CHAPTER XX

 真の意味での人間との共存、という言葉を使った効果は、予想以上に早く、目に見える形で実感することができた。"人間先生"の二回目の授業への参加人数が、前回から増えたのだ。

 依然として、私達への視線は冷たいままではあるが、一度の授業で受講者数が四人から九人に増えたというのは、間違いなく私の言葉が波紋となって広がっているということを意味している。

 特に今日は、イコベヴィアと彼女の補佐が来ていなかったこと、ヴィヴィ────ヴィオラがこちらの味方についたことで、前回よりも数歩踏み込んだ話をすることができた。

 保護区画内の人間をコロニーの労働力として数えるため、フローラを解放するべきである、と主張したのだ。同時に、地上への資源探索や現在の地理を把握することの重要さ、そして将来的に、あるいは旧文明の人間を上回る知識を持つ者が現れるように、フローラ内で教育を徹底するべきである、という考えも伝えることができた。

 しかし、私の目的は"誰に咎められることもなく物語を書く"というものだったはずなのだが、最近は全くと言っていいほどその時間が取れていない。これは本末転倒というやつではなかろうか、と唸っていると、部屋の扉を開けて入って来たエリスが、カップを両手に「何か悩み事ですか?」と声をかけてきた。

「いや、最近は忙しくて、御噺を書く時間が作れないなぁ、って」

 俯せになり、ヴィヴィのマッサージを受けながら、カップを受け取る。中身は洒落たハーブティーなどではなく、多少茶葉の味がするだけの、白湯のようなものだ。

「未来への時間的投資だと思えば、そう悪いものでもないと思うけど。前回来ていた四人は今回も参加で、さらに五人が新たに増えた。なかなかの反響だし、予想よりもメディの噂は早く広まっているわ」

「フィオリは来るだろうと思ってたけど、他の三人は予想外だったな。まぁ、ガットコーダは、相変わらず私の体調面を確認したいって感じだけどさ」

 それよりも、フィオリの付き添いとして来ていた一人、チコーニャと交流があるという、地上監視班の二人が参加したことの方が驚いた。二人が部屋に入って来た時には、どこかで見た覚えがあるな、という程度の認識だったが、後になってから、二月前、イコベヴィアに連れられて地上に出た際に私に防護服を着せた女フロスロイドと、地上監視任務の交代時間とかで、下りのリフトに乗っていた男ノイドだと思い出した。

 後の三人は全員が科学開発課の者達で、そのうち二人が開発室所属だった。グファーの知人だと言っていたが、彼いわく、開発室はいくつかの部署が統合されたものであるらしく、かつて地上探索に使用されていた特殊なビークル、"バード"の開発と整備を行っていた者達が多く属しているのだと言う。

「正直、御噺を書きたいっていうのとは別に、地上に行きたいって想いもあるんだけど………」

 最近、物語を書く手が止まっているのは、時間が作れないという理由とは別に、もう一つある。

 二月前のあの日────私の創作意欲というか、原動力だったものが現実に存在していると知ってしまったあの日以来、自分の中にある空想が、妄想が、脳から神経を伝って出力されなくなってしまったのだ。

 それまでは、私の求める世界は、私の中にしかなかった。しかし、想像とは違っていても、少なくとも、この閉鎖空間よりは圧倒的に魅力的で美しい世界が脳裏に焼き付いたことで、何を書けば良いのか、何を書きたいのか、なぜ書いていたのかが、まるきり見えなくなった。

 きっと、もう、私の原動力は、ホワイト=シンクの中には残っていない。私がこの先も書き手であり続けるためには、あの白銀に輝く死の世界に身を移す必要があるのではないか………と、そう思えてならないのだ。

