CHAPTER II

 バスケットの中身をつまみながら歩いたせいか、家に戻る頃には午後二時をとうに過ぎていて、私とイアソンは二人して私の母に叱られることになった。成人前日に準備もせずに落ち着きなくアルバ=コローラまで出かけて行った私と、その私を強く止めなかったどころか一緒に管理所まで足を延ばしたイアソンは、いつも以上に長い時間説教され、解放されたのはそれから二時間も後のことだった。

「それで、"イアソンに会うのはいいけど、バスケットは明日まで触っちゃいけません"だってさ」

 家の裏の切り石に腰を下ろして口を尖らせると、一度小屋まで戻っていたイアソンが、隣に座りながら苦笑して言った。

「聖芽祭に、って貰ったものなんだから、それが当然だろ」

 自分もスモークジャーキーを一切れ食べていたのを忘れているかのような口ぶりだ。彼は私の手元に目線を落とし、「で、それじゃあそのバスケットの中に入ってるものは何だ?」と指をさす。

 私はハルに貰ったものよりも一回り小さいバスケットを膝の上に乗せ、少し角度をつけて中身を見せた。入っているのは焼き色のついたパンと、イチゴジャムの小瓶だ。

「明日まで駄目って言われたけど、せっかく温かいパンを貰ったんだから、すぐに食べないとハルさんに悪いでしょ」

 パンを半分にちぎって、片方をイアソンに渡しながら答える。イチゴジャムをパンの上にのせて噛みつくと、柔らかなパンの食感と風味に春の庭園を思わせる甘味と控えめな酸味が口の中で溶け合って、四季祭で真剣に祈る人達の心の内を理解させられた。これを食べるために一日中祈れというのであれば、誰もがそうするだろう。初めて食べたイチゴのジャムは、それほどまでに私とイアソンの舌と心に深く刻み込まれた。

「神官や貴族達はこれを日曜日に欠かさず食べてるのか。羨ましいな」

 全くだ、と指についたジャムを舐めとりつつ同意する。

「よく戦争にならないよね。こんなおいしいものを独占されたら、神官達と戦争してでも手に入れたいって思っても不思議じゃないのに」

 私がそう言い終わらないうちに、イアソンは慌てて私の口をジャムのついた手で塞いだ。

「いくらなんでも言い過ぎだ、本当に地下牢送りになっちまうぞ!」

 イアソンは私の口を押えながら周囲を忙しなく見回し、誰にも聞かれていないことを確認すると胸を撫で下ろした。そんなに警戒せずともこの辺りに私達しかいないことは分かりきっているというのに、小心者というかなんというか………と、そう呆れながら私は、また小言が飛んでくるより先に、私の口を押さえつけているイアソンの手についたイチゴジャムを一舐めし、彼を驚かせてその隙に家の中に隠れてやろうと考えたが、イアソンは間の抜けた声を上げるだけで手を退かそうとはしなかった。それどころか神官達への発言だけでなく私の普段のいたずらも説教の中に加えられてしまったようだ。

「お前がそういう性格なのは知ってるけどな。でもお前、今のはまるきり"不信心な王"と同じだぞ。あとそうやってむやみやたらに男に気を許すなよ、危なっかしい」

 と、私が昔読んで聞かせた、"五人の王"に登場する王の一人の名を持ち出す。

 "五人の王"とはフローラに古くから伝わる物語の一つで、"イカロスとニムロド"と並んで最も有名な物語でもある。


『────昔々、生神に選ばれた五つの血筋の子孫の王が、フローラの街を治めていた時代。

 無欲な王はアズーラ=コローラを、強欲な王はヴェルダ=コローラを、傲慢な王はロッサ=コローラを、不信心な王はジャラ=コローラを、敬虔な王はアルバ=コローラをそれぞれ統治していたが、ある時生神は「フローラの王を決めるべきだ」と考え、五人の王に交代でフローラ王の称号を与え、最もフローラを栄えさせた者を唯一の王とすると言った。

