5-2 黒雷はかの地で鳴く

 ――帝徳高校。災害後の復興期からこの国において優れた騎士を数多く輩出し、騎士道競技の発展に貢献してきた名門。

 百以上の人数を誇る現在の騎士道部は、三軍でも他校のレギュラークラスでひしめき合う。

 紛れもなく高校最強。その黄金時代は未だ陰る予兆すら感じさせない。


 

 今にも泣きだしそうな墨色の空が広がっていた。

 その下、鋳鉄で作られた帝徳の校門が開け放たれている。

 敷地内のロータリーには帝徳の制服を羽織った幾人もの騎士が倒れていた。

 倒れ伏した内の一人が地に落ちた得物を掴もうとするも、指先は湿った砂利を軽く擦ったまま、その動きを止める。


「やるじゃないか」


 その景色を見渡せる校舎の三階から、帝徳騎士道部部長の紺衛雄麒は呟いた。 

 虚飾されたARの色眼鏡で見れば、息を切らし這いつくばる騎士道部員たちの中心にブラックゴールドの髪の少年が立っている。


「許可も無しに我が校に殴り込みの試合だなんて」


 紺衛よりも少し後ろで控えていた女子生徒が言った。

 軍服めいた女子用学ランのファスナーを首元まで上げて微動だにしない佇まいは、臣下か何かのようだ。


「君達特待生組は知らなかったな。彼が久条の騎士だ」

「驚きですね。まさか彼が?」


 久条の家が帝徳でどれほど大きな影響を与えているか。それは入学してから嫌という程、その総身に叩き込まれていた。


「確か、騎士の庭園で紺衛さんと話していましたよね? 帝徳を抜けたとも聞きましたが、どうして今になって――」

 

 落ち着いた口調の中でも、女子生徒は動揺したように声を震わせている。

 新宿で見たあの少年が、久条の跡取りとは聞いていたが。

 それでも目の前の惨事が彼一人の手で作られたとは、未だに信じ難い。


「忘れ物を取りに来たのさ」


 紺衛はAR投影式眼鏡をかけ直す。


「三軍はおろか二軍でも相手にはならないだろう。行くぞ」


 紺衛の腰に下げたレイピアが揺れる。その鞘は薄明るい電灯の下、戦の気配を感じ取ったように爛々と煌めかせていた。





「本当に私達の助太刀なんて要らないんですね、先輩」


 倒れ伏す黒の軍服姿の帝徳校生たちを見ながら、樫葉崎唯衣が驚きの声を漏らした。

 彼女が着こんでいるのは黒と対照的な鮮やかな赤。ジャケットの意匠のそれは試合仕様のセンサーメイル。いつか皐月と一緒に新宿の店で発注したモデルだ。

 動きやすい軽装の軍衣に、利き手側の右腕と胸元だけを保護する銀の防具を括りつけている。赤いスカートの裾は短く、彼女の無駄のない筋肉のついた脚はしっかりと地を踏みしめていた。


「分かったろ? お嬢ちゃん。俺達はただ見届けるだけでいい」


 同行していた星見星司が未だ抜かずにぶら下がったままの唯衣のレイピアを指さす。

 完全武装の唯衣と違ってこちらは学生服姿だ。皐月の駒木野の臙脂のブレザーとは違う濃紺の詰襟。


「それにしても、校門を越えたと同時に試合開始は流石に引きました」

「妬み僻み嫉み、久条ってだけでのしかかってくる重圧と敵意だ」


 久条と繋がりの深い帝徳で、久条の家に育った皐月が現れる。

 それを聞いた途端、帝徳の騎士達は目の色を変えて殺到した。


「それでも、こうも一方的に勝ってしまうなんて……あっ」


 そう言いかけた所で、唯衣は昇降口の方からやってくる生徒に気が付いた。

 これまでの帝徳騎士とは違う、制服を着崩した姿で上背もある。見るからに武闘派の男子生徒だ。


「三軍の奴らが手に負えないとか聞いたから来てみたら」


 口の片端を吊り上げ好戦的な笑みを浮かべ、男子生徒は剣の鞘を投げ捨てた。


「久条皐月、ランクは二万と少し」

「五桁代かよ」

 

