後の人類となる可能性が、非常に高い────ということを意味している。運が無いと嘆くか、逆に、運が良かったからこそ、八千年もの間を生き延びることができたのだ、と諦観を貫くか。いずれにしても、結果は変わらないのだろう。
「率直に、聞きたいんだけど」
「なんでしょう」
私達は、簡単に言えば敵対組織の長同士だ。いや、私がディアを差し置いて主導者を名乗って良いかは疑問だが、少なくとも管理区画では、そういう構図が成り立つだろう。長同士が顔を合わせれば、そこに生まれるのは、欺瞞と、遠回しな言葉による腹の探り合いだけだ。
しかし、私はともかくとして、ディアの目的にはホワイト=シンクが必要だ。この問いだけは、虚飾を弄さず、純粋な言葉なままで放たなければならない。
「ホワイト=シンクは、いつまで────いや、いつ終わるの?」
ヴィヴィも、エリスも、母からも、漏れ出る声は無い。恐らく、皆予想していたことなのだろう。理解していたことなのだろう。自分達の代で、人類の歴史が最期の時を迎える、という事実を。
「早ければ、今日にでも」
イコベヴィアも、率直な私の問いに対して、ただ事実を述べる。
つまり、補修限界が近い、というのは、管理区画の者達を安心させるために流した情報であり、実際には事態はより深刻────いや、瀬戸際と言い表すべき状態である、ということだ。補修限界が近いのではなく、すでに補修限界を迎えており、それをどうにかこうにか、騙し騙しにやりくりして、辛うじて現状を維持しているのだ。
「それでも君達は、人類の守護者であり続けるの?」
ホワイト=シンクが滅びるということは、人類が滅びるという意味だ。旧文明の技術が失われたこの時代では、新たな楽園は造れない。ここから先は、ただ緩やかに、あるいは静かにかつ唐突に訪れる、終末を待つだけの時間だ。そこには額の烙印など関係無く、等しく白き死の
はるか昔に骨になったとある詩人は、世界はめそめそと終わる、と言ったらしい。まさしくその通りだ。人類の歴史は、白く輝く星の上で、涙すらも凍らせながら終わっていく。
猿人から原人、そして新人へ。数百万年に渡って続いた人類の歴史は、私達の代で終わる。その中にあってもまだ、彼女達は人類の守護者であり続けることを望むのか。
「無論です。それが、私達の存在意義ですから」
「その存在意義を向ける先が、絶滅するのに?」
無意味だ。無意義だ。その覚悟は、不要の一言で吐き捨てられるほどに、脆弱な信念としか言いようがない。
フレークスは、確かに、フロスロイドにとっても毒性が強いという。逆に、ノイドにとっては大した負担ではない。
ノイドとフロスロイドは、フルートさえあれば、いくらでも再生が可能だ。自我を失う可能性もあるため、不死身とは言えないが、それでも人間よりもはるかに長く、命を繋ぐことができる。人類に対する精神的寄生を放棄すれば、生存を続けられる可能性は、まだ残っているのだ。
「その壮大な心中は、総意なの?」
あえて種族を限定せずに、問う。
私は、人格破綻者なのだろう。その自覚はある。それでも、一人で転げ堕ちるのは、言いようのない恐怖を感じるものだ。
だからなのか、少しでも気に入った相手は、わずかにでも感情移入してしまった相手には、死んでほしくないと、そう思う。自分で巻き込んでおいて、何をいまさら………と、滑稽に映るだろう。それでも、その他大勢よりも、私の精神の安寧に必要な一部の者だけでも────と。
しかし、その価値観を抱きつつも、私はきっと、切り捨てることができてしまう。
人類の歴史上には、大義のためにと非道の限りを尽くした人物が、多く存在している。それらは暴君などと呼ばれることがほどんとだが、私も彼らと同類なのだ。
自らの
浅はかな、子供の戯言だ。そして、何かを為す者は、その子供の戯言を、後生大事に抱えている。
自分のことが、嫌いになりそうだ。
