INTERVAL

 ノクチュカいわく、彼ら彼女らには、人間と比較して欠落している部分があるらしい。ゆえに、少なくともこの終わりかけている世界の中では、人間を超えることはおろか、肩を並べることすらできないはずだったのだ、と。


 ────昔はね、凄く昔には、私達は地上に出て、雪と氷の世界で、資源を探して集めてたんだって

 

 黄味がかった白い髪を揺らしながら、パーチェは瞳を輝かせて、私に顔を近づける。これで何度目だと彼女の顔を手で押し戻しながら「でも、探索にかかるコストの方が上回るようになって、地上探索隊は派遣されなくなった………でしょ」と言葉を先取りして、彼女の機嫌を損ねてみる。しかし実際のところ、彼女が外の世界に興味を抱いているのは、外の世界そのものよりも、むしろ彼の影響の方が大きいのだろう。

 地上監視員などという役職は、突出した能力を持たない個体が問題を起こさないための、厄介払いに過ぎない。ふうに言うなら、左遷、というやつになるだろうか。人類の未来を守護し、人類の滅びを回避するためにと人間となんら遜色ない知性を与えられ、そうして限りなく人間的になった彼ら彼女らのその実態は、皮肉にもと言うべきか当然と言うべきか、保護区画内フローラでの認識とはかけ離れている。ノイドもフロスロイドも、身体的特徴や体質、あとは使命があるという点を除けば、まぎれもなく人間なのだ。いや、精神性という意味では、人間よりもはるかに人間らしいと言えるかもしれない。人間ほど暴力的でなく、人間ほど愚鈍でもなく、人間ほど人類に大して無頓着ではない。使命と責任を背負っている、という部分を見れば、彼ら彼女らは極めて人間的であって、神よりも尊い精神性を有していると表現することもできる。

 機械的な判断基準では、人類という種の保存は成し得ない。そう判断したらしい八千年前のホワイト=シンクの人間達は、人間による人間への監視社会を否定し、代わりに人間的な人外による人間への監視を望み、求めた。

 結果として、少なくともホワイト=シンクのその形態実験は成功していると言えるが、人間的であるということはつまり、人間と同じく個体差が生まれるということだ。人類守護の使命のために人類を理解する。それには人間的な思考と感覚が必要で、ゆえに個体差────肉体的だけでなく、精神的な意味で────が重要な要因となる。しかし、個体差があるということは、簡単に言ってしまえば向き不向きが生まれるということで、陳腐な表現だが、何の才能も無い個体が生まれるということでもある。

 それ自体に問題は無いらしいが、その無能な者に与えられる役職など多くはない。その数少ない役職の一つが地上監視員だ。

 地上監視員が自らの肩書きに意味を見出して外界に興味を抱き、さらにその地上監視員に興味を抱くというこの二人は、私やエリスと同じ、バグでイレギュラーな存在なのだろう。いや、二人が外の世界に憧れるようになった原因は、間違いなく私なのだが。

「でも、違う。私達はこのホワイト=シンクの新生地上探索隊。今から未知の世界へと足を踏み入れるのです………!!」

 相変わらず大仰で間の抜けた話し方だと苦笑しつつ、防護服越しにリフトの上る先を見る。この景色も一年半ぶりだ。

「おい、そこの馬鹿ども。もうすぐ終点だ。早く中に入れ」

 "チヴェッタ・クレプスコロ"の上部、監視室ドッグハウスのハッチを開けて頭を出したノクチュカが、エリスとパーチェに搭乗を促す。骨董品を通り越して化石と呼べるほどに古い技術で動くこの雪上探査車両は、外観からは想像できないほどに内部空間が狭く、長時間の搭乗は気が滅入ってしまう。なので、せめて地上に出るまではとこうして外にいたのだが、リフトを強制停止される可能性もあるため、すぐに"チヴェッタ"を動かせるようにとノクチュカは言いたいのだろう。

「楽しみねー、エリス!私達もいよいよ、地上デビューよ!」

 パーチェとエリスの体が車体の側面を登り、ハッチから"チヴェッタ"の中へと消えていく。通信端末から聞こえるトゥルの声によれば、隔壁門まではあと三分といったところらしい。