 初めに無欲な王がフローラ王になると、辛うじて必要なだけのもの以外の全てを手放してしまい、フローラは困窮した。

 次に強欲な王がフローラ王になると、民からあらゆる財産を奪い取り、カローラは困窮した。

 次に傲慢な王がフローラ王になると、圧政で民を苦しめたため、民が反乱して食料がなくなり、フローラは困窮した。

 次に不信心な王がフローラ王になると、生神の言葉に耳を貸さずに様々な新しいものを作り出そうとし、生神がそれをやめるように命じたので、生神に逆らって戦争を仕掛け、生神の怒りによってフローラは困窮した。

 最後に敬虔な王がフローラ王になると、民達は朝と夜、食事の前と後、仕事の初めと終わりに生神への祈りを捧げるようになり、家を建てるのも仕事をするのも食事をするのも眠るのも結婚をするのも、そのうち喧嘩をするのにも神の命でしか動かなくなり、フローラは困窮した。

 生神達は話し合い、五人の王に仕えた極一部の正直で仕事熱心な者を神官や神官付とし、生神がフローラを治めるようになると、たちまち豊かな地になった────』


 というような内容の物語だ。これを初めて読んだ時の感想は「なぜ敬虔な王まで不幸になっているんだろう」だった。普段から生神への信仰心を強要してくるくせに、その信仰心を強く持っている登場人物敬虔な王を愚か者として描く理由が全く理解できなかったのだ────これに関しては、今でも分からないままだが。

 生神への信仰という行為が今一つ理解しきれない私は、昔から、こういった生神を賛美するような物語は全く好みではなかった。確かに彼女達がいなければフローラの植物は枯れ果ててしまうだろうし、果実の恵みも受けることができなくのも理解できるのだが。私はもっと不思議で幻想的な、"銀貨の池"や"境界森の小屋"、"井戸の国"などを読んで、どこか別の世界に想いを馳せている方がずっと良い。親しい者達以外から幼稚だとか子供趣味だとか言われても、どうにも「生神万歳」と祈る気にはなれないのだ。私の創作意欲を否定してかかる神官や貴族には恨みに近い感情すらあるというのに、それらの最も上に位置する生神を畏怖して崇めるなど到底できるはずもない。

 イアソンの言う通り、確かに私は、少し不信心な王に似ているのかもしれない。私は私が物語を書くためであれば、それを阻止しようとする者がたとえどのような存在であっても、断固として逆らうだろう。ちょうど、不信心な王が"新たなもの"を求めて生神に逆らったように。

 敬虔な王が愚か者でフローラが困窮し、生神達がフローラの民のためにと信仰心という鎖で皆を縛り、それによって得られる生活が幸福と呼ばれ、その中で物語を書くことが望まれないのであれば、私にとっての神は生神ではなく、その幸福を押しのけて言葉を操り幻想へと誘ってくれる、一部の物語の書き手だ。ある意味で私は、このフローラの中で唯一皆とは違う神を信仰していることになるのかもしれない。それならば、生神や神官達への畏敬の念も何も無い方が自然というものだろう。

 断固として逆らう。それは何も、ナンバープレート管理所での私の行動と矛盾する考えではない。あそこで神官達に何を言っても、私が書いた物語の登録許可など持ち帰ってもくれなかっただろうし、それならそれでこちらにも方法はある。

「………むやみやたらって、そもそも私と話すような人は、親とイアソンと、あとは子供達くらいでしょ」

 それに、イアソンは兄みたいなものだし────と付け加えて、パンの残りにイチゴジャムを乗せて一口で頬張る。

 顔を上げると東のジャラ=コローラの天蓋は薄明りになっていて、そういえば今日の向こうは雨の日だったな、なんてことを思い出した。風はほぼ東北東のアメティスタ=ペタラからこのオニカ=ペタラに向かって西南西へと吹いているため、時折ジャラ=コローラから駆けて来た小さな小さな雨粒が頬に当たる。

 明日の夜には聖芽祭。母の言葉がどこまで真実かは分からないが、近所でも十三歳の誕生日に婚約して次の日に結婚した、という者はいる。このまま何もしなければ、本当に私が私であることを生涯禁じられ続ける生活を強いられるかもしれない。いやすでにそうなっているのだ。