 男子生徒はそう言って馬鹿にしたように鼻息を飛ばした。


「笑わせる。俺は静岡の竜洋東中出身、ランク565石川鉄興てつおきだ」

「一昨年の全中準優勝校か。なるほど静岡の強豪だ」


 皐月が興味深そうに口を開くがそれだけだ。


「お、びびったか? 急にだんまりしやがって。何でもお前、帝徳を逃げ出したんだってな」

「富士山は山梨県民の物だ」

「は?」「え?」


 これまでの挑発合戦が唐突に終わる。

 間の抜けたような声は石川だけでなく、静観している唯衣からも発せられていた。 

「言っといたからな。樫葉崎」


 皐月が振り返った先で、唯衣は完全に面食らった顔をしていた。


「静岡県民っぽいやつに会ったら言っとけって、樫葉崎が俺に押し付けたんじゃないか」

「貴方って人は……」


 唯衣は呆れながらも、いつか交わした言葉を思い出す。

 だが、まさかこの局面で約束を果たされるとは。流石に予想していない。


「ふっざけんなよ!」


 しかし、意外な事に対峙する石川は感情を露わにさせる。一瞬富士山の話かと唯衣は思うも、当然そんな筈がない。


「貴様ごときが紺衛さんに目を掛けられていたなど、認められるか!」


 皐月の言った内容など元々どうでも良かったのかもしれない。当てつけのような勢いで剣を構える石川。

それを合図に臨戦態勢を感知したARデバイスが持ち点ゲージを表出させる。


「贋剣使いめ。ここに来た事を後悔させてやるよ――らあッ!」


 戦いが始まると同時に一方的に斬りかかる。しかし、重苦しい剣戟音と共にがっちりと組み合ったまま、剣同士が硬直していた。

 皐月がいとも容易く受け止めたのだ。

 完全に剣の流れが見えているような動きに、石川の表情が変わる。


「て――めえッ!」

「確かに強いな、それに剣が重い……!」


 皐月も勢いをつけて押し返す。そして、本格的な打ち合いが始まった。

 幾度となく打ち鳴らされる剣戟。

 皐月もこの真っ向勝負には応じるようで、剣の振りは徐々に速度を増していく。


「すごい」


 戦闘準備態勢のままの唯衣が声を漏らした。

 門を越えてから何人もの帝徳騎士を圧倒してきた姿を見てきた。だが、今はそれらどの立ち合いよりも激しい音が響き渡っている。

 しかし、戦いを呆然と見続けるしかない唯衣とは反対に、星見星司は不敵に唇の端を吊り上げていた。


「だけど、まだ足りない――そうだよな? 皐月」

「えっ」


 同じ帝徳出身の星司ならば、きっと皐月の剣も知っているのだろう。

 だが、一方の唯衣はARが織り成す火花に目を眩ませるだけで精一杯だった。

 まだ何か奥の手はあるようだが、皆目見当がつかない。

 そうこうしているうちに二人の騎士の打ち合いはヒートアップしていく。


「落伍者ごときに負けるかよ。どうせ不意打ちばかりやってきたんだろ、贋剣使い!」


 石川の剣は力任せだが、不規則に放たれる中に巧妙な一打が織り交ぜられている。けして闇雲に立ち回っている訳ではない。


「速すぎる。今まで見てきた帝徳の騎士とは全然違う動きです」


 これが全国級の剣か、唯衣は生物的な直感で絶対に敵わない相手だと思い知る。

 だが、そんな相手を前に皐月は落ち着き払った立ち回りを崩さない。

 黙したまま、ただ石川の剣を受け続ける。大きなヒットは未だ貰わず、カウンターの切り返しに徹していた。

 目まぐるしく剣の応酬が繰り返されているというのに試合は硬直していた。

 しかし、観戦者サイドの唯衣にとっては、石川の猛攻にここまで耐えているこの戦況そのものが異常に見える。


「私じゃ絶対攻撃貰っちゃいます。それなのに、あの人は涼しい顔で剣を合わせて……変態ですか」

「あいつは見え過ぎるんだ」


 速度を増していく一流の騎士による決闘。そこから視線を逸らさぬまま、星司が語る。


「いつだってそうだ。刹那の中に無数に存在する選択肢の中から必要な物を直感で見つけ対応する。あいつは何も見ていないように見えて、いつも全部見てる」


 そして、唯衣は目撃する。豪力とも言うべき石川の剣を受ける皐月。時折こちら側から見える彼の瞳が色づいていた。

 ARシステムは最大稼働とも言える程の過剰な火花を演出している。そのような誇大さが必要な程、石川の攻撃は凄まじかった。

 しかし、間合いが離れて攻撃が止む間も、皐月の虹彩は静かな金色を湛えたまま。寧ろ、その輝きは徐々に強くなっていくではないか。

 その時初めて、唯衣は皐月の瞳そのものが燃えるように輝いているのだと悟った。


「来るぞ」

「え?」


 星司が確信めいた声を発した次の瞬間、世界から音が消えた。


 いや、違う――音が消えたと錯覚する程の閃光が、視界全体を支配していた。


 どん、と。雷が鳴る。


「今のは――」


 唯衣は驚いたように半歩踏み込み、言葉を失った。

 ゆっくり前のめりに倒れていく石川の身体。


「く、そ――」


 それっきり動けなくなる。

 石畳には血のような赤いARが滲み出ている。地面を黒く濡らしていくそれ。


「あの雷は剣がぶつかった音だったんですか……」


 唯衣が剣戟音だと気づいた時には、石川は胴からばっさりと切り伏せられていた。



「決まったな」


 星司はそう言って、既に奥へと歩き出していた皐月を追う。

 そして、その視線の先。昇降口から新たな人影が現れるのが見えた。


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