CHAPTER XVII

 ────まず間違いなく、最初の要求の後の会話は平行線になるわ


 母達が館に来るより少し前のこと。

 イアソン達が行動を開始するその直前、応接室に"ピアネータ"の八人を含めた全員を集めたディアは、宙に指を躍らせながら、自身の予想を語り始めた。

「そこで向こうは一度、実力行使に出るはず。そこであえて逃げきれなかったというふりをして、イアソンさん達"外部活動組"の存在を明かし、二度目の要求を行うことになるのだけど………。メディ」

「何?」

「私はそこで、あなたを売るわ」

 それは、本人に言っては意味のないことなのではないか。そう呆れる私に、ディアは珍しく腰に手を当て頬を膨らませて、ご機嫌斜めな態度を作った。

「当然でしょう。私が、自分が尊敬している人間を売るような女に見える?」

「見えなくもない、ことはないね。ディアは優しく聡明な女性だと信じてます」

 先ほど作っていた幼子のような態度を崩さないままに、視線だけを強くするディア。彼女の機嫌を損ねるのは得策ではないと慌てて言葉を取り繕うと、ディアは「よろしい」と一言、満足気にいつも通りの所作に戻る。

「そういうわけで、そこであなたの管理区画行きと、エリスの立場や権利の保障を対価として切り出すから、話を合わせてね」

 しかし、それでもディア達の完全な無罪というのは難しいのではないだろうか。彼女にも、自分達が前代未聞の思想犯気取りだという自覚くらいはあるはずだが、その上でお咎めなしを勝ち取れるものだろうか。

「家と縁を切るくらいの覚悟はあるわ。保護区画内での普通の生活を確約させるだけでも、管理側からすれば無罪と呼べるほどのご温情でしょう」

 その方が人を動かしやすいと思うし、と協力者達の名前を挙げていく。

「────………んん?」

 その協力者の中に知った名前を聞いた気がして、イアソンと同時に声を上げる。そして彼と顔を見合わせ、聞き間違いか、あるいは同名の別人だろうとディアに尋ねる。

「ハロルドって名前が聞こえたんだけど、ナンバープレート管理所のハルさんとは違う人だよね?」

「そのハルさんで合ってるわよ。二年前の一件でメディに興味が出て、彼にあなたの話を聞いたこともあるわ」

 さらりと言い放つディアに驚きつつ、言われてみれば、ここに来る前までに私が持っていたディアに関する知識は、ハルから聞いた話が大半だったかと思い出す。食事所の件などは記録を見ればすぐに得られる情報であったために、わざわざ面と向かって言うほどのことでもないと判断したのだろう。実際、私が普通の生活を続けていたのであれば、あれは全く関係のない知識であったに違いない。

 ハロルドは時計塔守の家系の出でもなく、立場上はナンバープレート管理所の受付人というだけであるため、世間話や噂程度の情報が入りやすいのだという。実際、私が管理所に足を運んだ際には、いつも実のない談笑で少しばかりの時間を過ごしていたものだ。

 そういえば、とハルに貰ったジャムの味を思い出し、できることならばもう一度口にしたいものだと喉を鳴らす。ジャムだけではない、あのパンもスモークジャーキーも、全てが格別の味だった。ここに来てからの食事もあれらに匹敵するほどに美味ではあるのだが、高級品をバスケットから取り出して無造作に口に運ぶ、という行為そのものが味に深みを出していたのかもしれない。

「彼の息子は婿入り婚で、妻の家の仕事────ジャデイタ=ペタラの小さな農家なんだけど────を継いでいるからほとんど会う機会もないらしいし、平民が気軽に区画外へ出れるような、自由な時間が増えれば良いのにと言っていたわ」

 息子夫婦が会いに来なくて寂しい、というような話は聞いていたが、そんな理由でこの悪魔のような………訂正、魔性の女に協力しているのかとディアの薄い怒気に目を逸らす。いや、私はまだ成人したばかりだから理解できないだけで、孫の顔を見たいというのは、老齢の者にとっては切実な願いなのかもしれない。

