CHAPTER XIII

 どのような理由があって信仰の対象である生神が逃走の最中にあるのかには多少の興味はあるが、それよりも"私を匿ってほしい"とは、神と呼ばれるものの発言とは思えない。挙動不審に見えたのも、彼女が追われる立場であるがゆえだったのだろう。そしてそれは、神域の生神にも上下関係のようなものがある、ということを意味していた。

 しかし、なぜ私達の中に神官がいると考えたのだろうか、と頭を捻り、やはり私が蝋燭代わりに開いていたエリアルシートを見つけて、それで追って来たということかと予想する。とすると、神官達は今もエリアルシートを使えるままであるということで、先の文字と数字の羅列は神官と神官筋の血を引く者全員が知っている、と考えて問題ない、ということになるだろうか。神同士の喧嘩に挟まれ、慌てふためき右往左往している神官達の姿を想像するとなんとも気分が良いが、その妄想に浸っている場合ではない。

 イアソンとキアーラとテオドラが、ほぼ同時に私に視線を向けてくる。方針を決めろ、という意味だろう。しかし、匿ってくれと言われても、私はディアの館の居候に過ぎず、外部から何者かを招き入れる権限は持ち合わせていない。加えてこの女は生神だ。ディアが私の協力者のままであるならば、私と彼女との共通の敵ということになる。いや、敵の一部、一員と表現した方が正しいだろうか。内輪で揉めて逃走中で、イコベヴィアという名の、少なくとも目の前の生神よりは立場や権限が上であると思われる生神に追われているような、そんな危険極まる存在をはい分かりましたと連れて行くわけにもいかない。

 最低限の礼節とやらを持ち出して丁重にお帰り願おうと生神の前に進み出る。しかし、暗いためかイアソンの足と私の足が当たってしまい、姿勢を大きく崩した拍子に被っていたかつらをその場に落としてしまった。

 すると生神の表情が明らかに変わり、私から遠ざかるように、今度は生神が一歩、後ろへと下がる。

「フロスロイド………!?私を連れ戻すためだけに、わざわざこっち側まで来るなんて!」

 フロスロイド、という言葉の意味は理解できないが、予想するならば神官達の神域での呼び名とでもなるのだろうか。いや、それではこちら側まで来るなんて、という発言と矛盾が生じてしまう。あるいは神域にも神官はいるのかも知れないが、それよりも私の髪色を見ての発言だということを考えると、都合の悪い誰かと似ているとか、生神の誰かと瓜二つだとか、そういった可能性もあるだろうか。なにせ私は、神官筋にも見られないような外見的特徴を有しているのだ。フローラ中の人間を知っているわけではないが、少なくとも今までに私に似た人間は見たことも聞いたこともない。そして、その外見的特徴から私を"フロスロイド"と呼んだ、ということは、神域では多少は知られた特徴である、と考えることができる。

 その誤解を解くべきか、そしてこの生神をディアの館に連れ帰るべきか。いや、いっそこのまま、その"フロスロイド"を名乗って神域に赴いてしまうのも悪くはないのではないだろうか。

 しかし、私が答えを出すまでの数秒の間に、生神はなぜか警戒を解いて、再び一歩近づいて来た。

「あなたは、確か………。聖芽祭の時に、大神官にいじめられていた………。えっと、あれは、オニカ=ペタラだったかな………?」

「わたくしごときの顔を記憶していただけているとは。感激のあまり、はらわたが破裂しそうです」

「え?ええと、お体に気をつけて………?」

 清く純粋なのだろう彼女は、こちらの遠回しな侮辱に気がついた様子もない。

「その、一人だけ扱いが違っていたので………。元気なようで安心しました。こっち側でもミクシードは珍しいはずですけど、酷いこととかされていませんか?」

 また謎の単語が出てきたな、とミクシードという言葉を記憶する。私を指してミクシードと呼んだということは、フロスロイドであるという誤解は解けたと考えても良いのだろうか。その二つが何かは一切不明なままだが。

