5-7 デイドリーム・ビリーヴ

「はは! そうだ。この剣だ。この轟きなのだ!」


 優一が身を起こすよりも早く、地を抉るような長剣の切り返しが来る。それを紙一重で交わした。

 金色の瞳を輝かせ、皐月がぐんと迫る。


「――――――!!!」


 再び稲光がコート内に走った。

 どぉん、と。追撃の雷鳴が皐月の左手から振るわれる。

 

「これが聞きたかったッ!!! 間違いない、唸る獣だ!」


 ――それは、決して自分では発せられない音だと、玄部優一は剣を受けながら思った。


 孤児院から救われ、玄部の養子となったあの日から義母に教えられた盾と長剣のスタイル。

 それは、優一が久条の流派であってもその支流の『玄部』の家であると知らしめる為の物だった。


 久条の騎士であっても、本家の人間でなければその剣を振る事は出来ぬ。


 剣一本に全速と全力を同時にかける。二者択一を両立する矛盾を目指す『久条』の騎士道。

 いかなる相手も疾き強撃で割り、砕き屠る『稲妻』と『雷鳴』の剣。

 それは、明治期から伝わる久条本流の象徴であり、皐月と彼の父祖だけが脈々と受け継いできた輝きだった。

 分家筋の玄部では絶対に成しえない。

 例え、鉄壁だの無敵の盾と褒め称されとも。

 けして手に入らないそれは、他の何物よりも尊く見えた。


「俺には振れない剣をこうも何度も! 憎らしい……!」


 盾で押し返しながら優一が怨嗟に満ちた声で叫ぶ。しかし、言いながらも心の中に在る熱情に嘘はつけない。

 全国大会の決勝ですら味わったかどうか。

 極まれに死線を潜り抜けた先で感じた恍惚じみた感情の片鱗のようなもの。ずっとその先に至りたかった。

 それが今ようやく自分の心の中で形となり、じりじりと燃えている。


「お前だけには絶対に負けぬ。負けてなるものか!」


 優一の剣が藍を帯びる。翳された長剣の刃が雷鳴を受け止め、振り払った所で鈍い霞を猛然と散らした。


「うるさい! 勝つのは俺だ!」


 即座に皐月が切り返す。唸るように鬩ぎあう二振りの剣。雷鳴は三度(みたび)轟く。


「まだだ!」


 その一撃を長剣の一振りでいなしながら、突き出された盾が風を巻く。

 だが、皐月はもう臆さない。盾が立ちはだかるならば、それを打ち破る強烈な剣撃を、何度でも。


「――撃つ!」


 稲光が殺到する。


「「おおおおおおおおお!」」


 幾度となく交錯する盾と剣と剣と剣。暴音が戦いを刻み、その律動は加速していく。

 剣士として皆が欲しがるもの全てを持ち合わせていた皐月。望めば何にでも手が届くのに呆気なく手放した。

 弟のように愛おしい親友ともに、優一はいつも憤りを覚えていた。だが、それは裏を返せば自分の自信でもあったのだ。

 俺ならば逃げずに立ちむかう事が出来る。全能でないからこそ、どんな苦境でも真正面から挑み続けられる。そう思いながら騎士道に励んだ。

 事実、幼い頃から共にいた皐月だけが壊れていったではないか。それを横で見ながら憐憫を感じ、一方で挫折した皐月が乗り越えられない物を呆気なく乗り越えられる自分。

 ずっと優越感を覚えてきた。


「ははは! いいぞ、面白いぞ、皐月!」


 思考は驚くほどに澄んでいた。


 