 それで、私がメディを売った後なんだけど────と、ディアがエリスを見る。

「エリスの身柄も、同様に引き渡すことになるわ」

「私もですか………?」

 不安げな表情で、こちらに視線を向けてはディアに戻してを繰り返すエリスに、「今は私達全員が交渉材料だから」とディアの話に耳を傾けさせる。

「私の要求を通す代わりにあなた達二人を裏切る、という構図を作らないと、こちら側での作戦に支障が出る可能性があるの。そもそも管理区画での自由行動なんて、妥協に妥協を重ねた結果としてしか受け入れてもらえないでしょう」

 本来であれば、私は監視室へ、エリスはフルートへそのまま送られるところを、実質的に無罪にしようというのだから、ディアの提案は正しくはある。しかし、それでもやはり、信頼して良いものかという不安は拭えない。私とイアソンもここに来てまだほんの数日で、エリスに至っては一時間程度の付き合いなのだ。そのわずかな時間で完全な信頼関係を築けというのは、到底不可能なことである。

「………でもまぁ、もう信頼関係がどうとかそういう話じゃ収まらないような状態だし、他に選択肢を考えられるような時間もなさそうだし。当たって砕けるなら、コロニーごと壊すつもりでやるくらいしかないね」

「砕くなら外側に向かってにしてくれると助かるわ。外の世界が人の生きられる環境ではないとなると、この直径二キロメートルの閉鎖空間が唯一居住可能な土地だから。瓦礫で押し潰されるのはとても困るわ」

「別に実際にコロニーを砕くわけじゃないんだけど………」

 それともディアは、私を素手で何でもかんでも砕いて回る破壊の権化のように見ているのだろうか。初対面で"ベレニーチェの方が体術は上だ"というようなことを言っていたのを忘れているのか、この女は。

 話が逸れたと本題に戻るディア。エリスも自身をある意味で囮として使う以外の案を出し合っている時間はないと腹を据えたのか、背筋を伸ばしてこれからの流れを頭に入れる姿勢を取る。

「それで、あなたは演技が得意な方ではなさそうだから、捕まった後は無表情を貫いてもらえるかしら?」

「む、無表情ですね。こうですか?」

 口を結んで眉の間にしわを作り、私とディアを交互に睨む。酒屋の周辺によくいそうな表情だが、それではただ目つきが悪いだけだ。

「こう?こうですか?」

「口をくちばしみたいに尖らせる必要はないわ。………レモンの果汁でも飲み干したような表情はやめて」

「なるほど、こうですね!」

 何がなるほどなのか、空腹で死にかけの猫のような表情に、体の動きまで追加されている。このフロスロイド、実はとんでもなく頭の出来が悪いのではないだろうか。そう思ったのは私だけではないようで、ディアが呆れた声色で二人の従者に指示を出す。

「ベレニーチェ、キアーラ。エリスの頭を殴って、正常にしてあげて」

「私は十分正常です!!」

「バグだかなんだかって言ってなかった?それって頭が変ってことなんじゃないの?」

「バ、バグがあるのを踏まえた上で、正常です」

 それは果たして正常といって良いのか。しかし異常というならここにいる全員がそうなのだから、バグとやらは大した問題ではないのかもしれない。

「とにかく、何も考えずに、ひたすら秒数でも数えてなさい。捕まってから五千四百秒も数えれば、その時はきっと、もう管理区画にいるはずだから」

「その後はどうすれば………?」

「メディ次第だけど、努めて冷静に、平静に、平常にしていなさい。あなたの出番はしばらく後になるから、それまで気取られないように。でも決してフロスロイドとして真面目過ぎないように、バグ?としていつも通りに生活すればいいわ」

 わかりました、と胸の前で握り拳を作り気合を入れるエリス。

 エリスの話とディアの予想からすると、もういつ神官達が現れてもおかしくないか、と時計を見て、今日は密度の濃い一日だったなとソファの背もたれに体を預ける。食事所に行っていけ好かない貴族の馬鹿息子と鉢合わせ、館に戻ってワインを大量に消費し、酔い覚ましに噴水庭園まで歩いて出たら天蓋の灯りが消えて、エリスが現れ、ここが人類史最後の砦だとか説明される。それがほんの数時間のうちに起こったのだから、私の頭の容量はもう溢れる一呼吸前だ。

