4-6 世界の色
「貴方、滅茶苦茶強いじゃないですか」
戦いを終え、帰路についた途中で唯衣がそんな事を言ってきた。
先ほどの戦いの後から我慢ならなかったようで、執拗に皐月を詰問する唯衣。
「本当意味わかんないですよ。その剣で亜姫ちゃんにも勝ったんですか?」
「あれは別に勝ってない。いいとこ引き分けだった」
皐月は辟易した様子で答えた。
傍らの星司に目線で助けを求めるも、にやけ顔のまま。完全に傍観者サイドから楽しむつもりらしい。
「引き分け? 完全開放の亜姫ちゃんのウィルムと渡り合える時点で『異常』なんです。何で初見で対応できたんですか」
「色が見えたんだ」
「いろ、色ですか!」
ほー!とわざとらしく声を上げる。
皐月はぽりぽりと頬を掻いて隣に助けを求めるが、やっぱり星司はにやけ顔のまま。唯衣を諭してくれるつもりはなさそうだ。
「俺には相手の色が見える」
至極真面目な口調で切り出した皐月を、唯衣はまじまじと見る。
言っている意味が分からない、そんな顔をしながら、
「色のエフェクトが付くという事ですか?」
「ちがう。デバイス越しじゃない。相手の色が肉眼ではっきり見えるんだ」
「は? 何を言っているんですか貴方は」
唯衣が目を細め、あからさまに怪しんでいる。
「俺も初めて聞いた時は驚いたけどさ」
皐月の説明だけでは不十分だ。星司が二人の間に割って入るように近づく。
「まあ、特別な才能ってやつだよな? 皐月?」
「皆瀬さんが大技を繰り出すとき、見たこと無い程の鮮やかな色を感じたんだ。だから、対応できた」
唯衣からの視線に耐えきれなくなった皐月が、仕方ないという口調で答えた。
だが、その返答に唯衣はますます興味を抱いたようだった。
「特別な才能ってやつですか? ちょっと信じられませんけど」
「才能? そんなものじゃない」
皐月が首を振る。
「これは呪いだ」
唐突に発せられた言葉に星司と唯衣は目を合わせる。
「久条の道場の人達が嘘をつくときも、爺ちゃんが死ぬときも、いつだって俺には色が見えた。見たくない色ばかり見えてきた」
「なるほど、信じがたい話ですけど先輩が言うのならそうなんでしょう」
陰鬱とした雰囲気に耐えられなくなったのか、唯衣は皐月の小脇に歩み寄りながら顔を上げた。
「――で」
そして、閑話休題とでも言いたげに表情を緩める。
「亜姫ちゃんは何色に見えましたか?」
「えっ」
何故か甘えるような声音だった。問いかけられた皐月はきょとんとしながら後輩を見返す。
「いいじゃないですか。教えてくださいよ、先輩」
語尾がわざとらしい。
街灯に照らされた赤髪と唯衣の瞳は朱色に揺れていた。
初めて見る後輩らしい表情に、さしもの皐月もたじろぐ。
そして、気を取り直したように息を吐きながら、
「あいつが戦っている時に見える色は、青だった」
星の現れ始めた夜天を見上げる。
「どんな炎よりも熱い、青い炎」
「ふふ」
唯衣の可愛らしい声が皐月の耳にすっと入り込んでくる。
すっかり暗くなった宵闇の中、唯衣が手を後ろにしながら皐月に向けて言う。
「ちなみに私は何色に見えますか?」
「赤、かな。イメージまんまってやつだ」
「私はしょぼい火種ってことですか。何かその例えは嫌です」
とんだ茶番だ。
そう思いながら皐月が目を向けた先では、星司が苦笑いしていた。
「俺の色はうそつきの色ってか?」
「そんなところだ。何ならどんな色か具体的に教えてやろうか?」
「いや、いい。きつい色だったら落ち込む」
ひとしきり軽口を言い終えたのを見計らったのか、ふと星司が気を取り直すように小首を傾ける。
「怒らないのか? 俺のせいで皆瀬亜姫を危険な目に遭わせた」
「実を言えば滅茶苦茶怒ってる」
静かな口調で皐月が即答した。だが、不思議とその目に感情は無い。
いつもの茫洋とした眼差しがじっと星司を見つめている。
「だが、そのせいで向き合う事が出来たのも事実だ」
「そうか」
答えながら、星司は少しだけ恐怖を覚えた。
皐月の心はまるで他人への感情よりも、自分の内なる感情をひたすら観察するためだけに存在しているようだ。
発言が問題をぶり返し、皐月の神経を逆撫でするかもしれない。それを覚悟で言った星司の言葉は、まるで水の流れに逆らわぬ笹船のようにどこか遠くへと行ってしまった。
「お前にしろ皆瀬亜姫にしろ、強い心を持ってるな」
「え」
「何だよ、マジになった顔して」
吹き出しながら、モノクルデバイスを取り出す星司。
「それがお前らの強さの源泉なのかって。そんな考察をしただけだ」
ホロディスプレイは皆瀬亜姫の草試合での驚異的な戦績を表示していた。
星司は亜姫の実力を全て把握していた。知った上で、黒騎士と戦わせようと仕向けたのだ。
「まあ、データは取れなかったけどな」
