5-4 二人の騎士

 校舎を横目にしながら歩くと、皐月の目の前に帝徳騎士道部の専用修練場の外観が現れた。

 極僅かを覆うソリッドな白壁に、半透明の薄張りのガラス。内装の剥き出しの鉄骨が張り巡らされた様は上野の博物館に並ぶ巨獣の骨格のようだ。

 やはり道筋は身体の方が鮮明に覚えている。そう思った。

 足を踏み入れるとアリーナのような円形の空間と、本格的な競技コートが出迎える。中等部にいた頃幾度となく訪れた帝徳高校の競技専用コート。


「よく来れたものだ」


 白光を四方から浴びながら、コートの中心に玄部優一が立っている。傍らの床に突き立てられているのは胴をすっぽり覆うほどの大盾。

 両翼には別のコートもあるが他の騎士達の姿は見えない。


「最後に試合をしたのは久条の屋敷だったな、ユウ」 


 帝徳を辞めると伝えた夏の終わり、夕暮れの道場で見た景色を思い返しながら、皐月は歩き出す。


「その名で呼ぶな」

「俺は、ずっと謝らなくちゃって思ってたんだ」


 優一が射殺すような視線を向ける。


「謝るだと? 良く言う。好きで逃げ出したお前が何を謝る必要がある」

「それもそうだな」


 棘のある言い方だ。しかし、そう言われても仕方がないと皐月は思っている。

 皐月は自嘲しながら二階に据え付けられた観戦スペースを見上げた。

 アリーナを照らす光のせいで良く見えないが、暗がりに幾人かの息遣いを感じる。ここで試合が行われるのを知ってやってきた他の部員達だろうか。

 しかし、ギャラリーがいようがいまいが、皐月の意志が変わる事はない。


「お前は久条の屋敷にいた他の門下生全てを裏切ったとでも言いたいらしいな」


 優一は鼻で笑う。この問答は既に完結しているとでも言いたげに。


「落伍した奴は努力もせず悲劇を気取る。虫唾が走る」


 長剣を抜くと、刀身がぎらりと攻撃的な光りを放った。


「俺は自らの意志で久条を継いだだけだ。そして、お前は弱者だったから落伍した、それだけの差だ。それなのにお前は大袈裟が過ぎる」


 ずぶりと音を立て、軟質素材の床から大盾が引き上げられる。

 右手に長剣、左手に大盾。公園で対峙した時とは違う、記憶にある玄部優一本来のスタイル。

 身に纏う戦気も気迫も黒い鎧でマスキングされていたあの時とは別物だ。本気で自分を殺しに来ているのだと、はっきりと感じ取る。


「優一。努力って何なんだろうな」


 ついて出た皐月の唐突な言葉。優一は一瞬、その頭上に疑問符を浮かべた。


「努力したって及ばない奴もいる。絶対に越えられない壁がある奴もいる。俺はそんな奴らをずっと見てきた」


 久条道場、そして帝徳の中等部。皐月は自分よりも先に落伍していった者達を見てきた。

 そして、何よりも――


「俺は、身近にそんな奴がいるって今更知ったんだ」


 雨に濡れながら、弱々しく地に倒れ伏す亜姫の背中を思い出す。

 あの姿を見て皐月の中で何かが変わった。これまで味わう事の無かった感情をあの雨の日、皐月は初めて自分の事のように思ったのだ。


「弱いな。そんな事を言うようになったか皐月」


 しかし、皐月の言葉に優一は全く同意する素振りを見せない。


「剣を取れ落伍者。二度と騎士道を語れないように今度こそ叩き潰してやるよ」


 そして、眉間を歪めた優一の顔を皐月ははっきりと見た。


「――忌々しい贋剣使いめ。貴様との因縁も今日で終わりだ」


 贋剣使い。幾度となく浴びせられた罵倒。

 騎士道を歩む者として扱われず、ただ贋作の剣を振るだけの騎士道競技者に対してこれ以上ない侮蔑の言葉。

 恩讐に満ちたその言葉を皐月は灰色の瞳で受け止める。


「確かに。俺は贋剣使いだ。それは構わないさ。こんな心が欠陥している人間。騎士の筈がないからな――」


 思えば、物心ついた頃から薄々分かっていたのかもしれない。

 どこまでも邁進する優一は皐月よりも遥かに騎士らしく生きていると思った。あの夜の公園で闇に堕ちても尚、剣の道を求め続ける姿。それに比べたら皐月はまだ本気になってすらいないと思う。

 何かの為に自分の全力を燃やし尽くす事ができなかった。

 まだ出し惜しみしている。

 唯衣に言われた言葉が脳裏で過った。


「俺は多分、騎士として決定的な物が欠落した人間なんだ」


 技術が優れていても、センスが人より勝っていても駄目だった。幼少期に嫌というほど叩き込まれた幾多のすべは、彼の騎士道において全く役に立たなかった。

 騎士道とは何たるか。自分が何者になりたいかすら知れぬまま盲目的に剣を振り続け、勝利を重ねる毎日だった。向けられたのは数多の妬み嫉み。

 それら情念を向けられ、久条であるから勝利は当然の事だと言われ続け生きてきた。そうやって皐月の心は摩耗していった。

 自分の心は何も無いのだと、無意識の内に感じながら生きてきた。


「けどな。そんな俺をどこまでも騎士だって肯定してくれる奴がいたんだ。あいつのおかげで、俺はようやく今更、騎士になりたいって思うようになったんだ」


 亜姫と出会って自分にまだ騎士としての心が宿っている事を知った。

 果たして、それは一時の感情なのかもしれぬ。強豪校を倒すために躍起になる星司や、どこまでも強くあろうとする唯衣や、優一の矜持に比べたら本当にちっぽけな物なのだろう。


「もしかしたら、一時的な熱に浮かされただけだとしても。それでも、俺は聞こえてくる心の声に従う」


 何よりも、内なるその声に気づかさせてくれたのは亜姫だった。

 騎士に必要な殆ど全てを持っているのに、試合をする上で身体上のハンデを抱え、全力で戦う事が許されない少女。そんな亜姫を見て、皐月は自分が全く真逆の存在だと思った。


「例え贋剣使いでも、騎士っぽく生きる事はできるって思ったんだ。ユウ」

「二度と俺をその名で呼ぶなと言った筈だぞ、皐月」


 怒りをかみ殺したような優一の声がする。それでも皐月は自分の内なる心の声を吐き出すのを止めようとしなかった。


「俺はあいつと一緒に見たい景色があるんだ。行きたい場所も出来た。だから、俺は戻って来た――この戦場フィールドへ」


 沸き立った灰色の戦気がコートを席巻した。帝都の幽霊の帰還に応えるように、白と鉄色のコートが一変する。

 ARの五彩の虹が織り成すは古の戦場。遠く見える朽ちた城門にかかる獅子の御旗を仰ぎ見た。その門の前に立ちはだかるように優一が立っている。


「世迷言を。二度と言えぬようにしてやる!」

 礫を巻き込み渦巻く大気。はっきりと見える赤黒い敵意を総身に纏い、優一は長剣の切っ先を皐月へと向けた。


「剣よ、最後まで戦い抜こう」


 迫る優一を見据えながら、言い聞かすように呟いた。

 皐月の視線の先にあるのは祖父より託された久条の剣。


「決戦だ」


 長く久条で生き、長くそれぞれの運命を縛られ続けた騎士、二人。

 彼らの戦いが始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る