CHAPTER XXI

 第十三別室の扉が叩かれ、パーチェとトゥルが姿を見せる。室内で椅子に座っていたグールグーとグファーは、二人を見ると、顔を顰めて────といっても、二人を嫌っているからというわけではないが────大きく溜め息を吐いてみせた。

 自室の扉を開け放っていたことで、私もパーチェとトゥルの来訪をすぐに知ることができて、また来たのかと呆れつつも、の方へと移動する。事務所というのは、第十三別室の扉を潜るとすぐ目の前に広がる、講義の場として使っているこの場所のことだ。私が室長として応対をする際には、必ず自室ではなく、こちらに相手を通すことになっている。

「あら、珍しい。今日はお揃いなのね!」

 相も変わらずに溌剌とした調子で、パーチェが室内を見回す。確かに、六人しかいない部署ということもあって、第十三別室に属する者は全員多忙だ。それがこうして揃っているのは、稀なことである。

「君と違って、グールグー達は忙しいんだ。"人間先生"はミクシードだから、食事や衣類、寝具、その他諸々に気を配らないといけない。本当に大変なんだよ」

 一〇三二三年、三月二十一日。保護区画では二日後に、春の四季祭灰被り祭が行われる。エリスの後任、つまりは次の生神を務めるのは、昨日の講義にも参加していたフィオリだ。彼女は今のところ、四回行われた講義全てを受けている。その中で多少の手応えは得られているものの、フィオリをこちら側へと引き摺り落とすには、どうにもあと一手足りていない状況が続いていた。

 それとは対照的に、パーチェとトゥルは完全に私の共犯者になった、と考えて良い。二人の地上に出たいという想いの根底にあるのが、他のノイドやフロスロイドと同じ、人類の守護者たらんという存在意義であったとしても、現状維持を許容できないという一点において、私の目的と一致している。エリス、パーチェ、トゥルの目的は、私のそれの延長線上にあるのだ。協力関係を構築しないという選択肢は、最初からない。

「人間先生、飲み物が欲しいわ!お客様に飲み物を、今すぐに!」

「白湯みたいなのしかないけど。あと、人間先生って呼ぶのはやめてほしいかな」

「細かいことは無しよ、無し!」

 ヴィヴィに目で合図をして、二人に味気のない白湯のような茶を出させる。断りもなしに椅子に腰を掛けたパーチェは、それを受け取ると一口で半分ほどを空けてしまい、グファーの文句が飛ぶことになった。

「おい、飲み物だって貴重なんだぞ。最近は有事の貯蔵用に回す分も増えてるんだ。もっと大事にだな………」

「固いことも無しよ!」

 ノイドやフロスロイドの会話を盗み聞きした形だが、ホワイト=シンクの発電施設の補修限界が近いかもしれない、という情報は入っている。八千年前の技術で造られたそれは、一言で言ってしまえば、火力発電と燃料電池のハイブリッドだ。当時の技術レベルであれば化石に等しい発電方法であっただろうが、いつ終わるとも知れない氷の時代を超えるには、むしろ古い技術を使った方が超長期間の運用に耐えられる、と判断したのだろう。しかし、どれだけ長い期間の運用を想定していたとしても、八千年という時の流れによる老朽化と、何よりも当時の技術が失われていては、対処方法は補修で辛うじて機能を維持する以外にない。

 私は正直、イアソンやディア達を除いて、フローラの人間が死のうが大して興味はない。しかし、ディアの目的には現状のフローラと同程度の生活レベルを送れる土地が必要で、それはもはや、ホワイト=シンクを置いて他にない。そしてそのホワイト=シンクが安住の地である時間も、恐らくはもう、長くはない。

 ディアが本格的に動き出した、という情報は入っていない。いや、イコベヴィアは、私とディアが繋がり維持していることを察しているだろう。そうなると、フローラで私の共犯者達が大きく動いたとしても、私の下にその情報が届くかどうかすら分からない。あるいは届いたとしても、数日か、数週間程度のタイムラグがあるかもしれない。管理区画内での情報戦では、イコベヴィアを出し抜くことは決してできないだろう。彼女は圧倒的に正しく、そして管理区画は、その正しさと存在意義を疑わない者達ばかりがいるのだ。