「皆瀬さんは単純なポテンシャルなら俺よりも強いかもな」
はっと息を漏らす唯衣を横目で見ながら、皐月は続ける。
「でも、皆瀬さんは騎士側の人間じゃないんだ」
「それってつまり、俺らみたいな贋剣使いってことか?」
贋剣使い――騎士道競技をしながらも、騎士らしい考え方を持たぬ競技選手の蔑称。
だが、皐月は星司の言葉に首を振って答えた。
「それも違う」
――寧ろ、遥かに高嶺にある存在だと思う。
そこら中に氾濫する騎士道ごっこに明け暮れる有象無象とは比べるに値しないほどに高潔。
自分たちが普通に生きていてもなれないような存在。例え、少しでも亜姫のように生きようと努力してもけして到達できない。
生まれながら至高の存在に等しい。
それはまるで、御伽噺に出てくるような――
「今のお前はまるで、お姫様を守る騎士に見えるよ、皐月」
星司の指摘に照れるでも、笑うわけでもなく。
久条皐月はその言葉を聞き入れた。
「言い方は臭くて気に入らない。けれど、お前の言いたいことは分かるよ、星司」
「なんなんですか、あなた達。キモいです……」
直後発せられた唯衣の一言。
男二人が一瞬固まり、肩を揺らして笑い合ったのはそれから程なくしての事だ。
すっかり涼しくなった夜の風が心地よく三人の肩を撫でていく。
「先輩は卑怯です」
「え」
そこに再び差し込まれた唯衣の鋭利な言葉。
「何でも出来るのに。私みたいな人間を気まぐれに助けるだけで、何でもっと自分の力を全開で使わないんですか?」
視線を合わせた先、赤い髪のレイピア使いの少女は真面目一辺倒の顔で続ける。
「アキちゃんも私もいくら全力を尽くしても、尽くしきれないのに。私がもし貴方みたいに強かったなら、その力は多分燃え尽きるまで全力で使うのに」
言ったきり、唯衣は押し黙る。
「でも、先輩は何で出し惜しみしちゃうんですか。理解不能です……」
喉奥にこみ上げた言葉がつっかえたまま、こくりと喉を鳴らしたきり俯いてしまう。
そして、ようやく言葉を振り絞る。
「ずるいですよ、先輩……」
消え入りそうな声は皐月の脳裏にいつまでも残り続けた。
確かに、樫葉崎唯衣ならば惜しみなくその力を使いきるのだろう。そして、亜姫と共に宿願も叶えるのだろう。
だが、唯衣は皐月にはなれない。
そして、唯一力を行使できる側にいる筈の皐月は久条の呪いに縛られたままなのだ。
やはり、亜姫や唯衣と同じ振る舞いは到底出来ない。そう思ってしまう。
悔しいがこれは諦めだった。
「悪いな樫葉崎。この諦観を前に、自分の心に嘘は付けない」
嘘を付くのは昔から苦手だった。本心を隠し、騙し騙ししながら振舞う事なんて。
――だけど、その一方で。
「実現不可能だと分かっていても、挑むのが騎士道だって。皆瀬さんはそう言ってたっけか」
「えっ」
瞼を晴らした唯衣が声を上げるも、それに答える事はしなかった。
「俺は贋剣使いだ。だけど――」
そんな彼ら彼女達のような騎士道物語を歩んでみたい。
そんな心の声もまた皐月の中で聞こえるのだ。
「悪かった樫葉崎」
唯衣の目の前に皐月の手が伸ばされていた。
街灯に照らされた広げられた白い手を、唯衣はじっと見つめている。
何か言いたげな赤い瞳は遠く海に浮かぶ火のようにゆらゆらと揺れている。
「私は――」
求められた握手を敬遠するように、唯衣がそっぽを向いた。
苦笑いしながら、皐月は手を引っ込めた。
そして、この顛末をじっと観察していた星司へと向き直る。
「星司。俺の全力を見たいか?」
「どうした急に。帝徳に居た頃も見せてくれなかっただろ」
軽口を返しながらも、只事ではない皐月の表情。
「――ああ、そうだ。見たいよ」
自然と星司も軽口を言うのをやめていた。
「データが欲しけりゃ好きなだけくれてやる。だから、協力しろ」
「何かするつもりですか?」
恐る恐る唯衣が尋ねた。
「帝徳を倒す」
突如発せられた予想外の言葉。
「先輩、貴方は何をいきなり」
帝徳の強さが如何に絶対的か。騎士道を始めたばかりの唯衣もそれは知っている。
増して、目の前の皐月はそれを身体で知っているのだ。
突然この場で与太話を始めた、その思惑が唯衣には図れなかった。
だが、馬鹿はもう一人いた。
「いいぜ」
「先輩達、本気で言ってるんですか?」
即答する星司に驚きながら、唯衣が呆気にとられた顔で言う。
だが、皐月と星司の考えはもう変わりそうになかった。
「高円寺高校の名義で申し込むんだろ? お前ら無名の駒木野じゃあ練習試合なんて受けてくれない。」
「練習試合? 違うな」
口を紡ぐ星司をじっと見ながら皐月は言った。
「殴り込みだ」
「――へえ」
それを聞いた星司が心底愉快げに笑った。
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