5-5 漆黒の無敵

 虚飾され、戦場に変貌した大地。皐月は初手から力任せに剣をぶつけた。

 偽りの石畳を踏みつけ、虚飾された土煙をくゆらせ、幻想めいた鋼の火花を散らし壮絶な打ち合いが始まる。

 だが、その渦中にいながら、皐月は冷静に優一の隙を窺っていた。


 ――盾を使ったカウンター主体の攻め手は相変わらずか。


 常に壁のように聳える黒い盾が傾き、ブラインドから切っ先が現れる。


「ああ、知ってるよ」


 皐月は不意の一撃を首の動き一つでかわす。そして、反撃と見せかけた牽制を仕掛けた。当然防がれる。


 ――そこだ。

 構えられた優一の盾の反対側、空いたスペースへ皐月が放つのは本命の一打だった。

 しかし、優一はそれも予見していたのか今度は右手の長剣で呆気なく受け流した。


「やり口を知ってるのは何もお前だけじゃない」


 それは緻密に組み立てられた戦術による戦いではない。

 物心ついた頃から共に帝徳で騎士道に励んだ中学時代まで、幾度となく剣を合わせた二人は完全に手の内を知り尽くし、動物的な直感を頼りに攻防を繰り広げる。

 黒い盾が暴風のような一撃を皐月に浴びせる。


「悔しいけど俺より上だ」


 体格差も攻撃の律動もあの頃と変わらない。しかし、中学時代とは明らかに変わっているものがあった。

 直感任せの優一の立ち回り。その中に確かに存在する理性。全く崩れる気配も隙も見えない。

 それは頭角を表しただとか、天賦の才と言われる類の物ではなく、間違いなく全国での戦った末に得たものだ。

 経験の差はそのまま皐月にのしかかってくる。


「ぐっ!」


 重厚な剣圧。刀身が長い分、一撃の重さは皐月の片手剣に勝る。

 防ぎ切った所に追撃のボディブローが繰り出された。

 盾のへりが皐月の肋骨をまともに打ち付け、視界が遠くなるのを堪えながら距離を取った。


「どうした、そんなものか!」


 態度を豹変させ、優一が猛烈な攻勢に入る。 


「貴様は! こんな事をするために騎士道を捨てたのか! こんな無様を見せつける為に舞い戻って来たのか! 失望させるな!」


 雨あられのように打ち付けられる剣。そして、とどめの一撃が上天から振るわれ――


「うるさいな」


 視界一杯に鮮やかな閃光が走った。

 遅れて優一の鼓膜を打ち付ける、雷鳴の如く低く昏い唸り。


「貴様」

「そんな事、百も承知だ」


 皐月の虹彩に宿るのは何時ものけむのように曖昧な灰色では無く、輝く金色。

 ARとは思えない潤いを帯びた金色が虹彩を縁取っていた。


「だけど、ようやく慣れてきたんだ。こっから先は取りに行く」


 そして、今度は皐月の攻勢が始まった――




「これは」


 盾で守っている筈なのに優一は後退している事に気づいた。

 一年半にも及ぶ騎士道から遠ざかる生活の中、皐月はそれでも肉体の鍛錬だけは怠らなかった。生前の行動を繰り返す亡者のように、ただ反復するように筋力を鍛え走り込む生活を繰り返した。

 それらは戦いに必要な肉体だけは維持し続ける事に繋がり――しかし、年月と共に欠けていた『戦いの勘』も、亜姫と出会ってからの稽古と、今この優一との戦いの中で取り戻しつつある。


「久条の血か」


 恐ろしい才能だ。剣を受けながら優一は歯がゆさに唇をぎゅっと結んだ。


「まずは二発、確実に決める」


 ふと、苛烈だった皐月の攻撃が止んだ。

 優一はその一言で、本命の一打が来ると悟る。


 いや――本命? 

 今までのヤツの攻撃はその為の慣らしにしか過ぎなかったのか?

 