 保護区画と管理区画を行き来できるような、向こう側とこちら側を繋ぐ、情報網の要となる人物が必要だ。そして神域の壁を超えることができるのは、生神しかいない。

「それで、今日は何の用があって来たの?」

 パーチェに要件を問う。といっても、彼女は特に用もなく現れるので、この質問は挨拶のようなものなのだが。

 しかし、今日は目的があってこの場所に来たようで、パーチェはカップを呷って中身を飲み干すと、私の手を取って通路へと引っ張った。

「フィオリの晴れ姿を、一緒に見ようと思って!」

 晴れ姿────というのは、生神が身に纏う衣装のことだろう。どうやら、二日後のに合わせて、最終確認をしているらしい。

 ディア達の近況を知るためにも、フィオリのは急がなくてはならない。しかし、授業外では他の目があり過ぎる。正直、今彼女と何かを話したとしても、そこに計画達成に必要な内容を織り込むことは、不可能だろう。

 しかし、パーチェの誘いを受ける理由はないが、フィオリはエリスの以前のルームメイトだ。直接会って、世辞の一つでも言うのが筋かもしれない。

 わかったよ、とパーチェを扉の前に立たせたまま、誰がこの場に残るのかを決める。仕事はまだ終わっていないため、全員で第十三別室を離れるわけにもいかないのだ。

 まず、私とエリスは行くべきだろう。交渉事の可能性を考えるとヴィヴィにも同行してもらいたいが、彼女はこの後予定が入っている。ガットコーダと会ってきてくれ、と頼んだのは私だ。それをこちらから取り下げるわけにもいかない。グールグーとグファーは雑事が残っている。母は………とそちらを見ると、いつの間にか私の横に移動していた。どうやら付いてくるらしい。

「それじゃあ、行きましょう!」

 パーチェとトゥルを先頭に、どこまで行っても代わり映えのない通路を進む。植生管理班が置かれている場所には以前も足を運んだことがあるが、今回は制御管理室総務班に用事はないため、到着にはさほど時間はかからないだろう。

 斜め後ろを歩いていた母が、「ところで、メディ」と隣まで移動してくる。何か重要な話だろうか、と身構えてみるが、特にそういった雰囲気ではない。

管理区画こっちに来てから、少しは執筆活動は進んだの?忙しくしてるからか、あまりそういうところを見なくなったわよね」

 正直、全く進んでいない。保護区画フローラで最後に思いついた"死人の夢占い"も、まだ数行しか書けていないのだ。これは由々しき事態である。私は今正に、以前の私が危惧した通りに、緊張感と高揚感に慣れて、娯楽作家であることを手放そうとしているのだから。

 計画の完遂ばかりに手を取られ、私の根底にあるものを掴み続ける余裕が消えていく。それは死と同義だ。緩やかに、しかし確実に、私はに順応を始めてしまっている。慎重になり過ぎて、自分の本質を見失いかけている。このままでは駄目だ。いや、駄目になってしまう。が、圧倒的に足りていない。リスクとリターンの計算ばかりで、そうして慎重になっている間に、心の内側から表層へと枯れていっている。

「人間先生は、お話を書いているの?」

 パーチェの問いに曖昧に頷き、何か一手ないものか、と唸る。私の感覚を麻痺させていくのような毒から目覚め、同時に計画を一息で前へと進めることのできる、そんな一手が必要だ。

「興味があるわ!ぜひ聞かせてちょうだい、人間先生!」

 フロスロイドらしくない言葉だな、とパーチェに目をやって、そこでふと、正気に戻ったかのように立ち止まる。

 エリス、パーチェ、トゥルの目的が、私の目的の延長線上にある────という自分の考えに、何を馬鹿なことを言っているのだ、とかぶりを振る。それではまるで、私が娯楽作家であることが、通過点のように聞こえてしまうではないか。私はいつから、そんな中途半端な心持ちで物語と向き合っていたのだ。

 私の目的は、私の終着点だ。そしてエリス達と共に地上に出る日が来たのならば、それは後日譚に過ぎない。人生を締め括る、空白の最後の数行を埋めるだけの小話だ。死の間際の刹那の旅だ。そんなものを、今から考えていても仕方がないではないか。

