5-8 前向きな決別

 試合が終わり、荒れ果てた石畳が青無地のコートへと切り替わった。

 ARデバイスの電源をそっと落としながら、皐月は大の字になった優一の前に立つ。


「結局、俺の剣は久条の傍流だったという事か」


 優一はそう言いながら胸を上下させている。皐月が手を差し伸べても取ろうとはしない。


「盾を捨て攻めるつもりで戦っても、無意識に自分を守ってしまっていた」

「「だから負けた」」


 ぼそりと同時に呟く皐月と優一。

 それを聞いて漸く、優一はぎこちなく唇の端を吊り上げる。


「皐月。お前の剣はそういう意味でひたすらに久条だった。雷のように疾く、けして容赦しない。お爺様の往年を彷彿とさせる、素晴らしい騎士道だった」

「別に俺は久条の家を背負って戦った訳じゃない」


 皐月はそっと首を横に振って返す。


「俺は、俺という一人の騎士が、玄部優一という騎士に勝ちたくて戦ったんだ」


 訝しがる幼馴染に、皐月はゆっくりとした口調で続けた。


「でも、優一。盾捨てたよな?」

「は?」

「そういうの、すごくやだよ」


 見下ろす皐月は子供じみたむくれ顔だ。

 しかし、そのむくれ顔はどこか優しい面影を残していて。


「確かに」


 それが優一の相貌を朗らかにさせた。


「俺はあの場では盾を絡めたカウンターに徹するべきだった。だが、気が付けば剣一本で戦っていた」

「そうだよ。何で捨てた」


 いつも後ろをついてきた生意気な弟分。道場で浮き気味だった二人はいつも唯一対等な関係だった。

 それを思い出し、互いの表情が一層弛緩する。


「黒騎士だとか、久条を背負ったとか、そういうの抜きでいい。あんたはあんたらしく、自分の正しいと思う騎士道をすればいい」


 けして謙遜ではない。本当に自分の勝利を素直に認められない。愚直なまでに真面目な顔。


「――俺も、これからはそうする。だからさ」


 にこりと微笑む皐月の、灰色の瞳に自然と蓄えられていく物がある。


「ああ」

「だから、あんたも培った自分の騎士道を捨てないでくれ。んで、今度は手を抜かずに最高の盾と最強の剣で相手してほしい」

「……分かった」


 優一は呆れた顔でゆっくりと首肯する。

 何で勝ったお前が泣きそうになってるんだ。そう思いながらも、言い返す事ができなかったのだ。


「そもそも、これは正式な試合じゃない。俺の一方的な殴り込みだ。第一、まだ無敵の盾を破れていないんだからな」


 そんな優一の内心までは見透かす余裕が今の皐月には無いのか。ぐっと詰め寄る。

 皐月が勝てた最大の理由は、優一が盾を捨てたからだと。まだ言い足りないらしい。


「そうか。お前がそれでいいなら、この戦いの結果は甘んじて受け入れる」


 優一は立ち上がると息を吐いた。

 そして、落ち着いた所でようやくかねてから聞きたかった言葉を口にしようと決める。


「なあ、皐月。お前はいつになったら戻って来るんだ?」


 少しだけ呆れたような、そんな感情を僅かに匂わせながら、久条の兄弟子がぽつりと呟く。

 それは、皐月が帝徳を去ってからずっと聞きたかった言葉。


「さっきも言ったろう。やはり、久条を継ぐ騎士はお前の方が相応しいと」


 漆黒の瞳がじっと見つめる。その瞳を見返しながら、皐月は思った。


 ――おんなじだ。


 瞳の色こそ違えど、それは亜姫の赤目が唯衣に向ける物と同じだった。

 兄弟子、親友、血のつながらない親族、そしてけして譲れず相容れない好敵手。幼い頃から共に過ごした二人の騎士は単純明快にな言葉で表せるような間柄ではない。

 その彼が皐月に戻ってこいと言っている。

 もし、ここで皐月が頷けばきっと彼は力になってくれるだろう。久条の家に戻り、帝徳で騎士道を再び始める事だって造作もない筈だ。


「俺はもう振り返らないって決めたんだ」


 だが、優一の善意を皐月ははっきりと断った。


「でないと、あいつに置いてかれる」


 その理由は振り向いた先にあった。

 皆瀬亜姫の眼差し。

 暗いギャラリーではっきりと際立つその姿は紛れもなく可憐な一輪の花だ。

 高山のけして手の届かない嶺の端に咲く、美しい白き花。

 そんな気高さを持つ彼女に皐月は心を動かされたのだ。


「そうか、そうだよな」


 優一は納得したように肩を竦め、そして深々と頭を下げた。


「すまなかった皐月。俺はあの子に酷い事をした。お前に出来た初めての彼女を闇討ちするなど、騎士道にあるまじき行為だ。本当にすまないと思っている」


 顔を上げた優一は真面目一辺倒の顔。

 茶化している訳ではない。優一と長く関わりその性分を知っている皐月にはそれがすぐに理解できる。


「いや……今なんて」


 だが、問題はそこではなかった。


「そもそも、皆瀬さんは別に俺の彼女じゃないよ」


 かろうじて出てきた言葉。

 消え入りそうな語尾と共に逃げるようにもう一度ギャラリーを見上げると、亜姫がにこやかに手を振っている。

 それがまるでからかっているような無邪気さで、皐月は素直に手を振り返す事ができない。


「皆瀬さんのやつ!」

「本当にお前の彼女じゃないのか? 下の名前で呼んでいたのを俺は聞いたぞ」

「ば、それは……とにかく違う! 違うって言ってるんだって!」


 天然の分、優一はこういう時に厄介だ。皐月は本気で言い返していた。


「わかったよ。そういう事にしておこう」


 優一はそんな皐月を見ながら、柔和な表情へと変わっていく。


「だが、お前を変えてくれたのは間違いなくあの子だ。それを忘れるな」

「わかってるよ」


 不貞腐れる皐月。

 いつも無表情だった弟分が色とりどりの感情を見せる。それを確かめれただけで優一は満足できてしまう。


「今度、また決着を付けよう」


 優一がぐっと右手を前に出した。

 差し出された兄貴分の手のひらは皐月よりも一回りだけ大きく見えた。


「ああ。願わくは公式戦で」


 ぐっと握り返すと、驟雨のような拍手が沸いた。皐月がこの数年間、決して向けられることの無かった拍手だった。

 暗がりの中、亜姫を始めとする無数の手のひらが蝶の群れのように舞っている。


「終わったあ……」


 それを見ながら、皐月はどこか満ち足りたような――長く大きな溜息をついた。

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