だけなら、イコベヴィアに許可を取れば、不可能ではないだろうけど………。観測台よりも向こう側に出たいという話なら、"バード"が無い以上、すぐには無理ね」

 そうだよねぇ、と溜め息を吐く。そのまましばらく呆けていると、少し経ってからヴィヴィが私の背から体を退かして、今日の施術が終わってしまった。

「ねぇ、ヴィヴィって、遺伝子学班の所属だよね」

「そうだけど」

「遺伝子学班じゃ、マッサージのやり方を研究してるの?」

「そんなわけないでしょ。八十年くらい前、医務班にいた頃に、ガットコーダに覚えさせられたってだけよ。"人間の体調管理にはこういう技術も必要だ"、ってね」

 何をやっているのだあの男は、と呆れるのと同時に、良くやったとガットコーダへの評価を内心で少し上げる。

 ノイドやフロスロイドは、人間と違って体が凝り固まって仕方がない、というような状態になることがない。しかし、医務班の所属であったのならば、保護室内の人間に施術をする機会も、極々稀にはあるのだろう。

「もっとも、今の今までまるきり役に立たない技術だったけどね。私が医務班にいた頃には、もう保護室は場所を取るだけで、空室ばかりになっていたから」

 保護室が使われない、ということは、フローラで極刑や終身刑を言い渡されるような凶悪犯や、私のようなミクシードが現れなかったということだ。

 過去の文明の記録を漁っていて最も驚いたのは犯罪発生率の高さだが、コロニー移住後の数百年のそれは、多少の低下が見られるもののほぼ横這いだった。それが大きく変化したのは、過去の文明を直接知る者がいなくなり、親から子へとその知識が伝わることも、口にする者も減っていって、文明レベルが低下し、生神フロスロイドを積極的に神と崇めるようになった時期と一致する。

 もう一つ、過去には人種という概念があったらしいということも、争いの火種になっていたのだろう。記録によると、旧文明には肌の色が大きく違う、私達以外の人種が存在していたらしい。

 私達は白色人種コーカソイドなどと呼ばれていたようだが、他人種への攻撃は、特にコロニー移住前後に強く見られる。ホワイト=シンクに白色人種コーカソイドしかいない理由は、当時の人間達がコロニー内でそれぞれコミュニティを形成した際に、人種ごとに分かれて、それが次第に強い対立を生むことになったからだろう。要するに、他人種を物理的に排除した結果だ。

 確か、民族浄化、と言うのだったか。最も人口が多かった時期でも四、五万人程度のコロニー内で、人種を理由に自ら数を減らしていくというのも、なかなかに愚かな話である。私とどちらが人間性に欠けるか、是非とも比べてみたいものだ。

 もっとも、現代の私達からすれば、五万人弱という人数は、想像することすら難しい、途方もない人数なのだが。

「外………」

 外の世界に行ってみたい、という私の発言に、エリスが反応する。私やディアと違って、彼女の目的は明確ではない。"前の自分"とやらの遺した意思を確かめるためにどこかへ向かいたい、というのが目的になるのだろうが、地上への脱出はその手段に過ぎず、また、前の自分の意思を結末を知ってどうしたいのか、ということについても、彼女自身は「よく分からない」としか答えないのだ。

 最低限必要な知識がある状態で人格が形成される、といっても、今のエリスはまだ二歳にも満たない、生まれたばかりの存在だ。彼女が時折覗かせる子供のような態度や仕草も、おそらくはそれが理由なのだろう。

 そんな子供である彼女に、人生を賭けるような明確な目的など、ある方が不自然ではある………のだが。

「そんな暗い表情をしないでよ。"あの子"が誰なのか、"あの場所"がどこなのか。それを知りたいから、あの夜、私達に話しかけてきたんでしょ」

 運命的な出会いや偶然というのは、大抵の場合、後になって振り返れば必然となるようなものばかりだ。それが大きな出来事であれ、小さな、些末なことであれ、多少なりとも人生の転換点となる以上、主観的に見れば必然と呼ぶに相応しい。

 私がディアと出会ったのも、エリスが私と出会ったのも、私がエリスをディアの館に連れて行ったのも、今となっては必然だったと考える他にないほどに、正に運命的な偶然だった。

「前にも言ったけど、を選んだなら、少なくとも人前では、不安は押し殺して狂人に徹するべきだよ」

 酷い女ね、とヴィヴィが横槍を入れる。全くもってその通りだが、私の共犯者となることを選んだ彼女に言われる筋合いはない。

「メデイアさんは………その、一緒に来て、くれますか?」

 私がエリスのに協力をする理由は、好奇心以外に無い。ディアの目的に至っては、むしろ対象的とすら言える。私にしても、物語の読み手を欲するのであれば、エリスに同行をする必要性も必然性も皆無だ。