 生者が心を傾けるのは、自身の中にある情動であるべきだ。いつ来るかもわからない終わりを考え備えるなど、愚の骨頂である。

「メディ?どうしたの?」

 足を止めた私に母が振り返り、それに続いて三人が首を傾げる。

 パーチェには、感謝をしなければならない。危うく私は、もう少しで、メデイアでなくなってしまうところだった。己の誓い一つ守れないほどに、どうしようもなく愚図で愚鈍な女になるところだった。

 今の私がすべきは、この私の中の薬を、毒として周囲に感染させていくことだ。時代を終わらせ世界を滅ぼす、そんな劇薬を、無作為に撒き散らして充満させることなのだ。

 理由付けなど後回しで良い。後のことは後で考えれば良いのだ。私はただ、リスクもリターンも度外視で、ひたすらに毒と薬を振り撒いていれば良かったのだ。

「そんなに気になるなら、後で聞かせてあげるよ。せっかくだから、フィオリも一緒に、ね」

 管理区画には、娯楽というものがほとんど存在していない。ノイドもフロスロイドもそれに疑問を感じず、不平不満もないらしいが、これでは正しく蟻の社会そのものだ。娯楽のない社会など、人間の世界には似合わない。ならば、私が染めてやろう。人類守護という大義など興味の埒外になるほどに、存在意義など無意味になるほどに、どいつもこいつも落として堕として堕落させて、二度と這い上がってこれないようにしてやろう。それで良かったのだ。まずはそれだけで良かったのだ。

 今のノイドとフロスロイドは、底にひびの入ったバケツだ。それをどうにか心の奥に押し付けて、存在意義という水が漏れ出ないように留めているだけに過ぎない。ならば私が、そのバケツの取手を握って持ち上げて、水を抜いてしまおう。そして空になったそれを再び心の奥に強く強く押し当てて、固定して、私の血液で満たしてやろう。

「あら、それは楽しみね!ねぇ、トゥル?」

「そうだな。物語というものを読んだことはないが、人間先生が書いたものなら、興味がある」

 この二人のように、すでに水が抜けている者もいるはずだ。完全にではなくとも、水嵩が減っている者は多いだろう。フィオリはどうか知らないが、少なくともあの純粋さは都合が良い。水は清ければ清いほど、血や泥ですぐに濁るものだ。彼女に関しては、バケツを空にする必要性すらないかもしれない。


       ❅


 さて、まずはどの物語を聞かせようか、と考えているうちに、植生管理班の一室に到着した。

 ラウンジから若干離れたそこに入ると、フィオリが以前エリスが着ていたものと同じ、生神の衣に身を包んでいた。その横にはチコーニャと見慣れないフロスロイドが二人立っていて、突然訪ねてきた私達に、鬱陶しそうな視線を送ってくる。

「あら、ラトナも来てたのね?調子はどう?」

 駆け寄ったパーチェが、赤い髪の女性フロスロイドに声をかける。そのフロスロイド、ラトナは、こちらを睨みつけた後に、その視線をパーチェへと持っていく。

「バグと異端者と裏切者を連れてこないで。私達は、遊び感覚のあなた達とは違うのよ」

 これはまた、ずいぶんと嫌われたものだ。バグというのはエリスとして、異端者は私、裏切者は母のことだろうか。なるほど、直接保護区画に入って管理する治安管理班に所属していた母は、彼女達の視点では、確かに裏切者に見える。

 ラトナはフィオリを庇うような位置に移動し、パーチェの肩を押して、近付くなという意思表示をする。彼女の視線は、特にエリスに注がれている様子だ。何かあったのか、とエリスに小声で訊ねると、どうやらラトナはエリスの前の生神らしい。記憶透写に失敗し、以前の人格が失われ、生神の役をエリスに譲ることになったのだとか。それだけに、バグとして私と共に行動しているエリスが、許せないらしかった。

「"人間先生"が、私達に何かご用でも?」

 ラトナの肩に優しく手を置いて、フィオリが用件を問う。

「あなたの晴れ姿を見に来たのよ!」

 それにパーチェが、腰に手を当てて答える。

「なら、もう用は済んだでしょ。邪魔をしないで、今すぐ出て行って」

 フィオリの体を抱くようにして、私達から遠ざけるラトナ。ずいぶんと親密………というより、ラトナが一方的に好意を抱いているかのようにも見える。

 そういえば、エリスやヴィヴィの話では、管理区画は保護区画と真逆で、異性恋愛が禁じられているのだったか。彼ら彼女らにとっては、そもそも生殖機能自体が仮初であるため、恋愛感情自体が不要なものだ。しかし、人格がある以上、多少はそういった感情も生まれてくる。