 自分で物語を書くようになってからの約四年間、私は何度も登録申請をしてきたが、それは神官達に鼻で笑われ却下され続けてきた。登録申請が受理される物語は生神賛歌で戒め的な内容のものばかりで、それを書くのは神官達に金を貰ったつまらない職業作家で、この世界フローラで認められている御噺というのはそれらだけなのだ。稀に私のような者がいて、幻想を書き記して、登録申請の受理を勝ち取った作家もいるが、彼らの物語にも生神への畏敬の念は見て取れる。そうでなければ登録申請が受理されなかったから、というのも理由の一つだろうが、彼らはおそらく、純粋に生神を信仰していたのだ。その信仰はきっと、神官達や貴族達、フローラに住むほとんどの者達よりも、もっと本来的な意味での感情だったに違いない。

 元々期待などしてはいなかったが、それでも両親との約束を守って、噴水公園で大人達に殴られ蹴られたあの日から今日まではずっと、規則というものの中で物語を書き続けてきた。そして今日が最後の機会だったが、それも間の悪さのせいで逃してしまった。いや、新たな生神の降誕という大事がなくとも、結果は変わらなかっただろうが。

 このまま明日を迎えて、父と母の言葉に従って、書き手であることをやめてその内どこかに嫁入りして、仕事と家事と育児と夫婦喧嘩と祈りと感謝とに追われて、周囲から幸せな家庭を築けて良かったななんてことを言われて、心の内で否定しながら笑顔で「私にはできすぎた夫ですよ」なんてをかく。きっと今までも私みたいな人はいたはずで、しかし皆、普通とか幸せとかいうやつに急き立てられて、そういう一生を終えていったのだろう。そして私も、そういう一生を送ることを望まれていて、強いられる。

「うわっ、冷たいな。こっちの雨は三日後のはずだろ。風を管理している生神様は何をやってるんだ」

 少し強い風が吹いて、ジャラ=コローラから雨粒が運ばれてくる。その様は小雨と呼ぶに相応しく、予定にない突然の雨に濡れたイアソンは愚痴を零した。

 私は天蓋を見つめたまま、顔にかかった雨粒が頬を伝う感触に意識を向けて、それからバスケットの中を見ずに手探りでイチゴジャムの小瓶を掴み上げて、若干の雨粒が入ってしまったイチゴジャムのちょうど半分を喉の奥に流し込んでから、隣で驚くイアソンに向き直る。

「私、決めたよ。噴水庭園の時みたいに、私が書いた御噺を無理にでも皆に読んでもらえるようにする」

 一瞬間を置いてから、イアソンは「ついに正気を失ったのか」というような表情で私の肩を掴むと、私の体を前後に揺さ振りながら口を開いた。

「お前、あの時のことを忘れたわけでもないだろうに!そんなことをしたら、今度こそ────」

「そう、今度こそ取り返しがつかなくなる」

 彼の制止の言葉を遮って言う。

「今までずっと、"こんなことして大丈夫かな"とか、"お父さんとお母さんに迷惑かからないかな"ってことばかり考えてた。………普通ならそれでもいいんだろうけど、でも、私がやりたいことは普通じゃないから。取り返しがつくことだけをしてても、もうきっと仕方がないんだ」

 両親のことは愛しているが、しかしもはや頼りにはできない。いくら私のためにと言葉を繋いだところで、生き甲斐を奪おうとする相手を目的達成までの道筋の上に捨て置くことはできない。それが私への愛情に起因する行動だったとしてもだ。

「だからイアソンにお願いがあるんだ。すっごく自分勝手で、最低なお願いなんだけど」

 いつものような思い付きの言動ではないと察したのか、イアソンは私の肩から手を話して目線を合わせる。

 私は大きく息を吸って、大きく吐いて、イアソンの目を見つめて言った。

「私はこの先もずっと書き手でいたいけど、これからも絶対に皆が邪魔をしてくる。だから、"書き手であり続ける"ってこと以外は全部捨てることにした。でも一人だと何にもできないし、頼れる人もいないし………。だから」

 この先を言うか数秒迷った。彼のことは兄のように想って接してきたし、両親以外で日常的に話す相手などイアソンしかいなかった。私にとっては兄であり親友であるイアソンに、この先の言葉を伝えてしまったら、どこかで何かが終わってしまうような気がした。

