Lost Paradise

CHAPTER I

「なぁ、さすがに今日はやめておいた方が良いんじゃないか?」

 隣を歩く少年が言う。彼の視線は私に向けられたかと思うと周囲や背後に泳いだり、かと思えば再び私に注がれたりで、どうにも忙しない。

「いいじゃん別に。聖芽祭の準備はもうほとんど終わってるし、私達の仕事なんて残ってないよ」

 諫める気など全く感じられない制止の声に、私はそう返した。聖芽祭の前日の昼なのだから彼の言い分が正しいのは理解できるが、成人前の子供だけで他区域に入れる機会など多くない。祭りの前のこの慌ただしさに紛れるのが一番だ、と構わず歩みを進めると、イアソンは小言を落ちる花弁のように私に浴びせながらも、歩幅を合わせながら私の隣について歩く。

「そういう問題じゃなくてだな。いや、それもあるけど、明日はお前の誕生日でもあるだろ。お前がいないと、おじさんとおばさんがパンに干しブドウを入れればいいのか、それとも干しリンゴがいいのか分からなくて困るんじゃないか?」

 確かに一理ある。パンに果物を入れてもらえるなどという贅沢ができるのは祝い事の時くらいで、私は不幸にも聖芽祭と誕生日が同じ日なのだから、他の子供達よりもその機会が少ない。普通なら家族の誕生日と聖芽祭で年に最低でも四回は口にできるところ、私は、というより私の家ではたったの三回なのだ。よく考えて選ぶ必要がある。去年はレーズンパンだったので今年は干しリンゴがいいと思っていたのだが、昨夜父と口喧嘩をしてそのままだったため、何も言わないままに出てきてしまった。

 これは今までの人生で最大の失敗を犯してしまったかもしれないな、と足を止める。

「………アップルパイがいい、って伝えておくべきだったかも」

「そんなもん、聖芽祭以外で出るわけないだろ。いや、それだとある意味毎年誕生日に食べてることになるのか………?」

「私は私の誕生日のお祝いとしてアップルパイが食べたいの。聖芽祭で皆で食べるんじゃなくてね」

 今年もブドウだったらどうしようか、と考えながら、再び足を動かす。ブドウも当然好きなのだが、幼い私が干しブドウレーズンをことさら気に入っていたからか、私が特に「これがいい」と言わない限り、父も母も誕生日には毎年そればかりを貰ってくるので、他のもの────リンゴやアンズ、イチジク等は二年は食べていないことになる。十一歳にはイチジクを頼んだが、やはり今年はリンゴが食べたい。しかし昼食もそこそこに抜け出してきたため、それを父に伝え損ねてしまった。用事を済ませて戻ってからではおそらく既に何かしらを役場から貰って来た後だろうから、どうしてもリンゴが食べたいのであれば、今すぐに引き返さなければならない。

「どうする?やっぱり戻るか?」

「………ううん、間に合わないかもしれないし、戻って怒られてだと管理所に行けなくなっちゃうから、今年は諦めるよ」

「リンゴよりナンバープレートか。相変わらず、俺には分からないなぁ」

 といいつつ、私の行先を誰に伝えることもせずに、相も変わらず隣を歩く幼馴染。私だってリンゴは大事だ。変人呼ばわりはやめてもらいたいが、実際こうして管理所に行くことを優先している以上、返す言葉の持ち合わせがない。

 そもそも、春、夏、秋の四季祭と冬の四季祭である聖芽祭の前日には管理所に行って良い、というのが両親との約束なのだ。それを破った父と母にこそ、今日の責任がある。

「あ、でも、お前は明日十三歳になるんだし、おじさんも果物二つ貰ってくるか。もしかしたら片方はリンゴかもしれないぞ」

 思い出したように口を開くイアソンに、恨みを込めた視線を送る。せっかく忘れようとしていたところに、時計塔から突き落とすような調子で見たくもない現実を突きつけられた私は、今年一番の溜め息を吐いて、木陰で踊り落ちるプラタナスの葉を一枚手に取っては手放しを繰り返して気を紛らわせようとした。しかし考えたくないと思えば思うほど、それは執拗に頭の中に割り込んできてしまう。