「別れの挨拶は手短に頼むぞ、メデイア」

「分かってる」

 ノクチュカにそう返して、私と同じように防護服を着ている父に向き直る。母がこの場にいないことは残念ではあるが、私の出立には頑として反対する気でいるようだったし、仕方がないと割り切ろう。

「でも、少し以外だったかも。あの時はお母さんよりも、お父さんの方が怒ってたから」

 と、一年半前の、聖芽祭の二日前の夜のことを思い出す。

「俺だって止めたいが、子供はいつか親離れするものだし、親も子離れをしないといけない時が来ることくらいは分かる。お前が本気で行くと決めたなら、せめて見送りくらいは、な」

 キキにもこの場にいてほしかったが………と目を閉じる父に「親不孝な娘でごめんなさい」と謝ってみるが、だからといって今さら引き返すつもりはない。

 ホワイト=シンクはすでに、限界に達している。イコベヴィアも正気ではないし、ラトナはイコベヴィアに代わって神を演じてしまっている。おまけに生神信者と自由を掲げる解放軍とで戦争まで起きた。その原因は私達で、ノクチュカは思うところがあるようだが、これは好機に他ならない。

 私の初めの目的は達成され、ディア達の願いも叶い、もはやエリスの探しの旅が残るだけとなった今、ホワイト=シンクに留まり続ける理由はない。出立をいつにするかという問題はあったが、戦争が起きたのであれば、その隙に出ていくのが最善だろう。

 リフトが止まる。

「元気で、メディ」

「ありがとう。ヴィヴィもね」

 隔壁門開閉のためにとここまでの同行を申し出てきた彼女とも、ここでお別れだ。防護服越しでは別れのハグとして格好がつかないな、と身を離したヴィヴィの手を握り、「やっぱり来ないの?」と問う。

「"チヴェッタ"の設備じゃ、あと一人増えただけでも生存率が下がると思うから。………忘れないで。ここからだけど、私はいつでも、あなたの無事を祈ってる」

「なんか、後始末を全部押し付けるみたいで、少し後ろめたい気もするな」

 するとヴィヴィは口を大きく開けて笑い、「今さらあなたがそれを言うの?」と手を離す。

「確かに、メディが原因ではあるけど、まだ何も終わってないじゃない。全部、何もかも、これからよ」

 そう、これからなんだから────と呟くヴィヴィ。

 ノクチュカいわく、彼ら彼女らには、人間と比較して欠落している部分があるらしい。極めて人間的な人工であるノイドとフロスロイドは、人間のように強い好奇心を持たず、それゆえに想像力が育まれないのだと。あるのはただ、過去の知識データと経験に基づく未来予測だけなのだ、と。だからこそ、彼ら彼女らは文明復古の未来を自分達で切り拓くのではなく、それを人間に託して、ただの守護者に徹すことにした。

 八千年もの時の中にあれば、それすらも学習できただろう。ノイドとフロスロイドの人工知能の根幹にあるのは、八千年前の人間の、その思考の分析結果だというのだから。しかし、異常個体バグを除いて輪を乱すことのない彼ら彼女らは、大原則として使命に殉じる道以外を選ぼうとしなかった。ゆえに、かつての人類が生み出した知能かみは、人間を超えるどころか、肩を並べることすらない………はずだった。少なくとも、馬鹿な小娘がホワイト=シンクを引っ掻き回すまでは。

 好奇心と、利己的な思想と、発想力と、何よりも期待を、私は、彼らに、彼女らに、教え植えつけてしまった。後悔はないし反省する余地もないが、その結果がだというのであれば、私はやはり、間違いなく悪魔のような女なのだろう。伏魔殿パンデモニウム現世エデンを結ぶ、死と罪の橋守だ。

「こっちは気にしないで、あなたはそのまま、好きにやれば良い。あなたは私達の、"人間先生"なんだから」

 その妙な呼び方はやめてくれと何度も言っているのに、一向に改める気配もない。ヴィヴィは繋いでいた手を離すと、イアソンにウィンクを一つ見せつつ「頑張れ、色男」と舌を出して、隔壁門の操作盤コンソールへと小走りで向かって行く。

