CHAPTER III

 フィドルとリュート、ハープ、ショームにフルート、クロムホルン、バグパイプやオルガン、木琴、バウロン、フォールド・ドラムの音色と聖歌隊の合唱が、時計塔の下の噴水庭園から町中に広がろうと街路へと流れ出ていく。成人の儀も兼ねている聖芽祭では、春、夏、秋の四季祭よりも数段賑やかかつ厳粛な祭事が、それぞれのペタラの噴水庭園で執り行われる。聖芽祭に限らず、噴水庭園の四季祭に参加できるのは一部の者だけで、それ以外は各ポリナの恵みの庭園で食べて飲んでを繰り返し、生神の来訪を待つことになっている。とは言っても、平民が生神を見られる場面など大通りを練り歩いているところくらいなのだが。

 今年成人を迎える十三歳の女と十六歳の男とその家族、それ以外では神官と祭司、貴族しか入ることが許されない今日のアセラ=スティーレ時計塔下の噴水庭園に、私────メディと、父のジョルジオ、母のキキの三人はいた。

 聖芽祭が始まってからすでに半日近くが経過していて、もう少しすれば生神がオニカ=ペタラに入るだろうかという時間。聖芽祭における生神の経路は、真中央区クアルツァ=ピスティラの五神樹の庭園から始まり、ペルラ=ポルタ南大正門を潜ってコルツァ=カリチャ円形通りに沿って進み、南中央区オパーレ=スターメから東中央区アレサンドリテ=スターメ、北中央区ディアマンテ=スターメ、西中央区ルナリエ=スターメの中央四区の各神樹の庭園を通って南中央区に戻り、ペルレ=ポルテ南小正門を抜けて、ロズマリーナ=ステーラ正面通りを通って真南区トゥルケーサ=ペタラのルベナ=スティーレ時計塔の下の噴水庭園へ、そこから南南東区ディアスプラ=ペタラ、東南東区アガタ=ペタラ、真東区アンブラ=ペタラ、東北東区アメティスタ=ペタラ、北北東区スメラルダ=ペタラ、真北区ルビナ=ペタラ、北北西区トパツィア=ペタラ、西北西区ジャダイタ=ペタラ、真西区ペリドータ=ペタラ、西南西区オニカ=ペタラ、南南西区ザフィラ=ペタラの順で各ペタラの噴水庭園での祭事を終わらせ、真南区のルベナ=スティーレ噴水庭園に戻り、そこからロズマリーナ=ステーラ正面通りを通って五神樹の庭園へ、そこで最後の祭事を行った後、生神が再びロズマリーナ=ステーラ正面通りを南へ進み神域へと帰るというもので、ここオニカ=ペタラはほとんど最後と言ってもいい程度には、生神が来るまでに時間があった。

 四季祭と聖芽祭では、収穫祭や豊穣祈願祭と違って神官達も噴水庭園へと足を運ぶ。早朝にフローラ祭館に集まった全ての神官筋の者達は、五神樹の庭園での初めの祭事を終えた後に各々の領地ペタラの迎賓館へと向かい、そこで祭事の準備を整える。各ペタラでの祭事はそのペタラの領主である神官と、生神と共に行動する祭神官である中央四区の神官家、そして大神官であるレヴァ家が執り行い、神官付はその補佐が主な役割となっているらしい。らしい、というのは、実際に見るのは今日が初めてだからだ。通常、成人の儀と関係のない者は皆、各ネタラやポリナの恵みの庭園で祭りの間を過ごす。加えて私は生神に対してさして興味を抱いていないため、通りを歩く生神の姿も片手の指の数以下の回数しか見たことがないのだ。

 ふとアセラ=スティーレ時計塔の文字盤を見上げると、午後六時三十分を少し過ぎたところだと示している。昨年までであればもう生神が来ていてもおかしくない時間なのだが、ジリア・ネロ通りの様子を見る限りもう少しかかりそうだ。やはり新たに降誕したという生神の影響か、例年のようにはいかないのだろう。