 あと半日もすれば十二月二十五日、つまり聖芽祭当日で、その日は私の誕生日でもあって、今まで通りなら年に数度の果物が食べられる甘い一日になるはずだ。しかし明日は今までと違って素直に喜べる日にはならない。イアソンが言っていたように、私は明日で十三歳になってしまう。女は十三歳になれば正式な結婚話が出てくるもので、誕生日の次の日にはもう婚姻が認められるため、最悪の場合あと二日と経たずに生涯の伴侶が決まってしまう可能性もある。そうなればその家の仕事に追われ、子を産めばその世話にも追われ、自分の時間など無くなっていく。こうしてナンバープレート管理所に向かうことも、できなくなるかもしれないのだ。

「やだなぁ、結婚とかしたくないなぁ。でも絶対そういう話もされるよね。ああもう、男に産まれたかったなぁ」

「あんまり大きな声で言うなよ。神官達に聞かれたら問題だぞ」

「どうせ神官様方はローストチキンの下拵えの見学で忙しいから、こんなところにはいないよ」

 管理所の前には五神樹の庭園があるので、その辺りにはいるかもしれないが。

 大通りを避けて家々の隙間を縫うように進んだ私達は、五神樹の庭園の北側、レヴァ=オヴァリア中央大時計塔の入り口で足を止めた。この時計塔を挟んでさらに北には神官達が祭事の際に集まる館、アルバ=フルータ=フローラ祭館があり、そこからさらに進んだフローラの中央には大神官であるレヴァ家の邸宅と、私がかつて数日間だけ過ごした、唯一の神官医師であるヨケベダ家の邸宅が鎮座している。

 時計塔の内部はエリアルシートのナンバープレートを管理する施設になっており、中に入って見回してみると、聖芽祭を翌日に控えた今日は、普段よりも一段と忙しそうに見えた。

 イアソンと共に管理所に入った私は受付まで行って、頭の中で「開け」と念じてエリアルシートを出して、身分の証明準備を整えた。

「おや、メディとイアソンじゃないか。今回は来ないものかと思ったよ」

「こんにちは、ハルさん。ナンバープレートの登録と、あとできれば閲覧許可の申請もしたいんですけど」

 私の言葉にハルは困ったように唸り声を上げる。やはり聖芽祭前日は仕事が多く、登録申請も閲覧申請も相当な時間がかかってしまうのだろう。そう思っていたが実際には少し違ったようで、ハルは他の人達に聞こえないような声音で言った。

「ちょうど神官様達は来ているんだがね。どうにも今回は、登録申請の受付数を減らしたいらしいんだ」

 ではなく、という言い方は少し違和感がある。こちらからは到底分かるはずもないが、神域で何か問題でも起こったのだろうか。

「今回はどちらの生神いけがみ様が神事を行ってくださる予定なんでしょう?」

 イアソンが一歩前に出て質問をする。するとハルは口元に人差し指を当てて「あまり大きな声では言えない話なんだが」と前置きをし、身を乗り出して言葉を続けた。

「実はね、新しい生神様が御降誕されるとかいう噂なんだ」

 大きな声を上げて驚こうとしたイアソンの口を押えつつ、私はなるほどそれでか、と通路の先を見る。管理所の中には磨かれた石棚が並び、時計塔の最上階の一つ下の階までその光景は続く。石棚の中には縦七センチメートル、幅十二センチメートル、厚さ十五ミリメートルの石板が保管されていて、それには登録申請が受理された者のエリアルシートの一部のページの番号が記されている。閲覧申請が受理されれば特定のナンバープレートに記されている番号を自分のエリアルシートに打ち込み、そのページをいつ何時でも見られるようになるのだ。