 しかし、自分でつい今しがた言ったばかりのはずだ。取り返しのつくことばかりしていても、もうきっと仕方がないのだと。

 だから、ジャラ=コローラからの微風が止んで、木々の歌声が聞こえなくなるのを待って、私は彼に向かって言った。

「私に使い潰されてほしい」

 これは、"何か問題が起きれば使い捨てるが、それまでは道具として働いてほしい"と言っているのと同じだ。今までのような対等な関係を壊してある種主従のような間柄に変えてでも、友人も家族も切り捨てて自らの欲の達成を優先する。それを手伝えと、フローラの全てと生神達を裏切って、たった一人の頭のおかしな少女に付き従えと持ちかけられたイアソンは、私の目の奥を数秒見つめてから言った。

「………昨日の夜か、今朝俺と会う前に、何かあったんだな?」

「あはは、幼馴染って凄いね、やっぱり。分かるんだ?」

「お前は自分勝手で考えなしで性格も悪いけど、おじさんとおばさんと、あと俺のことは大事に想ってるって知ってるからな。そのお前がそう言うってことは、よほど許せない何かがあったんだろ?」

 察しの良さは相変わらずだな、と思いながら、昨夜の家でした両親との会話のことをイアソンに話し始める。


 昨夜、食事を終えた後のこと。いつものようにイアソンと家の裏で談笑して、そろそろ寝る時間だと帰っていくイアソンを見送った私は、寝所に行く前に父と母に呼び止められた。役場で貰ってくる果物は何がいいかを聞かれるものだとばかり思っていたが、上機嫌で促されるままに椅子に腰を下ろすと、両親が神妙な顔つきでこちらを見ていることに気付いた。そして、何事かと耳を傾ける私にこう言ったのだ。「今日を最後に職業作家の真似事はやめるように」、と。当然私は反論したが、両親も頑として考えを変えることはなかった。

 いわく、母は元神官付だが今は一介の平民に過ぎず、父の身分が荷運び人である以上、その娘である私が職業作家として認められることは決してないのだそうだ。当然、そんなことは百も承知だし、そもそも私は職業作家になりたいのではなく、幻想的だったり不思議だったりする、そういう物語の書き手でありたいのだ。そう反論すると、父は珍しく声を荒げて言った。

「それが駄目だと言っているんだ!」

 机に拳を打ち付けて怒鳴るその様は普段温厚な父の姿と脳内で一致せず、母が父の方に優しく手を置いてなだめるまでの少しの間、私は目の前に座る人物がまるで父ではないように感じて呆然としていた。

 父の言葉の続きを引き継ぐかのように、母が口を開く。

「あなたがやりたいことだからと今までは見守ってきたけど、本当はあの日にすぐにでも止めさせたかった。でも申請が却下され続ければそのうち諦めてくれるはずと思って、好きにさせてきたの」

 母はそう言って、あの日のことを思い出すかのように顔を伏せた。

 私が十一歳になるかという頃のこと。西区ヴェルダ=コローラを治める三つの神官家の内、アセラ神官家が領地とする西南西区オニカ=ペタラの中央に位置する噴水庭園────エスト=オニカとオヴェスト=オニカを隔てる大通りであるジリア・ネロ通りと、中央四区のコルツァ=カリチャ円形通りから延びてオニカ=ペタラを縦断するクミナ=フォリア大通りが交差する、アセラ=スティーレ噴水庭園でのことだ。

 アセラ=スティーレ西部第二時計塔の真下から西南西に向かって広がるその庭園で、私は自分が書いた物語を子供達に聞かせていた。無論、大人達から隠れてだ。オニカ=ペタラの貴族と招かれた他の区域の貴族、時には神官も足を運ぶこともある、アセラ=スティーレ時計塔の東北東から繋がるオニカ=ジェルモリア西部第二迎賓館のお膝元でよくもまあ命知らずなやつがいたものだ、と自分でも思う。

 特に人気だったのは、私が二作目に書いた"あの小屋の夜"と四作目の"光が落ちた泉の精"、それから五作目の"石板紀行"の三つだ。一作目の"花の色と石の色"、三作目の"イチゴ、リンゴ、イチジクにブドウ。それからモモとブルーベリーとクランベリーとラズベリーと、アンズとレモンとチェリーにオレンジの話"は好かれなかったようで、イアソンもこの二つは好みではないらしかった。これらの中でも"石板紀行"はいくつもの物語を繋げたような内容で非常に長く、一度に話して聞かせることはできなかったため、何日にも渡って子供達に「続きはまだか」とせがまれたものだ。