 異性恋愛が禁じられているのは、フロスロイドの性質によるところが大きいらしい。なんでも、フロスロイドはノイドと違って、雌雄で生殖を行うことで子を成せる、というのだ。それを"実を結ぶ"と言うらしいが、実を結んだフロスロイドはその機能を終え、のだとか。

 故に、フロスロイドの恋愛は、人間のそれとは大きく違い、同性同士でのプラトニックなものとなる。聞くところによると、ラトナは記憶透写の失敗後、フィオリに色々と教わっているらしいので、刷り込み効果も相まって好意を抱いた、といったところだろう。

「"人間先生"だか知らないけど、私達はあなたみたいな、身勝手な人とは違うの。話しかけるなら、理性を備えてからにして」

 ラトナの発言に、理性と来たか、と思わず苦笑が漏れ出る。

「何が可笑しいのよ?」

「いえ、あなたは理性というものを、よく理解していないようだ、と思いまして」

 旧文明でも、理性こそが人類の人類たる所以である、と主張する者は多くいたらしい。理性的に、合理的に判断することこそが、人類を万物の霊長たらしめているのだ、と。全くもって笑えない、くだらない思考である。

「身勝手に人類を危険に曝したあなたが、理性について語るのね。本能でしか動かない獣に、理性を説かれる筋合いはないわ」

「身勝手に人類を危険に曝した私だからこそ、理性について話せるのです」

 どいつもこいつも、なぜこうも理性のみが尊いものだ、と心得違いをするのだろう。理性と人間性の違いを知ろうとしないのだろう。

 帰りましょう、と私の手を引く母を制止する。ラトナはともかくとして、フィオリがいる場で講義を行えるのはありがたい。

「あなたは自分を理性的だと言いますが、ではなぜ、私と会話をしているのですか?不要な会話をすることが理性だ、というのであれば、なるほど、あなたは私と少し似ているかもしれません。私はそれを、理性とは呼びませんが」

 根本的に、理性と人格は相容れないものだ。ノイドとフロスロイドに人格がある以上、ラトナが口にする理性を獲得することはできない。いや、あってはならない。

「一回目の授業を覚えていますか?私は、あなた方が管理するホワイト=シンクを、蟻の社会で喩えました。自己が無く、利己が無く、ただ一つの意思によって行動する、本能の社会ぐんたいだと」

 フィオリに視線を移し、一月前の復習をさせる。

 ノイドとフロスロイドの存在意義は、究極の理性でもって完遂されるものだ。ただ人類という種を存続させるために行動し、その存在意義についえる。それは群体であって、人間性の集合社会たる群れではない。

「利己的な思想を持たず、一つの大義に依存して生きる理性と、自我を持たず、一つの意思によってのみ生きる本能。この二つは同じものです。究極の理性を得ることは、退化するということ。猿が火を発見したように、猿が道具を使い始めたように、猿が周囲の環境に適応するのではなく、自ら操作しようを考えたように、進化とはすなわち、個々が思考を続けることです。そして思考を続けるには、絶対的な大義など。それは脳を腐らせ、縮ませ、やがて大儀の前に脳幹が列を成すだけになる。

 種の保存という本能と、種の保存という理性。精神的な収斂進化、とでも言いましょうか。いえ、理性に関しては、退と表現した方が正しいかもしれませんね。あなた方は、正しくそれです。利己の無い理性は、思考を持たない虫と同等でしかない。

 矮小な本能と究極の理性は、どちらも感情を認めません。余分なものを削ぎ落とし、排斥することで、種の保存は手軽なものになるからです。ですがそれには、が用意されていない。

 種への貢献として思考と思想を削ぎ落とすのが、矮小な本能と究極の理性。対して、自己の確立のために思考と思想を取捨選択するのが、真の人間性というものです。

 本能と理性が創り上げる世界。それは理想郷ユートピアであり、暗黒郷ディストピアであり、完全監視社会パノプティコンであり────種の保存のみを追及する、虫籠です。私は虫に成り下がるつもりなど、毛頭ありません」