「色男って………。俺とメディじゃ、向けてる感情の種類が違うんだが」

「それでも一緒に行くっていうんだから、相変わらず大した惚れ込み具合だね?」

「ああ、後悔してるよ。現在進行形でな」

 後悔してるだけで省みない男だ、と呆れ半分、安心半分にイアソンの背中を叩く。彼も私達と同じように間抜けなデザインの防護服に身を包んでいて、一度着たことのある私よりも数段動き難そうにしている。

「昔から、お前には迷惑をかけてばかりだが………。メディを頼むぞ、イアソン」

 父の言葉に「慣れてますから」と苦笑するイアソン。その二人に「親公認の仲ですねぇ」といたずらっぽく笑いかけると、内側の隔壁門が開く音が聞こえ始めた。

「話には聞いていたが、凄い音だな。本当に危険はないのか?」

「隔壁門自体に危険はないよ。フレークスの除去装置もついてるし。まぁ、門の向こうは危険どころの話じゃないって、ノクチュカは言ってたけど」

 父の疑問に答えつつ、イアソンが"チヴェッタ"に乗り込むのを手伝う。私も一度、外の世界がどうなっているかを見たことはあるが、神秘的な死が包み込む場所というだけでも、危険などという言葉一つで表せるようなものではない。それに加えて、今の地球の気候にある程度適応した獣が、生存競争に敗北して地の底からあぶれて出てきていることもある、ともなれば、門を潜った次の瞬間に命を落としている可能性だってあるだろう。

 とはいえ、その獣たちがいなければ、外の世界での食料はエリスとパーチェに頼りきるしかなくなるので、定期的に遭遇して狩る必要があるのだが。

 ノクチュカの「出発だ」という声が、通信端末から防護服の内部へと響く。それに「分かった」とだけ答えて父と別れのハグをするが、やはりこの防護服のせいか、体温どころか呼吸音どころか感じられない。

「気をつけてな、メディ。気をつけて。………イアソン、お前もな」

 監視室から上半身を出してこちらを見ているイアソンに、念を押すように、父が「メディを頼むぞ」と伝える姿を背にして、"チヴェッタ"の側面をよじ登る。

 人類終末期にコロニー間の移動手段という目的で設計され、その後に地上での資源探索用として改修が繰り返された、一定期間の居住が可能な"バード"と呼ばれる雪上探索車両ビークルは、かつてはホワイト=シンクにも数台が存在していたらしいが、現在ではこの"チヴェッタ"一機しか残っていない。しかし各部の部品パーツは様々な場所に流用されており、それらを集めることで、ほとんど原型を留めていなかったビークルの残骸を、半年かけて使用可能な状態にまでトゥル達が改修────というより、作り直したと言った方が正しいが────し、この"チヴェッタ・クレプスコロ"が完成した。

 全長十二・六メートル、全幅七・五メートル、全高三・九メートルで、で使用するのであれば、搭乗可能人数は最大で十二人。

 二本の無限軌道クローラーには滑り止めグローサーがついており、操縦こそレバーで直接しなければならないが、変速機トランスミッションにも対応しているため、超信地旋回スピンターンも可能だ。トゥルは三角形状無限軌道デルタクローラーを履かせたがっていたが、"チヴェッタ"の長さでは適さないというノクチュカの説得に折れてくれたらしい。

 車体の全面は断熱装甲、操縦席は強化断熱ガラスで保護され、探査用アームの他、監視室ドッグハウスには暗視機能を搭載した監視鏡なども装備されており、また、車内には狭いながらも人工日光照射装置が置かれた栽培スペースや、最低限の居住空間も備えてある。当然、予備の部品などもあるため、居住空間は無いも同然なのだが。

 監視室の上部と操縦席の右側面にある搭乗口────操縦席自体は車体前方の左側だ────は隔壁門と同じ二重構造になっていて、フレークス除去装置と、取り込んだ外気を集めて清浄化する装置も完備されているため、細部まで密閉された機体の中でも窒息することはないだろう。

 動力は連結式の燃料電池と蒸気機関の真似事による火力発電が可能なハイブリッド式で、最大で七時間の連続走行が可能だ。

 八千年前の火星探査機を参考にしているというこの"バード"なら、旧文明の地図が役に立つかどうかも分からない現在の地上でも、ある程度の走破性が期待できるだろう。トゥル達の整備が完璧であるならば、だが。