「ここでやることを終わらせてから、ね」

 しかし、私の世界が地上にあるというのなら、その、ただの好奇心にこそ従うべきだろう。私は、必要性や必然性だけを求める職業作家ではなく、自制の利かない好奇心の傀儡かいらいである、娯楽作家なのだから。

 そこで、扉をノックする音が聞こえる。今いる私達の自室ではなく、廊下と第十三別室を隔てる扉の方だ。

 イコベヴィアでも来たのかな、と立ち上がり、室長として応対すべく扉の前へと進む。しかし、立っていたのはイコベヴィアではなく、薄黄色の女フロスロイドと、灰色の男ノイド────パーチェとトゥルだった。

「さっき振りね。私のことは覚えてくれている?地上監視班のパーチェよ!こっちは同じ地上監視班のトゥル。よろしく!」

 覚えているも何も、地上を見る前に私に間抜けな防護服を着せたのはこの女だ。忘れるはずもない。しかし、授業中にも思ったことだが、この女は少々声量が大きい気がする。二月前の初対面時はもう少し落ち着いた雰囲気だったと記憶しているのだが、あの時はイコベヴィアがいたから猫を被っていたのだろうか。

 彼女の隣に立つトゥルは、対照的にあまり口を開かない性格らしい。実際、私も二月前に、下りのリフトでイコベヴィアと数言交わしているのを聞いただけだ。

「本日は参加していただき、心より感謝いたします。何分新設の部署ですので、まだ活気があるとは言い難い授業風景ではありますが────」

「良いの良いの。あなたとは前に一度会ってるし、そう畏まれても話し辛いわ!」

 私の言葉を遮る彼女に、これ以上の社交辞令は必要無いか、と少し態度を崩す。

「それで、ご用件は?」

 授業後にわざわざ直接訪ねてくるということは、あまり他の参加者に聞かれたくない話なのだろうか。たった一回の授業でこちらの考えに同調した、というわけでも無いように見えるが、一日でも早く、一人でも多く協力者を増やしたい私にとっては、こういう密会めいた押しかけ面会は好都合ではある。しかし、この二人がイコベヴィアや三人の補佐から何かしらの命令を受けている可能性もあるし、あるいは授業中の私の言葉に影響されてここに来たのだとしても、それはパフォーマンスとしての私の思想に賛同した、というだけに過ぎない。

 ひとまず、客人を廊下に立たせ続けるのは礼儀に欠けるか………と、入室を促す。同時に、ヴィヴィに二人分の茶の用意を頼み、椅子を二つ、パーチェとトゥルの前へと移動させる。エリスではなくヴィヴィに茶汲みを頼んだのは、部屋の外で誰かに探りを入れられるようなことがあった場合、エリスでは適切な対処ができないだろうと考えたためだ。

 着席するパーチェとトゥルを見ながら、さて、この二人はいったいかな、と警戒度を高める。

「地上を見た感想を聞きたくて。ああ、聞きたいことはもう一つあるんだけど、まずはそっちが先かな、と思ってね!」

 質問の意図が理解できない。いや、もう一つの質問こそが本題と考えるべきか。だとすれば、やはりこの二人は、イコベヴィアらから何かしらの指示を受けている可能性が高い。私の回答次第では、事態が大きく動く可能性すらある。もちろん、悪い方向に。

 ヴィヴィを退出させたのは失敗だったか、と内心で唇を噛む。エリスもこういう場面で頼りにならないわけではない、というのはディアの館で知っているが、生きた年数的に、ヴィヴィの方がよりこの場に即した言動を期待できる。

「地上を見た感想、ですか。そうですね………」

 どう答えるべきか。"人間先生"として対応するのであれば、やはりこの会話は、"人間とノイド、フロスロイドとの真の共存。すなわち共生することによるコロニー全体での労働力の確保と未来への布石を打つこと"という点に着地させるべきだ。