 しかし、と話の流れを変える。ヴィヴィの一件で学んだ。ノイドとフロスロイドの洗脳に必要なのは、存在意義を否定しつつ、その人格を肯定することだと。

「あなた方には自己がある。人格がある。そこに、理性に基づく合理性が入り込む余地など、ない。ならば周囲と同調し麻痺することは、許されない。私達人類と共に歩む者が、究極の理性に振り回されることなど、あってはなりません。

 人たらんとするならば、万物の霊長たらんと欲するならば、獣のような、虫のような、本能的な理性になど、屈してはならない。それは逃避に他ならない、人間性を手放す愚行です。自己を否定し理性を求め、種への貢献を唯一絶対の意義として掲げるものに、人間性は宿らない。感情と欲望を否定する理性など、人間が手にすべきものではない」

 出る杭には喝采を。それを打つ者には講釈を。それが人間のあるべき姿だ。集合的理性など、虫の餌にでもしてしまえば良い。

「身勝手な言い分ね。あなた一人が生きているわけじゃないのよ。全員が好き勝手に行動すれば、取り返しのつかない事態になることくらい、異端者でもわかるでしょ」

「取り返しのつかない事態を自ら引き起こせる、というのが、人間が他の生物と違う点ですから」

 合理性を追求し、究極の理性に基づく社会を追求し、その先にあるものは、生物の永遠の園ではない。電子基板だ。永劫に繰り返される停滞的変化の中に、個という概念は溶けて消え、最終的には、理性も本能も消え失せる。

 人の世界に必要なのは、正に取り返しのつかない事態だ。それは不可逆の革命であり、個々の精神性に大きな差がなければ、革命は起こらない。

 そして、自己を備えたノイドとフロスロイドには、究極の理性は似合わない。私と同じく、利己主義こそが相応しい。

「パーチェはフィオリの晴れ姿を見に来た、と言いましたが、実は私には、もう一つ、目的があります」

 私の言葉に、フィオリ達が警戒するのがわかる。異端者からこのような物言いをされれば、身構えて当然というものだ。

 しかしどうか、気負わずに話を聞いてほしい。物語というのは、一切合切の現実から個人の精神を切り離すことができる、麻薬の如き甘味なのだ。それがたとえ一時的な陶酔、一時的な逃避であったとしても、内面を空にして、耳を傾けるべきものである。

「新たな生神の誕生、それを祝うのは、娯楽作家として当然の責務。せっかくの機会です。一つ、御噺でもいかがかと思いまして」

 フィオリ以外が生神になったのであれば、私の今の言葉は、皮肉以外の何ものでもない。だが、フィオリはこちら側に引き入れなければならない、最優先人物だ。今に限って言えば、これは私の本心である。

 この場に適当な物語は、どれだろうか。少しの間そう考えて、"リュート"が良いか、と思い至る。この管理区画で禁じられている、異性恋愛の色が濃い物語だ。花の精霊とリュート弾きの少年の物語で、私が初めて、娯楽作家という言葉を使った物語でもある。"リュート"は即興演奏に乗せて語るのが一番映えるのだが、ここではそれは難しいので、ただ言葉を空気に乗せるだけに留めよう。

 の価値観を動かし、変えるのは、物語の存在だ。新たな物語に触れた時、人はこの世で最も尊い堕落を受け入れ、後ろ歩きで進んで往くようになる。

 旧文明で強い権威を持っていた、という世界宗教の創世神話では、人類の祖たる一組の男女は、知恵の実を食べて原罪を背負ったのだという。人はその罪を清算すべく、誠実に、そして潔白に生き、死してなお、神の下にて裁かれる。その御眼鏡に適った者のみが、後退的停滞のみが永遠に支配する、最後の楽園で過ごすことを許されるらしい。だが、そんなものは、冒涜だ。たかが神如きが何様のつもりだ、と説教の一つでもしてやりたくなるほどの、人間に対する侮蔑の顕れだ。

 神の意思に背き、知恵の実を口にする。それは原罪などではない。間違いなく、偉業だ。自らの意思で創造主から離反する、目を焼くほどの、尊き欲の輝きだ。

 ならば、私が今、この場で成るべきなのは、ただの娯楽作家ではない。このホワイト=シンクに罪たる福音をもたらす、鎌首をもたげる蛇だ。腹這いで進めという呪いは、私には恩寵にすら見える。一歩ずつ楔を打つ、それすらも贅沢に聞こえるほどの、私にとっては。

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