 目的地はエリスの記憶にある座標………ではなく、ひとまずは第十一コロニーであるブルー=シンクだ。そこはかつて、ホワイト=シンクが"イタリア"と呼ばれていた時代には、"スペイン"という国があったのだという。なんでも"イタリア"と"スペイン"、そして"フランス"という三つの国は、ワイン生産において世界三大国とされていたらしいが、現在ではそれも、もはや遠い昔話に過ぎない。

 ブルー=シンクの座標は、北緯四十度五十一分の西経三度五十七分。入口の座標とコロニー自体の座標は異なる上、八千年の間に降り積もった白く輝く冷たい死の欠片たちに覆われているとなると、座標だけが分かっていても、見つけるまでには苦労するだろう。"チヴェッタ"は可能な限りの装備を搭載しているが、膨大な電力を消費するような、たとえば熱などで雪を溶かすような装置はない。走行時間の減少などから、生存率を大きく下げるためだ。

 八千年前のデータと、かつての地上探索班の記録などから現在の地形などを予想して、数枚の羊皮紙と私のエリアルシートに地図として書き込んではみたものの、地上探索室が解体されたのは七百年近くも昔のことだというし、むしろノクチュカの記憶の方を頼りにするべきかもしれない。もっとも、ノクチュカの記憶核は損傷している部分もあるので、助言程度に聞くのが良いのだろうが。

 これから先は、この、無骨で狭苦しい骨董品が、私達の命綱となる。しかし、整備は万全だと信じてはいても、人間にとってフレークスは猛毒だ。それも、目にはほとんど見えないような、呼吸をしただけで体の内側から蝕んでいくような、防護服を着ていないと外に出ることすらできないような、避けようのない脅威である。

 たとえば機体の密閉処理が不完全で、外気が機内に入り込んでしまったら。

 たとえば何かのアクシデントで、機体が歪んで外気が入り込んでしまったら。

 たとえば、フレークス除去装置が機能しなくなったら。

 外の世界は、そんなの話ですら、その可能性を確実に潰しておかなければならないほどの、悠久の死が包み込む場所なのだ。バラに棘があるのと同じように、いやそれ以上に、この地球ほしの死は美しく、何者をも寄せつけない。

 まさに狂気だ。狂信だ。

 コロニーという言葉は、"耕す"という意味の単語を語源にしているのだと、イコベヴィアは言っていた。地下深くで人工的に造られた、狭く貧しくも耕された安住の土地コロニーを出てまでを求めるなど、狂気で、狂信で、それ以外に言い表せる言葉など存在しない。

 トゥルとパーチェは七百年前の残骸に。

 イアソンは十年来の残骸に。

 ノクチュカは八十年前の残骸に。

 エリスは二年半前からの残骸に。

 私は十年前からの残骸に。

 それぞれ心を狂わされ、脳内を狂わされ、狂気と狂信と妄信と妄想に狂わされて、ホワイト=シンクを狂わせた。

「それじゃあ、行ってきます」

 父とヴィヴィに手を振って、監視室上部のハッチを閉じる。除去掃除を作動させてから下に降りると、ノクチュカとトゥルのやり取りが聞こえてきた。

 その二人の会話を背後に防護服を脱いで、窓から外の景色を眺める。それと同時に隔壁門が閉じ、除去装置が作動し、それから正面の隔壁門が開いて、暗い灰色の雲の隙間から少しだけ赤みを帯び始めている陽光が差し込んでいるのが見え、眼下に白い絨毯が広がった。

「微速前進。裂け目クレバスに注意せよ」

「了解。微速前進」

 ノクチュカとトゥルのやり取りを聞きつつ、防護服を脱いで、窓から外の景色を眺める。

 一年半前はここまでしか来ることができなかった。いや、来なかった。しかし、私の当初の目的が果たされた今、足踏みをする必要もない。

 死の世界へ。

 死の世界で、死に包まれながら、私は私を続けるのだ。

 少し怖いな、と隣のイアソンが呟く。同感だ。この星は酷く恐ろしく、だがしかし、それゆえに唯一無二の美貌を誇っている。

 ようやく、そこに行くことができる。

 白く冷たい死の花の園へ。

 仇の花の咲き乱れる、最後の園へ。


 一〇三二四年、六月二十六日。

 フローラで夏の四季祭諸精霊祭が行われるはずだったこの日、私達六人は、戦火に乗じてホワイト=シンクを脱出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る