「現状の環境では何とも言えない、というのが正直なところでしょうか。恒久的な居住空間としては適さない、過酷過ぎる環境です。

 加えて他コロニーとの連絡手段も無く、ホワイト=シンク以外に稼働が確認できているコロニーも無い現状では、地球規模での気温や天候の観測もできません。その上、フレークスによる大気汚染………あえてという表現を使わせていただきますが、その問題も改善される見込みがない。

 全球凍結という現在の地球の状態と氷期を単純に比較することはできませんが、約十一万年前から始まった先史における最終氷期が、数度の小温暖期を経た後に最寒冷期に達したのが約三万年前ということを考えると、地上進出………いえ、地上への帰還は、数万年後となる可能性もある。

 しかし、保護区画内の人口が減少の一途を辿り、資源も底を突きかけている以上、現状維持では保って精々が数百年、極限まで資源を節約したとしても千年程度、といったところでしょうか。

 であれば、地上への資源探索部隊の派遣や、コロニーの再整備、拡張などが急務です。旧文明の技術を再現するための研究も不可欠となるでしょう。地上に出ても、コロニーにいても滅亡が避けられないのであれば、一部が前者を選ぶことで活路を見出せる可能性も、無いではありません。重要なのは、多数の可能性を並行して模索することだと考えています。」

 そうなのね、と明るくも含みのある微笑を浮かべたパーチェが、今度は私の後ろのエリスにも、同じ質問を投げかける。

 やはりヴィヴィを残すべきだったか、と後悔をするが、しかし、エリスがバグ個体であることは周知の事実である。その彼女が第十三別室に籍を置いているということは、第十三別室の掲げる思想とエリスの思想に共通点がある、と認識されているということでもある。ならば、ここでエリスが本心を語ったとしても、大きな問題にはならないはずだ。

「私にはエラーが出ていますので、人類の守護者として地上について語る資格は、持ち合わせておりません。それでもよろしいのであれば、一言────………私は、が遺した後悔の断片のようなものを、放置する考えは持っていない、とだけ」

 少々本心を晒し過ぎにも思えるが、この程度であれば許容範囲内だろう。なぜなら、おそらくイコベヴィアは、前のエリスとやらの言う座標がどこを指しているのかを知っている。そしてその場所は、おそらくどこかのコロニーか、あるいはシェルターのはずだ。

 エリスは以前、あの夜に、イコベヴィアに対して、"あの場所であの子が助けを待っている"という趣旨の主張をしている。これは少しばかり飛躍した、というより多分に希望的観測を含んだ考察だが、そのから何かしらの信号が発せられていて、バグ個体であるエリスがそれを受信してしまった、とも考えられる。そして、この八千年もの間氷に閉ざされている世界で、信号を発せられるような施設など、コロニーかシェルターを置いて他に無い。

 信号を発することのできる状態のコロニー、あるいはシェルターが現存しているということは、その場所には多少の資源を期待することができる、ということだ。信号を発しているの存在も無視できない。

 つまり、第十三別室が掲げる思想と、今のエリスの発言は、矛盾しない。

 地上探索と言っても、資源の場所に目星が無ければ、無駄に危険を冒させて、労働力を失うだけの結果になるだろう。しかし、もし仮に、本当に今もまだ稼働している居住施設が残っていて、そこから何かしらの信号が発せられていて、

 それは、彼女を玉座から引きずり下ろす、その最大の一手となり得る。

 そして、空になった玉座にエリスを座らせ、改革を行えば、私の、ディアの目的は、まず達成される。エリスの目的も、地上への資源探索という大義の下で果たされるだろう。

「パフォーマンスは、もう十分に聞いた」

 今まで黙って、相槌すら打つことが無かったトゥルが、口を開く。

「俺達が聞きたいのは、"地上を見た上でのホワイト=シンクの未来について"ではない。純粋に、"初めて見た地上に何を感じたのか"、だ」

 彼の言葉にどのような意図が隠されているのか、洗濯中に遊ぶ子供のように、脳内を掻き回して思考を加速させる。

 イコベヴィア────いや、統合管理局に何かしらの命令や指示を受けている、という前提を踏まえると、この質問は、私達の潜在的な脅威度を計るためのものに思える。エリスがバグ個体であるのと同様に、私もまた、今の時代の人間としてはバグ個体と呼ぶに相応しい。それは、私がフローラで起こした事件を知っていれば分かることだ。