「………そろそろ時間じゃない?」

 視線を時計の文字盤に戻し、イアソンへと移す。私の言葉にディアが「そうね」と一言頷き、"ピアネータ"の三人とイアソンに金貨を三枚ずつ手渡す。

「頼んだわよ、テオドラ、マレリーナ、ロゼッタ、それにイアソンさんも。計画通りにね」

 名を呼ばれた四人が頷き、イアソンが私の方を見る。

 これから先、私達はそれぞれ分かれて行動することになるが、イアソンはまず初めに、一人で私の両親を説得してこちらの陣営に引き入れなければならない。あるいは母は神官筋の誰かの下へと向かっているかもしれないが、その場合も彼の仕事は変わらない。その間の隠れ蓑として、まずは協力者の一人の下を訪ねる必要がある。それがジャデイタ=ペタラの建築家、"カフォーネ"のアデルモだ。

「おじさん会うのは、そのアデルモって人にこの指示書を渡してからでいいんだな?」

 ディアに手渡された羊皮紙を顔の横で振って、イアソンが確認する。羊皮紙など本来は正式な書簡くらいでしか使用されない物だが、エリアルシートは使えず、木札などに文字を彫り込んでいる時間もない今では、これが唯一危険なく使用できる連絡手段だ。

「一人でこれを持って行かないといけないんだよな?俺の仕事の責任だけ重過ぎないか………?」

 イアソンの愚痴には全く同意するが、すぐに動かせる人員がこの部屋にいる十三人だけとなると、一人一人の負担が増えるのはどうしても避けられない。協力者の下へ向かうだけであればイアソンである必要はないのだが、母への口止めという意味でも父に対して何かしらの仕込みを行わなければならない以上、彼を西三区へと向かわせるのが最善なのだ。

 しかし、ジャデイタ=ペタラのアデルモとはまた知名度のある人物が出てきたものだ、と改めてディアの人脈に感嘆する。彼とは以前、父の仕事の手伝いをした際に一度顔を合わせたことがあるが、確か噴水庭園の補修なども請け負うほどの人物だったはずだ。そんなアデルモとディアの繋がりはいつからあったのだろうと疑問に思っていると、キアーラが「このエスト=アガタ男爵家邸宅の別館をディア様の館として改修する際に、こちらの要望に応えて様々な仕掛けを施してくれたのが"カフォーネ"のアデルモなのです」と説明してくれた。といっても、書類上は別の人物が改修を担当したということになっているらしいのだが。

「なんか、ずいぶんと都合良く裏方が出てくるね」

「あら、貴族ならそういう、表に出せない友人付き合いくらいは普通にあるものよ。私の場合、いつこういう日が来ても良いようにと準備してきたから、他の家よりも交流のある相手が多いというだけ」

 確か、協力者の中にも貴族の嫡子がいたなと思い出す。これからテオドラが向かう"コンスル"と呼ばれる男がそうだったか。彼は南三区の貧民街………いわゆる裏町と呼ばれる地域で、小さな盗みを繰り返して食い繋いでいる盗賊達の実質的な顔役という立場にあるらしい。ディアと出会うより以前、テオドラはセラフィナと共にスド=ディアスプラで貧しい生活をしていたと聞いたし、きっとそういう繋がりがあるのだろう。

「それでは、行ってまいります、ディア様」

 テオドラ、マレリーナ、ロゼッタが扉の前に整列し、一礼する。

「メディ」

 三人の退室に合わせてソファから腰を上げたイアソンが、羊皮紙を入れた丸筒を握って、「気をつけろよ」と私の肩に手を置く。

「神域で今までみたいに、馬鹿だ阿呆だ大間抜けだって口で暴れたら、本当にどうなるか分からないからな」

「私、そこまで馬鹿じゃ………」

「いや、お前は自分で思ってるよりも馬鹿だから、ちゃんと自制しろ」

 人の言葉を遮ってまで無礼なやつだと頬を膨らませる。「分かってるし」と不満げに呟く私をよそに、イアソンはエリスに「この馬鹿をお願いします」と頭を下げて、それを見ているディアとラウラが口に手を当てて笑い、廊下に出てイアソンを待っている三人も「ディア様の計画が狂うような馬鹿な行動はしないでくださいね」と冷たい視線で念を押す。