 今回に限って登録申請の受付数を減らすというのは、祭事の経験のない生神への配慮なのだろう。ナンバープレートの登録申請は祭事の後に生神が神域に持って帰ることになっているため、その負担を減らそうと神官達が考えたに違いない。

 私はエリアルシートを開き、"フローラの芽吹きの儀式に関する記録"のページを表示する。これには神域ベタルに囲まれたこの街────中央区アルバ=コローラ、北区ロッサ=コローラ、東区ジャラ=コローラ、南区アズーラ=コローラ、西区ヴェルダ=コローラの五つの区域からなる、花の神々が収める地であるフローラの祭事の記録が書かれていて、全てのナンバープレートの閲覧許可が下りない罪人でもない限りは、誰でも見られるものだった。この記録によると、最後に新たな生神が現れたのは七十三年前の春の四季祭で、その際にも今回同様にナンバープレートの登録申請受付数を減らしていた、とある。

「間が悪いってやつだよ、本当に。せめて次の、春の四季祭まで待ってくれれば良いのに」

 登録申請受付数の制限というのは、つまり今年一年の記録や残さなければならない重要な文書等以外は受理しない、という意味だろう。実際、この七十三年前の春の四季祭の後に受理された登録申請はそういったものばかりだ。私のような子供が"物語を書いたので登録受理をお願いします"と言ったところで、神官達に鼻で笑われて終わりだろう。ただでさえ空想に耽る頭のおかしな娘と噂されているのだ。年に数回こうして管理所まで通っているのも当然知られているだろうし、彼らからすれば仕事をせずにエリアルシートと睨み合っているだけの役立たずという認識に違いない。

 今までも何度か私の書いた物語の登録を申請しているが、一度たりとも受理されたことはない。だが、今までであればまた次があったが、今日を逃せば私は、どこかの家に嫁に行かなければならなくなって、もう物語を書くこともできなくなるかもしれない。間が悪いなどという一言で済ませたくはないが、神官達に何を言っても聞き入れてはもらえないだろうから、諦める他にないだろう。

 何が神だ、神に仕える神官だと心の中で愚痴を零していると、ハルが思い出したように口を開いた。

「そうか、メディは明日で十三歳か」

 それは確かに、間が悪いというやつだなぁ………と、そう呟いたハルは、カウンターから小さなバスケットを取り出す。バスケットの中にはまだ温かさの残るパンと牛肉のスモークジャーキー、干しリンゴ、イチゴのジャムが入った小さな陶器製の瓶と、紅茶の茶葉が入った同じく陶器製の瓶が詰めてあって、彼はそれを私に向かって差し出した。

「うちの息子夫婦はほとんど会いに来なくてなぁ。せっかくの聖芽祭だから孫に渡そうと思っていたんだが、良かったら受け取ってくれんかね」

「え、良いんですか?」

 私とイアソンは顔を見合わせて驚く。ハルは軽く言っているが、それは彼と彼の妻の分の御馳走のはずだ。神官や貴族以外の食事といえば、パンと筋ばった少しのウサギ肉が入った味の薄いシチューくらいのもので、管理所の給料が良いとはいっても、この中でハルが普段から買えそうなもの────それでもいくらか貯金してだが────はせいぜい茶葉くらいのものだろう。その茶葉にしても、これほど香りの深いものは店に行って金を出せばすぐに手に入る、というわけでもない。数か月か、あるいは一年は待って手に入れたものではないだろうか。このパンも日常的に家で食べているような平たく硬いものではなく、表面には焼き色がついていて、指で軽く押せば中身が綿のように柔らかいことがすぐに分かる。牛肉のスモークジャーキーや干しリンゴ、イチゴのジャムはわざわざ説明するまでもないだろう。特に牛肉のスモークジャーキーだ。ウサギ肉の燻製なら時たま口にできるし羊肉なら毎年の聖芽祭で見ているが、牛肉なんて目にするのも初めてのことだ。