 フロスロイドとミクシードについて現時点で予想すると、フロスロイドは私と同じような外見的特徴を有する存在である可能性があり、ミクシードはこちら側………つまりはフローラでは珍しい存在、私の出生を考えると神官筋の者と人間との子供、とでもなるだろうか。そうなると、神官筋の者は人間とは多少違う存在だということになるが、それが神の恩寵────治癒力の高さなどを指すのか、また別の意味があるのか、それを考えるには情報があまりにも少ない。

 しかし、とは、随分と可愛らしい物言いをするものだと苦笑する。まるで難しい言葉を覚えたばかりの幼子と話しているようだ、と彼女の表情をちらと見やると、手指をいじって「それで、その、あのう………」と、匿ってほしいという要求に対する私の返答を待っている様子だった。

 困った。非常に困った。生神との会話は、神域のことや、あるいはフローラの未知の部分の話といった情報を得られる絶好の機会ではあるが、憲兵や神官や貴族に"逃げた生神を追っていたらメデイアを見つけました"という手柄を立てさせてやる義理もない。先ほど私達の中に神官がいるはずだ、と確認をしてきたことを思い返すに、この聖芽祭から今日までの五日間、彼女はどこかの神官家の邸宅で匿われていたのだろう。そして今追われるような様子でいるということは、神官家でも匿いきれなかったか、あるいはもっと上の立場の生神────例えばイコベヴィアとか────からの命令で神域に帰されそうになったとか、そういう背景があるのかもしれない。この暗闇が、神域への護送中の彼女が逃げ出したことによるものだとすれば、それほどまでに祭事以外で生神がフローラにいるという事実を隠したい、ということになる。それを匿うなど、包丁を抜き身で懐にしまうようなものだ。

 フローラが闇に包まれてから、おそらく二十分前後といったところだろうか。そろそろ誰かがこの異変に気がついて、騒ぎ出しても不思議ではない。

「メデイア様。………メディ!!」

 口に手を当て、長考している私の肩をキアーラが揺さぶる。今この三人の中で場の決定権を有するのは、ディアの友人という立場にある私なのだ。時間はない。すぐに決断を下さなければならない。

 情報か、安全か。答えは迷うまでもない。協力者を不必要に危険にさらすような真似はしてはならない。理性的に、感情を、欲望を、欲求を抑え込んで、この場に生神を置いて走り去る以外の選択肢は無い。彼女の話を聞きたいからと館に連れて行くのは、愚行以外のなにものでもないのだ。

「あの、メデイア、さん?お願いします。私、頭の中がよく分からなくて、考える時間がほしいんです」

 前の私、とかいうやつか。連れ戻さないでと言いつつここから出せと、矛盾しているにもほどがある。いや、だからこその考える時間がほしい、ということなのかもしれないが、それは私には、いや私達には関係のないことだ。今は中央連中に目を付けられるような問題を抱えている余裕はない。断じてそんな場合ではない。

 しかし、三人に「帰ろう」と告げようとして、そこで神などと呼ばれている女の、私が憎むべき存在の、帰り際にすがってくる子供のような目の奥が見えてしまう。それに対して私は、頭を抱えて溜め息を吐くことしかできなかった。

 生神の話を聞ける機会というのは、今を逃せばもう得られるものではないだろう。ちょうど質問したいこともあったのだ。彼女を連れ帰るというのも悪い話ばかりではない、と言い訳のように自分に言い聞かせる。

「ああ、もう。私はつくづく、理性的じゃないな。────………一つだけ、今答えてくれるなら、あなたを連れて行きます」

 メディ、とイアソンが小さく叫ぶ。分かっている。私だって理解している。この判断は間違っていると、正しく認識している。だが、やはり私は、ディアの言う通りの、自制の効かないどうしようもない女であるようだ。