 息を吐き、成人の儀用にと貸し与えられた真鍮の杖を弄びつつ、着慣れない白い礼服の裾を持ち上げる。今この庭園にいる者のうち、おおよそ三分の一が私と同じような恰好をしていて、しかし私とは違い、私以外の全員が見知った顔の者達と顔に笑みを咲かせながら話をしていた。その内容は成人を迎えられたことへの喜びを共有するだけではなく、成人の儀で隣に立つパートナーとの最後の打ち合わせや、あるいはそのパートナーとの婚約話だったりもする。

 今年のオニカ=ペタラの成人人数は私を含めて二十五人で、その内の十一人が男、十四人が女だった。成人の儀は男女一組で行われるのだが、どちらかの人数が多い場合、性別が異なる神官付が仮のパートナーとして成人の儀に参加することになっていた。そのため、談笑している者達の内の三組は、光栄の極みだと言わんばかりの表情で神官付を待っている。

 彼ら彼女らからの嘲笑の色が乗った視線を無視して、庭園の中央付近、この庭園の神樹と、その目の前にあるかがり火に囲まれた噴水、そこから少し離れた場所に張られたいくつかの天幕、そして天幕の下に並べられている木製の長机を順番に見る。長机は平民の家にあるような質素なものではなく、足や縁に細かな彫刻が施してあって、天板も厚く、重量感のある作りになっていた。その上には陶器の平皿がいくつも置いてあり、羊肉や牛肉、ローストチキン、アップルパイなどが新鮮な野菜や果物と共に載せられていて、少し離れた所に立っている私の鼻孔までその甘味とスパイスを含んだ香りが歩いてくる。

 どうにか布にでも包んで持ち帰ることができれば後でイアソンと食べられるのだが、と目線を走らせると、隣に立つ父と目が合った。ちょうど二日前に始まった父との親子喧嘩は未だ終わる気配がなく、私が父の言葉を無視するたびに母が「そろそろ機嫌を直しなさい」と言って私の肩に手を置く。この時も父は私に何かを言いかけたが、私がすぐに背を向けて、庭園をいくつかに区分けしている木々の影まで歩いて行ってしまったので、諦めて貴族や神官達への挨拶に向かって行った。

 イアソンは上手くやってくれているだろうか、と考える。あるいはもう私達の行動が知られていて、あの日のように、いやあの日以上の暴行を加えられてはいないだろうか。


 昨日の夕方にイアソンと話し合って立てた計画には、いくつかの段階がある。その第一歩として、材木の切れ端を木札にし、私のエリアルシートのページの番号────私の頭の中の幻想と妄想を染み込ませた十六ページ分のその番号をナイフで彫り込んで、それを可能な限り多く作り子供達に配った。イアソンが「エリアルシートのページ番号なんてどこをどう見ても俺には分からないぞ」と言うので、私は長年の中央大時計塔通いの成果の一つとしてエリアルシートのページ番号の見つけ方を教えようとしたのだが、そんなものはいらないと一蹴されてしまった。実際のところ人に教えている時間などないので冗談半分ではあったのだが、目すら合わせずに材木片を中央大時計塔の番号札と同じ大きさに変えつつ断られると、私の成果の一つはイアソンにとってはそんなにも興味の対象外なのかと少しばかり自信をなくした。

 こんなことをすれば当然、私とイアソンは明日にでも、いや早ければ今夜中にでも憲兵に捕らえられ、尋問されるだろう。聖芽祭に乗じて子供達に木札を配ってもらってはいるが、あの事件から二年も経っているのだ。あの日以前を知っている者達は子供とはいってももうそれなりに大きくなっているし、そのうちのほとんどは受け取らないだろう。それどころか通報されて終わりだ。しかしまだ小さな子供で、かつ私が書いて広めた物語たちを読んでくれているのなら、幼い好奇心から木札を手に取ってくれるかもしれない。