「私は賢いはずなのに」

「賢いやつは、あんな理由であんな怪我を作ってこない。………おい、やめろ、蹴るな」

 イアソンの尻を蹴り上げて、切れ痔にでもなってしまえと呪いの言葉を送る。

「いいからさっさと行って、道中馬糞で躓いて転べ!」

「馬糞で足を滑らせての方が現実的じゃない?」

「ディア様、不潔な発言はお控えください」

 揃いも揃って、女ってやつは皆こうなのか………?と顔を引きつらせ、廊下に出るイアソン。館の前くらいまではついて行きたいところだが、こちらもこちらでやらなくてはならないことが多いので、扉の前までで我慢してもらおう。

「………あ、ねぇイアソン」

「ん?」

「お見送りのキスでもしてあげようか?」

「お前は本当に、大した悪女だよ」

 溜め息を吐くイアソンの背中を叩き、「また今度ね」と子供っぽく笑ってみせる。ああ、今度な、と廊下の先に消えていくイアソンに小さく手を振って、聖芽祭の前日に覚えた罪悪感を押し殺す。

 父も母も幼馴染も巻き込んで、盛大に取り返しのつかないことをして、あるいはこれから先に、真の意味で取り返しのつかなくなる何かを引き起こすような、そんな女と知り合って好意を抱いてしまったイアソンのあの女運の悪さも、呪いというやつなのだろうか。

「────………なんか、どいつもこいつもあっちもこっちも、呪われてるやつばっかだな」

 妄想に呪われたり、恋情に呪われたり、恩義に呪われたり、前世に呪われたり、使命に呪われたりと、この神域に囲まれたフローラという世界では、知性は呪われるようにできているのかもしれない。いや、きっと八千年前の世界でも、こうやって呪われた知性よっきゅうを振り回して振り回される人間が多過ぎたから、人類史というやつは埋もれることになったのだ。あるいは、それよりもはるかに以前から。

 少し休みましょう、とディアが紅茶の用意をさせる。それに従い動くキアーラに茶菓子もほしいと伝えてソファに座り、うたた寝をする大型犬のように、ラウラの膝に頭を預けて寝転がるディアを観察する。

「貴族令嬢にあるまじき痴態ですね、ディアナ嬢?」

「頭と口を動かし過ぎて疲れたから、構ってあげられるほどの体力は残ってないわよ」

「この後の方が疲れると思うけど」

「だからこうして休んでいるんじゃない。本来もう少し時間をかけて進めるはずだった計画が、あなたの酔い覚ましが原因で今すぐに取り掛からないといけなくなったんだから、今くらいは放っておいてほしいものだわ」

 しかし、私達の目的を果たすには、最終的にエリスのような反管理側のフロスロイドとの繋がりが必要になっただろう。エリスをここに連れてくるという判断は欲に身を任せただけではあるが、必要な人員を確保できたという点ではむしろ、結果だけを見るならば、悪手ではなかったといえる。フローラの陰でどれだけ私達が動いたとしても、このフローラがどういう場所なのか、神域がどういう場所なのか、そして外の世界がどうなっているのかを知らないままでは、しょせんは柵の中で動き回る牧場犬と変わらない。エリスから世界の真実という情報を得たからこそ、こちらが先制して交渉の場を設けることが可能となったのだ。

「一つでも間違えれば、私達全員その場でお終いになるのだけど」

「それこそ今さらだよ。少なくとも私は、元々そのつもりだったし」

 紅茶の用意が終わり、アリア、ファヴィオラ、セラフィナが退室するのを見送って、体を起こしたディアと同時にカップに口をつける。

「ごめんなさい」

 私とディアのやり取りを聞いたエリスが、ソファの端で小さくなって、何に対してか分からない謝罪をする。もしも私達の現状の原因が自分にあるとでも思っているのであれば、この女も私達同様、前代未聞の傲慢女だ。どいつもこいつも呪われて、どいつもこいつも傲慢な性格で、全く嫌になる。

「エリスはエリスで、やりたいようにやってる。それは私もイアソンも、ディアもラウラも、アリアも、ファヴィオラも、ロゼッタも、ベレニーチェも、マレリーナも、キアーラも、テオドラも、セラフィナも、皆同じだし、それで良いと思うけど」