 メデイアというミクシードは、ホワイト=シンクにとって、益となるか、害となるか。

 エリスというフロスロイドは、人類にとって、益となるか、害となるか。

 ────………これは、少し、いや非常に、良くない状況だ。

 トゥルは間違いなく、二月前に地上を見た際の私の反応を、知っている。美しく死が包み込む白銀の世界に恍惚としていた私を、知っている。

 しかしそこで、ならばこの質問の意図は何だ、という、初めの疑問が再び浮かぶ。

 あの時の私の反応を見ていたのであれば、今さら潜在的な脅威度を確認する必要性はないだろう。私が異端者であることは、すでに知っているのだから。そして当然、その情報はパーチェにも渡っているはずだ。

 で、あるならば、この二人はいったい、その質問で何を知りたがっているのだろう。どんな回答を期待しているのだろうか。

「────綺麗だったでしょ?」

 パーチェが言う。

「トゥルからね、聞いたの。人間先生は、リフトに乗って地上に出た時に、すっごくすっごく興奮していた!って。それはもう、初めてフルートの外に出た、生まれたてのフロスロイドかノイドみたいに!」

「ああ。人間を直接見たのは初めてだったが、なかなかどうして、やはり俺達を生んだやつらの子孫だけはある。………そんな"人間先生"が、妙にホワイト=シンクに話をしていると聞いたら、真意を問いただしたくもなるだろう」

 ああ、なるほど、と、二人に対する警戒心をいくぶんか解く。今の発言が本心から出たものなのであれば、私が身構える必要は無い。

 しかし、本当に信用して良いものだろうか。ヴィヴィに対しても、正直完全に信用を向けることはできていないのだ。私達の行動はそれだけホワイト=シンクに、人類にとって致命的な損害を与えかねず、本来であれば味方など得られるはずもない。わずかな時間でヴィヴィが協力者となったことは正に奇跡的だが、奇跡は列をなして扉を叩くことは無いだろう。

 ならば、私が今取るべき行動は、何だ。

 室内には沈黙が流れ、誰一人として口を開こうとしない。この沈黙が、私達にとって有益なものなのか、あるいは有害なものなのか。それはおそらく、結果としてしか現れないだろう。

 左手を胸の位置まで持っていき、エリスに合図を送る。私が第十三別室で"人間先生"を行う対価として提示し、イコベヴィアが受け入れた、エリアルシートへの上位アクセス権限を使用させたのだ。

 そして、パーチェとトゥルに向かって指を五本立ててみせ、発言を促す。

 これは、私の良くない癖だ。冷静に考えれば明らかに罠と分かるこの状況で、この二人が次に何を言うのかを知りたい………という、至極どうでも良い好奇心に抗えない、私の致命的な思考の穴である。

 この二人は果たして、過去と現在に対する裁定者か、未来の共犯者か。

 間を置かずにパーチェが口を、いや、両手も同時に、大きく開く。

 あるいは私の今の一瞬の決断で、全てが終わる可能性すらある。この短い期間で何度も体験したこの自業自得な危機的状況に、しかし、私は一種の快感すら覚えているらしい。

 好奇心を優先して、生命の、将来の危機に自ら全身を放り込むなど、生物の本質としてあまりにも異常だ。そしてその異常性を土台として、私は私という存在を構築する。好奇心の傀儡である、娯楽作家としての自分を。

「────………私達はね、いつか、地上に行きたいの。昔あったっていう、地上探索班として、ね!」

 エリスがエリアルシートへのアクセスを解除する。

 わずか五秒の間に発せられたパーチェの言葉は、しかし、その意図を推し量るには十分過ぎる内容だった。もしも、これがイコベヴィア達の張った罠だったとしても、より早く、より強く、この二人を洗脳してしまえば良いだけのことだ。