 それだけの計画なら前と同じだ、とイアソンは言ったが、それは間違いだった。

 どうして、と問いかけるイアソンに、作りかけの木札を手の中で転がしながら、「私達はこのまま勝ち逃げするから」と答える。

「勝ち逃げ?」

「そう、勝ち逃げ。二年前のあの日、私達は殴られたり蹴られたり散々な目にあって否定されたけど、でも完全に勝利してた。だってほら、今フローラで読まれてる御噺のうちのいくつかは、私が書いたものでしょ?」

 こんな、たったの半日くらいで回ってしまえるような狭い世界の中で、"ここではない別のどこか"へ連れて行ってくれるものが、たかが神が否定した程度のことで塵も残らず消え去ることなどない。それは何も子供達だけではなく、かつて子供だった大人達や、大人になりかけの者達の間でも少しずつ波紋となって広がっている。実際ハルのように、表立って協力こそしてはこないものの、一定の理解を示してくれる者はいるのだ。

 例えるならそれは、濁った水の入ったバケツの底に銀貨が数枚沈んでいて、今はまだ水面からは何も見えないというような状況だ。それを見えるようにするためには、水を入れ替えるか、銀貨の枚数を増やせば良い。水を入れ替えるということはつまり、フローラに住む者達の考えや価値観をそっくり入れ替えるということになるので現実的ではないが、銀貨の枚数を増やすことなら可能だろう。底に沈んだ銀貨が一枚二枚程度では上から見ることはできないが、三十枚もあれば水面にその影も映るはずだ。この計画の第一歩は、正にそのためにあった。

 今夜の祭りの間に木札を子供達に配れば、数時間から半日程度で、その親にも木札の存在が知られることになる。その前に私とイアソンは、ひとまず夜の間に逃亡することになっていた。オニカ=ペタラとアルバ=コローラでは私とイアソンは有名人だが、それ以外の区域では名前や事件のことは知っているという程度だろう。他の区域の者と顔を合わせる機会などそうはない。荷運び人であれば他区域へ赴くこともあり、私の父はその荷運び人だが、女である私が父の仕事を手伝うことはほとんどなく、さらに私自身が仕事に精を出すような性格ではないので、何の問題もないだろう。

 夜の間に逃亡し、朝が来る前にイアソンの髪を切って私のかつらを作る。私の髪の色は目立つので、他区域で見られればすぐに憲兵が駆けつけて来てしまうからだ。潜伏場所は東南東区アガタ=ペタラあたりが距離的にも良いだろう。足跡を残すことになってしまうが、境界森を抜ければ誰にも見られずに移動することができるはずだ。そして機を見て街頭演説を行い、木札をばら撒き、逃亡してを繰り返し、民衆を味方につけるのだ。スピーチの内容はすでに考えてあるが、生神への批判は非難の対象になるため、可能な限り────あるいは時が来るまで────避けなくてはならない。普通は皆、信仰心を持っているのだから。言葉を慎重に選び、それらを認めた上で"時代が変わる時が来たのだ"という考えを抱かせる。文化を先へと進める時代になったという認識を持つ者が一人、二人、四人、八人、十六人………と増えていけば、時間はかかるだろうが、必ず私のようなが現れる。そうすれば私は、何を気にすることもなく書き手でいられるというわけだ。

 ただ一つ思うところがあるとすれば、その過程でイアソンとは間違いなく死別するだろうということだった。フローラの常識を根本から覆すというわけではないにせよ、長く時間がかかることは確かなのだ。半年か数年か、それだけの期間逃亡生活を続けられるほどこの世界フローラは広くないし、既存の信仰心を否定しないとはいっても、私達の行動が神官達の意に反することだけは間違いない。今度は以前のように母のかつての身分に救われることもないだろうし、それどころか私の両親も処刑される可能性だってある。可能であれば神域に逃げることも視野に入れるべきだが、フローラの外がどうなっているのか不明な以上、必要以上に危険を冒すことはない。いつかは神域に行ってみたいという思いはあるが、当面は難しいだろう。