 生神はこちらの条件を受け入れたようで、小さく頷いて私の言葉を待っている。

 時間はないが、さて何を質問しよう、と頭の中身を引っ掻き回す。雑にフローラについてか、神官筋の体質についてか、神域についてとかイコベヴィアについてとか、あるいは創作が過度に制限されているのはなぜなのか、とか、そのあたりだろうか。

 いや、どうせ後で全て話してもらうことになるのだ。ならば、頭に思い浮かんだ疑問をそのまま吐き出してしまっても問題はないだろう。

「"神"って、何?」

 私と生神を除く三人が、互いに顔を見合わせているのが背中越しにも感じられる。フローラの伝承での神とは生神そのものを指すが、彼女らに関して私達人間が知っていることなどほぼ皆無といって良い。

 一つ、生神ははるか昔にフローラを創造した。

 一つ、生神は神域からフローラを守護している。

 一つ、生神は複数存在する。

 一つ、生神は季節に一度、大地の恵みを与えるためにフローラに降臨する。

 これらの一般常識とは別に、おそらく階級があり、祭事以外ではフローラにいてはならず、またいわゆる前世と呼ばれるような何か、あるいはそういった記憶がある。そして前世のようなものがあるということは寿命があるということで、それは一般的な神への認識とは大きくかけ離れており、これは今の"神"はフローラを創造したという神とは別の存在あるいは生まれ変わりである、ということを意味している。

 つまり、フローラの信仰の対象である神は死ぬ。だが、死ぬのであればそれは神ではない。なぜならば、神とは世界を創造したものであり、万能の力を有している存在でなければならないからだ。いや、万能ではなかったとしても、少なくとも人間がそう錯覚するような力がなくては、とても神とは呼べない。それが信仰の根幹、つまり未知の強大な力への恐怖と敬意と、その他多くの感情がないまぜになった畏敬の念というものであり、そして生神達もそれは理解しているからこそ、生神という存在をな存在にしたのではないだろうか。

 では、生神とはいったい何だ。知られること、自らの正体を暴かれることを恐れる神と呼ばれるものは、いったい何だ。思考を巡らせれば暴かれてしまうような、ほんの少しの情報で素顔が曝されてしまうような、そんな脆い"神"とはいったい、どのようなものなのだ。

「神、ですか」

 その"神"と呼ばれるものの一員が答える。

「何を神と定義するか、それによって答えは変わります。しかし、………つまり、あなた方が"フローラ"と呼ぶこの場所を含めたを造った存在ものを"神"と呼ぶのであれば、私達フロスロイドは、いえ生神は、ここの管理とあらゆる権限を譲り受けて維持しているだけの存在に過ぎません」

 なるほど、どうやらフロスロイドとは、生神を指す言葉であるらしい。ということはやはり、私の外見的特徴は生神に似ている、ということになるのだろうか。

「まるで世界の創造主を知っているというような口ぶりですね。では、あなたやが"神"でないのなら、────………その、世界の創造主という意味での"神"とは?」

 イコベヴィアという名を聞き、彼女は再び身構える。しかしすぐに「そっか、ミクシードだから………」と呟き、誰もいないことなど分かりきっているはずなのに、注意深く周囲を見回した。

「………私の個体識別名はエリス。"保護区画内植生管理官"という役職を与えられています。マリア・イコベヴィアとは、あなた方が"フローラ"と呼ぶこの保護区画を含めた、第二コロニー・ホワイト=シンク全体を統括するフロスロイドの個体識別名であり、端的に言えば、第二コロニー内の全ての生神と神官の上に立つ存在です」

 そして自らを神のまがい物の一つだと称する少女────エリスは、右手を胸の高さまで持って行って、私達に指を向ける。

「あなたの疑問に答えるなら、………ホワイト=シンクを造ったのはあなた方人間の先祖に他ならず、世界の創造主を指して"神"と呼ぶのであれば、それもまた人間あなた方の過去、ということになるでしょうか」

 そして種族の創造主という意味では、私達の"神"もまた同じです────と、エリスは小さく微笑んだ。

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