「でも、巻き込んだわけだし」

 むしろ私がエリスを巻き込んだと言った方が正しい気がするが、この女は全ての悲劇が自分を中心に起きているとでも言いたそうな雰囲気だ。

「謝っても仕方ないでしょ。相手を怒らせたいなら別だけど、そういう取ってつけたみたいな罪悪感は、表に出すべきじゃないよ」

 私達は私達で、ほんの少し前まではエリスとは無関係の一勢力未満の集まりだったはずだ。そしてそこからフローラの信仰じょうしきを変えようとしていて、そこにエリスはいなかった。彼女は偶然現れた、協力体制を取る必要がある人物というだけの外野の存在なのだ。そんなエリスが謝罪するというのは、私の目的と、私達の計画の中心が自分だと言っているようなもので、それは酷く不快な心得違いでしかない。仮にそういう感情を抱いたとしても、それは胸の内にしまっておくべきものだ。エリスがいなくとも、私達はいずれ、必ず人類史に敵対するような立場として見られるような、そういった行動を取っていたのだから。

「自分が正しいって思ったなら、世界がどうとか関係なしに、身勝手に全部かき回して、自分の正しさを盲目的に主張すれば良い。"お前達が何を言おうと私は絶対的に正しいんだ、それが認められないなら全部纏めて壊れて消えろ"ってね。その過程や結果を考えて頭を抱えて見当違いに頭を下げるくらいなら、初めから何もしない方が良いよ」

 それは、巻き込んだ者達への最大の侮辱だ。無責任な目的を掲げて無責任に行動するなら、最後まで責任を放棄し続けなければならない。改心や謝罪や自責の念をあからさまな態度で出されても、周囲の者は納得しないのだ。行動とは常に、責任を果たすか、無責任を貫くかの選択を覚悟として迫るものなのだから。

 だから、一度無責任な目的を達成せんと決意したのであれば、後ろ指をさされようと、石を投げられようと、その人道を外れた道から逸れてはならない。外法を信じ外道を走るならば、そこに大衆から見た正しい人間性などあってはならない。唯一、外道個人の信念以外には、そこに正しさなどあってはならないのだ。

「でも、私は私が正しいのか、もう全く分からないんです。ううん、きっと間違っているんだろうな。………でも、頭の中を空にでもしない限り、私はこうする他になくて。人類の守護者としては、失格どころか反逆ものですけど」

「いいじゃん反逆すれば。八千年前に何言われたかは知らないけど、別に今のエリスが背負うようなものでもないでしょ。話を聞く限りだと、人類が滅びかけてるのは自業自得ってやつに思えるし。だからエリスはエリスであることを第一に考えれば良いんじゃないかな。正誤とか関係なく、自分の信念に従うことが知性なんだし」

 例えばの話、もしも本当に、私達の行動の結果として、人類史が終わるような未来が待っていたとする。その未来での私達は全員が全員、永劫に語り継がれることのない大罪人だ。自らの欲求のために、長い年月をかけて辛うじて維持されてきた人間という種族の歴史を終わらせたとなれば、間違いなくその行動は社会悪だ。

 なればこそ、そこで私はこう言おう。

 それがどうした、だから何だ、と。

 人間が集団で生活する生物である以上、私達のような少数派を優遇して、多数派の生活水準や諸問題への対応を疎かにするなど愚の骨頂である。少数派も集団の一部なのだから、多数派がいかに理不尽に見えても、それに対する意見や反論は、最低限正規の手続きを行った上でなければ、人間社会という組織は瓦解する。要するに"ちゃんと話し合って決めましょうね"という話で、そんなものはよほど小さな子供でもない限り、当たり前に知っていることだ。

 例外を認めれば我も我もと人の流れが膨れ上がり、組織運営は足踏み三昧で来る日も来る日もどうでも良いような対応に追われて、会議会議で時間の浪費だ。少数派の意見の取り扱いなど、上等な部類でも"時期尚早"とか"検討中"くらいのものだ。そうでなければ、一万四千四百人の人間など、瞬く間に滅んでしまう。特にコロニーの中で管理されていなければ生きることもままならないような、こんな時代ではなおさらだろう。少数派の意見はそのまま危険分子となり得るのだ。排斥されてしかるべき、である。