 そんな疑念が掠めた矢先の事だった。

 かっ、と。優一の視界が眩い光に染め上げられる。皐月の鋭い振りを過敏に感知し過ぎたARが『稲妻』を一拍速く走らせたのだ。

 装着者の視覚に遅れまいとするARの微細な誤作動。寸分遅れて剣撃が叩き込まれ、どん、どんと鎧を叩く雷鳴が轟いた。


「すげえ」


 アリーナの鉄骨の四隅まで浸透させる『雷鳴』の轟きに、ギャラリーの帝徳の生徒達が息を呑んだ。

 帝徳の大将、玄部優一の存在は絶対的だ。彼ら新入部員にとっては英雄にも思えるほどに。

 才能と恵まれた肉体だけではない。それ以上の山のような努力を積み上げ、不動の地位へと登り詰めた怪物級の騎士。

 あまりにも遠い高み。彼らが三年間、いや選手生命を丸ごとかけても到達できない場所にいるのかもしれない。

 この二か月でそれ程までに思い知らされた玄部優一が今、劣勢に甘んじている。

 果たして、この光景は現実か。


「無敵の盾が破られるのか」


 玄部優一を追い込んでいるのはワンハンドソード一本を持っただけの騎士だ。

 体格も恵まれているとは言えない彼が、見たことのない動きで一気呵成に攻め立てている。


「はあああっ!」


 迸る戦気を喉元から放出させ尚も進む皐月。金色の目で見える色。優一を覆う戦いの感情は完全に劣勢になっていた。いける。

 どぉん、と。遠雷のような音を伴わせ優一の盾を思いきり打ち付けた。

 渾身の一撃を終えた皐月の攻め手が一旦止む。


「最大級の一撃を何度も浴びせたのに、全く折れる気配がないな」


 皆瀬亜姫、樫葉崎唯衣、公園で遭遇した草試合プレイヤー、そしてつい先日の大会では西東京の強豪と名高い聖ミカエル高校の騎士とも手合わせした。

 復帰してそれなりに場数をこなしてきたと自負していたが、優一はそれら全てを凌駕する堅牢さを持つ騎士だった。


「流石は三期連続優勝を成し遂げた帝徳の大将だ」


 けして折れない不屈の塊。久条道場で見たどの騎士よりも強固な意志。

 そうだ、これが玄部優一という男なのだ。

「だが、攻撃を繰り返していればいつかは潰えるポイントだ」


 それがどれほど遠くにあるとしても、皐月は攻撃を続ける事をやめない。短く息を吸い込みながら素早く斬り込んだ。


「はあ!」


 雷が鳴る。全霊を込めた強打をこれでもかとぶつける。一撃、二撃、三撃。視界に幾度となく瞬く閃光、その度に無傷の黒い盾がARのけむの中から現れ顔に迫る。


「俺は折れんぞ」


 直後、長剣が皐月の右腕を撫でつけていた。制服の下に着こんだセンサースーツが磁力と剣圧を感知してそれ以上の正確無比なダメージを演算――残り六割へと持ち点が減る。

 ゲージは注意域のイエローへ。しかし、対する優一は未だ安全圏のグリーンのままだ。


「お前はその攻撃を繰り返せば俺を倒せる、そう思っているのだろうが、違う」


 優一の饒舌さに気を取られた。斬り返された長剣が反対側から現れる。

 長剣は片手剣のリーチを越え、そのまま皐月の胴へと迫る。

 止む無く籠手で受けると身体の芯まで衝撃が伝わった。生身扱いの部分と違って防具で受ければ幾分か軽減されたダメージが演算される。しかし、それでもヒットであることには変わらず、気休めのような物だ。


 ――ここを削られるともう後が無い。 


 持ち点がぐっと減り、ゲージは危険域の赤へと切り替わる。


「公式戦と違って制限時間などない。俺はお前を確実に殺す」


 試合巧者。守り、勝つ帝徳の盾。その術中に嵌っていくのが分かる。


「くっ」


 流れを打破すべく、浴びせた最大膂力の一太刀。

 しかし、力を込めた筈の一撃は盾にヒットするもエフェクトが発生しない。雷とは似て非なる低い衝突音が虚しく鳴るだけだ。


「ガス欠のようだな」


 長期戦ならば盾を持った優一に分がある。


「素質がある事は認める。だが、実戦から長く遠ざかった相手に俺は負けんぞ」


 気づけば眼前の盾が皐月の鼻っ面を思いきり殴りつける。優一の言葉に完全に気を取られたが故の一撃。


「まだだ、俺は」


 だが、ここからの逆転は難しい。幾度となく試合で下した相手を見てきた皐月だからこそ分かる。自分は今、彼らの側に立っているのだと。

 脳裏にちらついた敗北の二文字を払うように応戦を続ける。しかし、盾の牙城は崩せない。


「何事からも逃げてきたお前じゃ俺は倒せない」


 そうなのか? 青い残光と共に振るわれる軌跡を見ながら迷う。


「そんな筈があるか!」 


 俺はこれでも爺ちゃんから剣を学んだんだ! 

 厄災後最強の騎士と謳われた久条睦守から!


「くそ!」 


 迷いを振り払う一身でしゃにむに剣を返す。だが、攻撃が空を切ったと同時に皐月の中にふと、もう一つの感情が鎌首をもたげた。


 ――優一は久条からも帝徳からも逃げなかった、その結果が今では無いのか?


 結局自分は最後まで甘えていた。自分自身の逃げ道に久条の家と大好きな祖父を使っていただけではないのか?

 違うと信じていた筈なに、感じた雑音は生じた疑問は徐々に皐月の胸の内で大きくなっていく。



 そして、剣が迷った。



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