「あなたなら、答えを聞くまでもないのでしょう?」
イコベヴィアの視線は、いつもと同じく、私の瞳の奥に注がれている。しかし、その表情は、照明のせいなのか、どこか暗く見えた。
パーチェとトゥルに連れられて、フィオリの晴れ姿を見に行ったあの日────"リュート"を聞かせたあの日から、管理区画内に、とある娯楽が広まり始めた。その中心となったのは、パーチェとトゥル、そして、フィオリとチコーニャだ。
ホワイト=シンクを蟻の社会で喩えはしたが、ノイドとフロスロイドには、明確に自我と感情が備わっている。ただそれを、人類の守護という存在意義で、覆い隠しているだけに過ぎない。そして、抑圧された感情や欲求というのは、小さなきっかけ一つで、簡単に脳漿の海に放流されるものなのだ。
共犯者、と称するにはいささか不足だが、それでも私の
娯楽のない世界に、娯楽を投げ入れた。
禁じられた恋愛模様が織り込まれたそれらは、背徳感と共に、自我の奥深くに楔で打たれて、そして鎖で繋がれる。その鎖は、欲に抗う理性を強く拒むのだ。自身を律しようとすればするほどに、その鎖は脳髄に深く、深く食い込んで、正常な思考を妨げる。
イコベヴィアの前に、エリアルシートが開かれる。何かの報告だろうか、それを見た彼女は、気取られないようにと注意しつつも、わずかに目を見開いた。
右手を挙げて、エリスに合図を送る。イコベヴィアはそれを、止めようとはしなかった。
「本日正午の鐘と同時に、月精商会が立ち上げられたみたいです。商会当主の名は────」
"
ディアが商会を設立した、ということは、すでに共犯者の数は、無視できないほどになっているだろう。彼女はそういう女だ。入念な下準備と水面下での勢力拡大を終えて、ようやく表舞台に舞い戻った、といったところか。
ホワイト=シンクは、もう滅ぶ。ならば、人類史のためにと行動する必要性も、無い。
「………これで、あなたと私は敵同士、ということですね」
全てを察したらしいイコベヴィアが、椅子から立ち上がって、わずかに目を細めながら、私を見る。
「初めから、でしょ。多分ずっと、私達は、理解し合えない」
この端的なやり取りは、互いの存在意義の食い違いによる、交渉の決裂を意味している。双方に属する者達は皆、例外なく、いつかの残骸に心を砕かれ、感情を砕かれ、誰かの世界を砕こうとしているのだ。
私は、あの夜からの残骸に。
イコベヴィアは、八千年前からの残骸に。
「────………残念です。あなたを軽蔑できたなら、楽だったのに」
存外優しい女だ、と彼女の姿を脳裏に焼き付ける。あるいはこれが、彼女と話す、最期の機会かもしれない。
「私は、君にもこっち側に来てほしいって、そう思ってる。君のことは嫌いじゃないから。でも、きっと、君は首を縦に振らないんだろうな。そういうところも含めて、嫌いじゃないんだけどさ」
初めて彼女に会った時から、初めて彼女を目にした時から、理解していたことだ。私と彼女は、住む世界を異にしているのだから。
イコベヴィアは純粋に、物質的な世界を生きている。
私は純粋に、精神的な世界に生きている。
機は熟した。熟してしまった。いや、熟させてしまった。取り返しのつかないほどに。誰も彼もが後戻りできないほどに。全てを引っ掻き回して掻き乱して、今、私はようやく、イコベヴィアと対等な位置に立っている。
これはきっと、人類を滅ぼす選択だ。滅びを早める選択だ。私は未来永劫、語り継がれることのない身勝手な革命家として、雪と大地の下に名を刻むのだろう。
故に、だ。だからこそ、私は私をやめない。そのためならば、人類が滅ぼうと知ったことではない。
「だから………始めるよ、マリア・イコベヴィア。人類史最期の────
原色のブルーム 来国アカン子 @kushiroshiro
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