 時折私がリュートを弾いて、イアソンがタンバリン────時にはカスタネットも────を叩いて口笛を吹いて、それらと風と木の葉の踊る衣擦れの音とが合わさった旋律に物語を乗せて歌うように語り聞かせたりすると、子供達の瞳の奥に聖芽祭の夜のろうそく通りのような無数の淡い灯りが灯ったように思えて、生きている実感というか、生き甲斐というか、そういったものを確かに感じ取ることができた。

 私が子供達に物語を聞かせている間、リュートやタンバリンを持ってこなかった日のイアソンは周囲を見て回っていてくれて、そのおかげでそれまでは特に問題なく、は続いていた。

 しかし、子供達のエリアルシートに私の物語の写しを書くようになると、状況は急激に変化した。いくらここだけの秘密だと約束を交わしていても、相手はまだ年端もいかない子供である。彼ら彼女らの親に私の行動が伝わるのに時間はかからず、そこから神官達に私の噂が届くのはさらに早かった。

 "写し"を初めていくらか経った頃のことだ。オニカ=ペタラからヴェルダ=コローラへ、そしてヴェルダ=コローラだけでなく他の区域でも私の物語が広まりつつあったあの日………あれは確か、十二月の九日だったか。

 いつものように草葉に隠れて読み聞かせ教室を開いていた私は、前日の夜にできたばかりの新作、六作目となる"リュート"を披露していて、"リュート"は少年達からの評価は低かったが、四、五歳ほどの女の子達からは評判が良かったのを覚えている。そんな時、少し離れた所からイアソンの声が聞こえて、その直後に私は後ろから勢いよく腕を引っ張られた。子供達は現れた大人達────自分達の親や親戚の者達に連れられた神官と神官付、貴族連中に怯えて小さくなっていて、それを見た大人達は、自分の体を私と子供達の間に滑り込ませて目隠しにした。私が子供達のエリアルシートに自分で書いた物語を写しているという証拠を目に収めた彼らは、割って入ろうとするイアソンと共に私を殴り、蹴り、神官の一人が止めるまでそれは続いた。そのうちに私とイアソンの両親が呼ばれてやってきて、痣と打撲と切り傷と擦り傷と、血と涙と鼻水で汚れた私達二人の前で貴族と神官達に謝罪をした。

 母が元神官付だった私はともかくとして、イアソンには重い刑罰────つまりは死罪が科せられるはずだった。しかし私の母の説得の成果か、イアソンは家族との縁を切り、一人で境界森のすぐ近くの小さな豚小屋に住み、誕生日や聖芽祭でも自分用の果実などを口にすることが許されず、タンバリンやカスタネット、その他正式に楽器として扱われるものの所持も禁じられ、生涯結婚が認められないという、罪に対してはあまりにも軽い刑罰で済んだ。本来ならばその際に右目か左腕のどちらかも奪われることになるはずだったらしいのだが、これには母が猛反対し、「成人前でまだ善悪の区別がはっきりとついていなかっただけで、これから罪を償わせていけばいい」と必死に説得したのだという。

 その後イアソンは数日間、私のベッドで高熱を出してうなされていたが、私は次の日には歩けるくらいに回復していて、まだ少し傷痕はあったものの、母と共にイアソンの看病をしていた。

 イアソンが目を覚ますと、私の両親は「もう二度とあんな真似はしないように」ときつく言い聞かせてきたが、それでも物語を書くことを止めようとしない私に根負けしたのか、どうにか書くことだけは認めてもらえた。そして一人境界森の近くに移り住むイアソンを案じて、私達一家も移住をすることになったのだ。一家揃っての移住は珍しいことだが、境界森の側にとなると、それはもはや移住というよりは追い出されたと表現した方が正しい。ゆえに、近所などからも特に反対の声なども上がらずに、比較的平和に今の家へと移ることができた。

「あなたの書きたいという気持ちは親である私達が一番よく分かっているつもりだけど、でも、もうあんなことになってほしくないの」

 あなたも結婚を考えなくちゃいけない歳なんだし────と母は続ける。

 親の考えなど私には分からないが、きっと、私が好きにやった結果凄惨な目に遭うよりは、鎖で縛りつけられてでも生きていてほしい、ということなのだろう。そしてそれはきっと、親として当然の感情のはずで、私も子を持てば理解できることのはずだ。