 ――俺はお前と決別して、初めて自分が久条の一番になれるのだと、そう思っていたよ。



 がむしゃらに剣を突き合わせながら優一は心の中で呟く。

 自分は偽物の久条だ。それでも、皐月を越える存在になれば問題は全て解決できる。そう信じた結果が、絶対勝利を標榜する帝徳で頂点にまで上り詰めた今ではないのか。

 しかし、目の前の皐月は欠けていたピースを得た。それだけでこれまでの物が全て無に帰した。

 優一はそれを瞬時に悟り、故に燃えた。


「本当に、本当に呪わしいよ……皐月!」


 ならば俺は、と。


「俺だって久条だ! お前には負けないッ!!!」 


 気づけば盾を捨てていた。

 長剣一本。優一は久条本来の型を以て死闘を続行する。

 夕暮れの騎士道場で戦った遠い日と同じように、二人の騎士は全霊を以て打ち合う。

 まるで終焉のその時まで永遠に続くかのように。


「「おおおおおおおおおおおおおお!!!」」


 剣戟が激しく響き続けた。

 その凄絶な打ち合いを、ギャラリーの誰もが言葉を失って見守った。

 





「唸る獣……か」 



 成程、くびきを解き放たれた獣だと思いながら、亜姫は眼下の戦場を見下ろしている。

 古き英国の騎士道譚に登場する怪物。自身も王でありながら、ブリテン王アーサーに仕えた円卓の騎士ペリノア。彼を魅入らせた正体不明の獣は、今目の前に確かにいる。

 剣戟の度に雷めいた咆哮を迸らせ、この場にいる全ての騎士達を魅入らせる怪物。

 昏いギャラリーのあちこちで観戦する騎士達。彼ら彼女たちが眉間に掛けるARが五彩を散らし、まるで星空のように瞬いていた。

 それを見渡した亜姫は今一度、騎士二人に視点を戻す。


「――私はきっとあの日も、この戦いを見てたんだ」


 コートはそこだけ白い照明が焚かれている。

 十数メートルに満たないそこが何故か、幼い亜姫が見ていた光景と重なって見えた。

 亜姫の赤い瞳の奥が、石畳で覆われた坂道を見る。

 それはARとは異なる極めてリアルな幻影――ともすれば、白昼夢という類いなのかもしれない。

 

 六月の雨上がりの晴れ空。未だ残る雨水が石垣の隙間から漏れだす音がした。

 雪のように白く華奢な幼い手。車いすのハンドリムを必死に回し続けている。

 この坂を越えればきっと。その一心で毎日上り続けた。

 坂を越えた先には強面の鬼瓦を頂いた古びた門が変わらず聳えていて。その向こうではが死闘を繰り広げている。

 裂帛の叫びが、剣戟の音が、ARに見る幻影の火花が。

 美しく力強く亜姫の心に希望を灯し、それはいつしか少女が生きる目的となった。

 あの場所に行きたい。その一心だけが皆瀬亜姫に希望を抱かせた。

 そうやって、幾度となく坂を上らせる力を与えてくれた。

 そして今まさに、石畳を上り続けた先の彼らが目の前で剣を振るっている。


「勝て。皐月」


 静かに紡ぐ。先刻まで裂帛の叫びを上げていたとは思えない程の綺麗な声音で。

 目を閉じ、剣戟に耳を傾けると、優一から憎しみの色は消え、皐月から負い目のような色が消えていくのを感じた。

 

 いつか皐月が言っていたっけ。


 心で見る色。それが、亜姫にも漸く理解できる気がした。

 瞳の裏、暗い世界に稲妻が迸る。


「ああ――この戦いも終わる」


 亜姫が確信めいて呟くと、凄まじい剣戟の轟きが鳴った。

 瞳を開けた先、亜姫の視界に試合終了の表示が灯った。

 勝者は久条皐月とある。そして、その横に表示された二つ名に思わず目が行った。



「帝都の『雷鳴』」


 もう一度、眼下に立つ騎士を見た。

 皆瀬亜姫の騎士。戦いを終えた彼を薄っすらと覆っていた灰色の靄が晴れる。


「やったじゃない。君はもう『幽霊』なんかじゃないよ」


 


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