 だから私はこう言おう。

 それがどうした、だから何だ、と。

 そうやって遠回りに遠回しに、妥協案に妥協案を積み上げていった結果、少数派わたしたちは消滅する。だが私は私を手放すつもりはない。その程度で全てが壊れて滅びるくらいなら、さっさとそうなれば良い。自分一人の不利益が人類の利益となるのなら、人類の不利益で私益を得る選択を取るのが人というものだ。

 無論、こんな思考や価値観は、決して許されて良いものではない。早々に摘まれなければならない毒の芽だ。多数派や少数派などという言葉を使ったが、結局のところ多数派というのは、平凡に平穏に日々を生きているだけの無害な人々を一括りにして呼んでいるだけに過ぎず、彼らを脅かすような行動が罪と言われるのだ。正しく、今の私達のことである。小さな盗み程度であればいざしらず、大罪人を許容する社会などあってはならない。それは大衆を脅かす明確な脅威なのだから。

 ゆえに私はこう言おう。

 それがどうした、だから何だ、と。

 そんな諸々の事情など、考慮してやる価値も必要もない。私はこの独りよがりの排他的な狂気でもって、私に"黙れ"と告げる全ての者にこう言葉を返すのだ。"お前達が黙れ"と。それが平行線になるのなら、私がそれでも否定されるのであれば、諸共に死ねば良い。滅べば良い。そこに正誤は関係ない。種の存続という問題の前に個人的な欲求で立ちはだかるのだから、正誤などあるはずもない。

「何を置いても果たしたい信念もくてきがあるなら、周囲のことなんて考えないで、必要なら何でもやりたいようにやればいい。その結果に文句を垂れないなら、ね」

「結果を受け入れる、ではなく………?」

「そこまでだと思ったら受け入れるしかないだろうけど、そうじゃないなら、せめて結果に対してあれこれ文句を言うなってこと。自分の行動で自分の首を絞めたからってをするなよ、っていう話。人に対してなら文句も罵倒も恨み言も、総動員すれば良いけどね」

「無責任にも無責任なりの、筋の通し方があるのよね」

 そういうこと、と会話を締め括る。

「そういうものでしょうか」

「そういうものだよ。一般的じゃないけどね」

 手を天上に突き出して伸びをする。ふと、視界に調度品の一つが飛び込んできて、そういえば家から持ってくるのを忘れていたなとそれを手に取る。

「ねぇディア。これってやっぱり結構な値段がする物なの?」

「当り前じゃない。そうでないと調度品として飾ったりしないわ」

「それ、リュートってやつですか?」

 エリスが私の手元を覗き込む。今の彼女はまだ生まれて一年程度だと言っていたし、フロスロイドとしての最低限の知識以外はあまりないのだろう。興味があるのかとエリスにリュートを向けると「壊れそうだから」と手を振って断られ、その流れでディアを見ると「どうぞお好きに」とお許しの言葉が返ってきたので、遠慮なく弦の音程を合わせていく。

「最後の晩餐の代わりに、最後の演奏ってのはどうかな?」

「あら、良いわね。私も一度聞いてみたかったのよ、メディの語り入りの演奏を」

 ディアが楽隊の演奏を待つような姿勢を取る。私が二年前、子供達に自分の書いた物語を聞かせる際に、時たまリュートを使って詩人の真似事をしていたというのは当然知っているらしい。正直、あまり褒められるような腕前ではないのだが、そこは素人ということで大目に見てもらうとしよう。

「何をやろうかな。………ああ、あれが良いか」

 室内を見回すと、皆一様にこちらに視線を向けている。好奇心程度だろうと分かってはいても、やはり成人相手に演奏をするのは初めてだからか、多少緊張はしているようだと自分の鼓動の速さを確認する。