 だがそれでも、人間性も含めた全てを切り捨ててでも書き手であり続けると宣言したのは嘘ではないし、今さら後に引く道もない。ここでやはりやめようなどと言えば、危険を承知の上で協力してくれているイアソンに顔向けできなくなってしまう。


 なんてことを考えながら、自分の性格の悪さに嫌気を差しつつジリア・ネロ通りに目をやると、ようやく生神御一行が到着したらしい。時計塔の文字盤は午後七時十一分を指していて、背後の天幕の灯りと食べ物の香りと、生神が庭園に入ったことで湧きあがった信仰心という熱気が霧のように立ち込めて、私の体に纏わりつこうと蔦のように絡んでくる。

 新たに降誕した生神は同世代の者よりも背が高い私と比べても大差ない身長で、黄色い百合の花弁のような髪と川底の石のような黄緑色の瞳をしていて、みずみずしい枝葉を手にしており、全く不快なことに少しの間見とれてしまうほどには美しかった。ああなるほど、これは確かに祈りを捧げたくもなるなと眉間にしわを寄せていると、時計塔の真下の石段の上で立ち止まった生神が、庭園の中心────つまり新たに成人する者達が集まっているこの場所へと向き直った。続いて生神の右側に立つ大神官が一歩前に進み出て、新たな成人達を石段の下に呼び集める。

 私はしばらく周りの同い年の者達が石段に向かって進んで行くのを眺めていたが、いつの間にか戻っていた父と母に背中を押され、気乗りしないままに彼ら彼女らの後に続いた。

 白い礼服を着た今年の成人達が、仮のパートナーである神官付も含めた男女でそれぞれ六人ずつの列になる。私はそのちょうど真ん中、二列目と三列目の間の一番後ろに一人で立ち、目の前の男女と、神官付と、祭神官と、大神官からの、憐憫と嘲笑と嫌悪が混じった微かな笑い声に包まれた。

 本来であれば私にも神官付が充てられるのだろうが、異端者に記念すべき成人の儀で恥をかかせようという魂胆なのだろう。私はパートナーがいないままでの成人の儀への参加を命じられていた。

 生神が石段の上に設置された玉座に座ると、大神官が私の正面に歩いてくる。私はそれを左に避け、事前に命じられていた通りにその背中について歩く。私の後ろには男女で左右に分けられた列と、その後ろに祭神官、周りには神官付という並びでかがり火に囲まれた噴水まで歩き、やはり事前に決められた通りに噴水の中に入る。私の場所は生神と大神官が一列に並ぶ、正面の位置だ。

 祭神官と神官付が噴水を囲むように立つと、新たな成人は皆笑ってしまうほどに真面目な面持ちで膝を折り、真鍮の杖を持ったまま、噴水を背にして祈りの姿勢を取った。

 それから数拍の後、静かに、しかし聖歌隊の合唱のように一斉に、誓言が唱えられ始める。

「────………芽吹きの主の御座みくらの前、聖なる日に花の油に膝を浸し、一つの新芽が成就される。釜戸の火を背負い、右手には大地の芽を、左手には芽吹きの吐息を取り、命の泉を前に真白の羊毛を羽織り、かくのように若木と成らん」

 私は姿勢だけは皆と同じようにし、だが誓言を唱えることはしなかった。

 大神官が祝福の言を返す。

「真白の羊毛を羽織る御座の主の子ら、聖なる日に油に浸かり、成就される者達よ。釜戸の火を背負い、命の泉を見よ。右手に大地の芽を取り、左手に芽吹きの吐息を取り、淵の鍵と鎖を命の泉に投げ入れよ。祝福の国の門を仰ぎ見よ」

 新たな成人達が、祈りの姿勢を崩さないままに噴水へと向き直り、誓言の続きを唱える。

「御座の主よ、主の子らは真鍮の杖を手に取り真珠の坂を上り、十二の宝石の門を潜り、金の燭台に膝の油を拭って注ぎ、炎の目の裁きを若き葉で受け止めるであろう。洪水の轟きで額を濡らすであろう」