 つまり、このバスケットの中身はおいそれと他人に譲り渡せるようなありふれたものではなく、年に数度しか手に入らない高級食材なのだ。そんなものを私達に譲ってしまって良いものなのだろうか。

「ああ、貰っとくれ。その茶葉は前にも一度淹れて飲んだことがあるし、スモークジャーキーはこの歳になると硬くて噛み切れんだろうからね。若いお前さんらに食べられた方が、こいつらも喜ぶさ」

 餞別ということだろう。今まで私には婚約話も何もなかったが、以前オニカ=ペタラの噴水庭園で子供達に私が書いた物語を聞かせたり、その内容を書き写させて他の人達に広めてもらったりした時に、神官達に目をつけられてしまっている。今現在フローラで読まれている物語のうちのいくつかは、私がナンバープレートを介さずにページの内容を渡した結果娯楽として受け入れられたもので、本来であれば何らかの処罰が下されていたはずだった。しかし母が父との結婚前に神官付の身分にあったことで、辛うじて罪に問われずに済んだのだ。以来こうして真面目に管理所まで来て登録申請をしているが、毎回無駄足に終わっている。それもそのはずだろう。エリアルシートは生神が与えた恩寵で、身分証明以外では、たとえ相手が家族であっても易々と見せて良いようなものではない。それが神官達の考えで、私は立派な異端者なのだ。生神への信仰心もなく、神官達への畏敬の念も皆無、空想を書き連ねる以外で自主的に行動することもなければ、区域のため、町のため、フローラのために働くことに情熱など欠片も持ち合わせていない。平民の身分で、さらに成人もしていないのでこれといって鎖になるものも無いとなれば、私の存在は疎ましいことこの上ないだろう。

 だが、そんな私も明日で一人の女として扱われるようになる。今日まで結婚に関する話がなかったのは恐らく、私の髪の色を理由に入れないのであれば、身分の高い家のどこかに嫁がせるために手を回されていたのだろう。神官付や神官の家柄と平民との婚姻は基本的には認められていないが、身分を偽る手段はいくつかある。たとえば境界森で死んだということにして、別人の戸籍を与えた後に幽閉する。たとえば父が実は神官付の家系で、母がその身分を捨てる必要はなかったとに身分の高い者と婚約させる。貴族との婚姻はおそらく無いだろう。貴族は神官達を除けば最も身分が高く、神官達と違ってこれといった使命のようなものも無い。私がどこかの貴族家に嫁入りした場合、間違いなく今以上に血統書付きの馬よりもなお早く執筆活動に邁進し、そして平民上がりであっても貴族の身分を手に入れている以上、身分的にそれを止められる相手が限られるからだ。

 いずれにせよ、家庭に入る結婚するというのは最大の鎖になる。神官達からすれば、文字を書き連ねる以外の物事に関心が無い私は、何としてでも穏便に檻に閉じ込めておきたい相手なのだろう。

 といっても、これらはほとんどが母の想像で、言葉の最後に「だから大人しくしていなさい」と付け加えられていたので、事実かどうかは分からないのだが。

 とにかく、以前の私の行動を思い出せば、結婚可能な年齢になった時点で首に縄をかけられるに違いない。ハルはそう考えてこのバスケットを渡したのだろう。今日を最後に、もうここには現れないだろうと。

「ありがとう、ハルさん。大事に食べますね」

 バスケットを左手に持ち替え、右手をハルの前に伸ばす。

「きっと良いことがあるといいな、メディ。それにイアソンも」

 私とイアソンに握手をして柔らかく笑う受付のハル。私達は管理所を出ると一度だけ時計塔の後姿を目に収め、来た時と同じように、五神樹の庭園を迂回してヴェルダ=コローラへの帰路についた。

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