 今は、トゥルの"ホワイト=シンクに"という発言に、賭けてみるのも悪くはない。

 私自身の目的とは異なるかもしれないが、少なくとも、そう遠くない未来に、私達が地上へ出る足がかりにはなるだろう。

 ならば、私が次に口にすべきなのは、やはり定例文のような、あの一文以外にあり得ない。

 椅子から立ち上がり、右手を胸に当てて、少し腰を折る。そして、浅く一度呼吸をしてから、微笑を浮かべて、舌の上で転がした言葉を、ゆっくりと吐き出した。

「改めまして、ご挨拶をさせていただきましょう。保護区画フローラ出身のミクシード、メデイアと申します。────………ようこそ、私達の部屋へ」

 ヴィヴィの次は、この二人だ。

 リフトの操作ができるパーチェと、地上監視室に詳しいトゥル。彼らをこちら側に完全に取り込むということは、隔壁門を手中に収めることと同義だ。フレークス除去装置を備えた通気口が、コロニーと地上を繋ぐ出入口になり得ない以上、退路・・を塞ぐという意味で、イコベヴィア達への抑止力にもなるだろう。

 イアソンやディアは上手くやっているかな、とフローラでの計画進行具合を想像する。女王レジーナの下で潜伏をしているディアも、そろそろ新たな商会を立ち上げるべく、本格的に行動を始めるはずだ。その商会を基盤として生神信仰を崩していき、"人間の自由意思"という大義を掲げ、自由軍リベルタスを結成する。そしてその自由軍のでもって、保護区画と管理区画を隔てる門を開け放つのだ。

 人類の守護が存在意義であるノイドとフロスロイドは、少数を犠牲にすることに躊躇いはすれど、人類という種の保存のためであれば、それを早々に切り捨てることができる、合理的思考を有している。しかし、それはあくまで、数人、十数人程度の話だ。現状、確実に把握できる人間の数は、わずか一万四千四百人。その中から、百人か二百人でも自由軍に属する人間が出てくれば、それはもはや"少数"ではなくなる。総人口の百分の一を異端者として排除すれば、人類の歴史の終幕が早まるからだ。

 つまり、自由軍に取り込んだ人間は、そのまま管理区画に対する、交渉材料となり得る。そしてそれには、管理区画側の協力者が必要だ。それも、可能な限り多く、自らの意思で賛同する者達でなければならない。

 計画の第一関門は、私とエリスの処遇についてだった。そしてこれは、すでに突破している。第二関門となるのは、春の四季祭灰被り祭────新たな生神の降誕だ。

 エリスが植生管理官の任を解かれた以上、別の女フロスロイドが次の生神として指名されるのは、当然のことである。エリスの後任となるフロスロイドは、通達では確か、"人間先生"の授業を受けに来ている一人、フィオリだったか。できれば、彼女の方を先に洗脳しておきたかったところだが、今はパーチェとトゥルに集中すべきだろう。

 春の四季祭まで、一月弱。時間は無い。二月前から、私達には常に、時間が足りていない。

「もう一つの聞きたいこと、というのは?」

 ああ、それはね────と、パーチェが答える。彼女の回答で、今日の授業に開発室所属の者が来ていた理由を知ることができた。どうやら、エリスのようなバグ個体以外にも、な者達は、案外多いらしい。それは人間に対する、彼らなりの信仰心のようなものなのかもしれない。

 これなら、チコーニャとフィオリ、グファー、グールグーの洗脳は、そこまで時間を必要としない可能性が高い。私はどうやら、それなりの運を持っているようだ。

 いや、運が良いわけではないか。考えてみれば、八千年の間に緩やかに衰退してきている世界で、おそらく保護区画フローラよりも、単調極まる時間を過ごしてきたのだ。その現状自体が、ある意味で彼ら彼女らの存在意義に反している、とも言える。要するに、打開策が欲しいのだ。パーチェとトゥルが地上に出たがっているのも、ただの憧憬ではなく、それが自らの存在意義を示す手段である、と考えたからだろう。

 それならば、やはり、当初の予定よりも、早く計画を進めることができそうだ。神を演じる彼ら彼女らが抱える不満を、利用すれば良いだけのことなのだから。

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