 再び大神官が祝福の言を返す。

「初めの死のため、芽吹きの御加護の祝福と、福音たる命の木の果実を受け入れよ。命の木の蜜を受け入れよ。その果実は御座の主の肉、その蜜は御座の主の血である」

 祈りの姿勢を崩して立ち上がり、石段の生神へと体を向ける。

「我らは金の香炉に没薬を入れ、祭壇に捧ぐものなり。七つの正しき行いを成就させた後に水晶の川を渡り、十二の果実と木の蜜を口にするものなり」

 噴水に向かって歩いた時と同じように並び、石段の前で再度祈りの姿勢になる。そこで大神官がこちらに向き直って言う。

「御座の主の子らよ、真珠の坂を進み、十二の宝石の門を潜れ。主の前の金の燭台に膝の油を拭って注ぎ、若葉を広げて額を主の口に寄せよ。金の香炉で没薬を焚き、祭壇に捧げよ」

 大神官が生神に体を向けて石段に上がり、生神から枝葉を受け取り、一歩前に出る。

 それを合図に私のすぐ後ろの組が立ち上がり、石段を上って祈りの膝を折る。

「御座の主、芽吹きの御心のままに」

 新たな成人がそう言うと、大神官は男女の頭上で枝葉を大きく五回往復させるように振った。

「信仰の下に讃美歌を歌い、栄光を得るために正義を成し、正しき知恵をつけ、愛によって頭を下げ、誉れ高き心を持ち、善行を成す思慮を得て、主の権勢を希望とせよ」

 男女は一度深々と頭を下げると立ち上がり、列の最後尾で祈りの姿勢になる。これを繰り返し、二十四組目が最後尾に戻ると、大神官が石段を降りて私の前に立った。

 顔を上げた時、一瞬だけ視界に入った生神の瞳に困惑の色が浮かんでいたのに気づいたが、大神官はそれを気にする様子もなく、手に持った枝葉を私の頭に当てる。

「信仰の下に讃美歌を歌い、栄光を得るために正義を成し、正しき知恵をつけ、愛によって頭を下げ、誉れ高き心を持ち、善行を成す思慮を得て、主の権勢を希望とせよ」

 二十四回も聞いていると興味がなくとも覚えてしまうものだ。私は他の者達と違って目を開けたまま、大神官の膝のあたりに目をやって、不本意なことに頭の中でこの二十五回目の祝福の言の最後の一節を浮かべていた。

 背後からだけではなく、周囲の親達からの視線も浴びたまま、形だけは敬虔な者であるかのように装う。もっとも、私に信仰心がないからこそのこの扱いなのだが。

 大神官は私の頭から枝葉を退けると、再び石段に上がってこちらに向き直った。

「御座の主、芽吹きの御心のままに、汝らが祝福の国に招かれんことを」

「御座の主、芽吹きの御心のままに」

 祝福の言の最後の一節に成人達全員が誓言を返し、大神官が枝葉を生神に返して、無駄に長く信仰心を煽るだけの成人の儀はようやく終了した。しかし終わったのは成人の儀だけであり、聖芽祭はこれからだ。

 大神官が私から見て左────生神の右側に移動して祈りの姿勢を取り、祭神官や神官付、周囲の親達もそれに倣う。

 私は一人、列から外れて生神から見て左に退き、大神官の怒気を含んだ視線に命じられてその場で祈りの姿勢になる。そして庭園内の全ての者が祈りの姿勢になると、生神はゆっくりと玉座から腰を上げ、石段の前の列の中央を足音も立てずに歩いて行く。生神が向かう先はこの庭園の神樹だ。

 大神官を筆頭に皆が生神に続く中、溜め息を吐きつつ時計塔を仰ぎ見ると、時刻はすでに午後七時三十分になろうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る