 もう一度室内に目を走らせると、中でもエリスは演奏が始まるのを今か今かと待ってくれていて、やはりこの女は少し子供のような反応をするな、と緊張を解す。

「それではどうか皆様、ご清聴のほどを。拙い文に拙い演奏ではございますが、私が初めて書いた御噺を、このリュートの調べに乗せて────」


 あるところに、使われないままの切り石があった

 石はベッドシーツのような灰色で、雨が染み込んでいた

 石は退屈な毎日を送っていたが、仲の良いクローバーが近くに生えているので、話し相手には困らなかった

 "君は毎日が退屈そうだね"

 "僕は石材になるはずだったんだ。そりゃ退屈さ"

 クローバーと話す毎日が続いたある日、彼らの近くを一人の大工が通った

 "大工さん、大工さん"

 "君も懲りないやつだね。ずっとここで座っていれば良いじゃないか"

 "それは駄目だよ。僕は石材になるはずだったんだから"

 クローバーの言葉に耳を貸さない石は、大工に話しかけ、自分を石材として利用してくれと願った

 "大工さん、大工さん。どうか僕を他の石たちと同じように、人の役に立たせてください"

 ずり、ずり、と体を大工の方へと寄せていく

 しかし、身を動かした石は小さな悲鳴を聞き、隣にいたクローバーを踏み潰して殺してしまったことを知る

 "ああ、なんということだ!なんということをしてしまったのだ!"

 石はそのクローバーの家族に会って自分の罪を償おうと決心し、草花が喜ぶこととはなんだろうと考えた

 "そうだ、柔らかい土はベッドのように心地が良いと言っていたぞ"

 石はクローバーの家族の住んでいる土を柔らかくしよう、と体を動かし、土を掘り返し始めた

 そこでまた、小さな悲鳴が聞こえる

 今度の悲鳴は一つではなく、石はクローバーの家族も踏み潰して殺してしまったことを知った

 "ああ、なんということを!僕は罪を償いたかっただけなのに!"

 石の体には、クローバーの色がたっぷりと染み込んでいる

 "ごめんなさい、ごめんなさい"

 石はその場から逃げ、何日もかけて森の奥へと進み、ついに大きな木の根元にどかりと座って泣き出した

 するとその石の涙が、石の体に染み込んだクローバーの色に吸われていき、そこから数えられないほどに多くのクローバーが芽を出し始めた

 "柔らかなベッドじゃなくてごめんなさい"

 ぽつぽつ、ぽつぽつと、クローバーが顔を出す

 "ごめんなさい、ごめんなさい・・・……"

 夜になっても朝になっても、また夜が来ても石は泣き続け、クローバーは芽を出し続けた

 泣き疲れた石がふと自分の体を見ると、もうすっかり緑の芝生を被ったようになっていて、そこで誰かの声を聞いた

 "こんばんは、こんばんは。良い夜ですね、良い夜ですね"

 石の体から顔を出したクローバーたちの声だった

 "どうして泣いているのでしょう?こんなに良い夜なのに"

 "取り返しのつかないことをしてしまったから、泣いているんだ"

 "どうして泣いているのでしょう?こんなに良い寝心地の体をしているのに"

 "僕の体はベッドシーツじゃないから、寝心地は良くないと思うけど"

 "雨水が染みていて、とても良い具合なのに?"

 石の体はもうすっかりとクローバーで埋め尽くされていて、とても石材として使ってもらえるような固さは残っていないようだった

 石は、柔らかな土はベッドに適していると聞いたが、しかし、柔らかな石というのはどうなのだろう、と少し考えた

 "どうして難しい顔をしているのでしょう?こんなに良い夜なのに"

 "僕はこれからどうするべきかを考えているんだ"

 "こんなに良い夜なのに?"

 "こんなに良い夜だからさ"

 次第にクローバーたちはうとうとと首を揺らし始め、ひとり、またひとりと眠りについていった

 "あなたももうお休みなさい。だってこんなに良い夜なのだから"

 石はいよいよどうすれば良いか分からないと頭を悩ませる

 "ほら、ほら、お休みなさい。もうお休み"

 最後のクローバーがそう言って眠ってしまうと、石は全てが終わったような気がして、今まで静かにしていた睡魔が小さな歩幅で近づいてくるのを感じた

 "お休みなさい、お休みなさい"

 石はクローバーにそう言って目を閉じた

 土気色になったクローバーのベッドになって、木々の子守歌を聞きながら、石は水を飲み干して眠りについた

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