 実のところ、私も自分が正しいとは微塵も思っていないのだ。私のせいでイアソンは家族と会えなくなってしまったし、危うく目か腕も失うところだった。

 父のことも、母のことも、当然愛している。イアソンのことも大事だ。だが、それでも引き下がるという選択肢はなかった。こればかりはもう、自分ではどうしようもないことなのだ。"井戸の国"の最後と同じで、一度石壁が崩れ始めたら誰にも止めることなどできはしない。あの夜からずっと、私は、自分の欲を制御する術を失ったままなのだ。

「待ちなさい、メディ!まだ話は終わってないぞ!」

 立ち上がった私に父の声が飛ぶ。それを無視して寝所に向かい、部屋に入る直前に足を止め、両親に向かって「それだけは絶対に無理」と呟くように言った。

 そうしてベッドに潜り込んで、しゃくりあげているうちに、気づけば眠りに就いていた。深夜に一度、母がベッドに入ってきて私を抱きしめながら横になったことは覚えているが、どうやら父は椅子の上で夢を見ていたらしい。

 それから一晩明けた今日の朝。母はいつも通りに接してくれたが、父とは目も合わせなかった。これまでもこういうことは何度かあったが、母は「この子とあと何回同じ朝を過ごせるのか分からないんだから」と父に機嫌を治すように言葉をかけていたのが、唯一いつもと違う点だった。


「今日おじさん達が管理所についてこなかったのは、明日メディが十三歳になるからって理由だけじゃなかったんだな」

 昨夜の話を聞いたイアソンはなるほどと理解したようだった。果物はこれがいいと伝え損ねてしまったのも昨夜の言い争いが原因だ。いや、もしかしたら明日の果物は無しということもあり得る。家族喧嘩など珍しさもないが、あれほど険悪な雰囲気だったのは初めてのことだ。今まではずっと、私も両親もお互いに将来の話を意図的に避けてきたのだから、向こうからすればよほど堪りかねたのだろう。

「おじさん達の気持ちも分かるけどな。俺もできるなら止めてほしいっていうのが本音だし」

「分かってるよ。お父さんもお母さんも、それにイアソンも、私のことを心配してるんだって。でも、仕方ないじゃん。書きたいって思っちゃったんだから」

 一度溢れ出した銀貨を止めることなどできない。それは普通は家庭を持つ幸せだったり、子供との平和な生活だったりするが、私にとってのそれは、書きたいという欲求だけだったのだ。その銀貨を止めるためには、池そのものを埋めるしかない。

「難儀なやつだな、全く」

 イアソンが溜め息を吐いて天蓋を見つめる。私も全く同意見だ。心の奥底から、面倒な性格に生まれついてしまったものだとそう思う。あるいはあの四歳の数日間に物語の喜びを知らずにいたのなら、あるいはあの日に高熱で神官医師の下に運ばれなければ、極めて平凡な一人の女として、明日を迎えることができたのかもしれない。それはきっと、私にとっても望ましいことなのだろう。しかし、これはもう仕方がないことなのだ。私はもう、この絶望的なまでに排他的な、思考が麻痺するほどの喜びを歌い続けることしかできないのだから。

「呪いってやつなのかも。書かなきゃ書かなきゃって、呪われてるんだ、私」

 笑いながらそう言うと、イアソンは「知ってるよ」と返して私の頭を小突いた。そして立ち上がって伸びをして、自分の小屋の方を親指で示す。

「じゃあ、ここで話し合うのも危ないし、夜までの間、俺の家で作戦を考えよう」

「誘ったのは私だけど、良いの?ばれたら多分、イアソンは殺されるよ」

「だろうな。でも」

 私の手を掴んで立ち上がらせると、先ほど私が切り石の上に置いたイチゴジャムの小瓶をあおって残った中身を飲み干して、彼は言葉を続けた。

「それが嫌なら、もう何年も前に絶交してるよ」

 イアソンも十分難儀なやつだよと頬をつつき、お前にだけは言われたくないなと小突かれる。そうしてひとまず、イアソンの小屋で翌日の────聖芽祭のことと、その後の私達の行動について相談することにした。

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