4-5 毒牙

「「!?」」


 現れたのは完全武装した一人の騎士だった。

 かちゃり、と金属音を纏わせながら、ゆっくりと歩み寄る

 大樹の幹のようながっしりした上背、その身は夜の闇に溶け込みそうな程の漆黒の鎧。姿だけなら四ツ谷で戦った玄部優一の装備に酷似していた。


「まさか、黒騎士?」


 話だけ聞いていた唯衣が三人の中で一番に反応してみせる。


「手合わせを所望する」

 

 騎士はそれだけ言うと前進を再開させた。

 手にしているのは、中ぶりの皐月が持っている物と同系統のワンハンドソード。


「先輩」


 呆然と見つめるその眼。

 すぐ傍の皐月に戦闘の意思は見られない。 


「参る」


 しかし、一方の騎士は既に臨戦態勢に入っていた。言うが早いか剣を振りかぶると紫色のエフェクトがにじみ出る。


「先輩ッ!」


 抗うように、銀の閃光が差し込まれる。次いで発せられたのは鋼同士の甲高い衝突音だった。


「何やってるんですか! 戦ってくださいよ!」


 皐月の代わりに応戦した唯衣が金切り声を上げる。


「何なんですか、もう!」


 言いながら唯衣はレイピアを腰の高さから突き出した。

 交戦しながら懸案していた通りになったと思う。

 黒騎士を前に動きを止めた皐月には戦意が感じられなかった。

 まるで何か他の障壁を目の前にして呆然としたように動こうともしない。その姿は無防備に等しかったのだ。

 それなら、と。

 唯衣は相手の剣を押し返しながら強く思う。


「私が相手してやります。黒騎士!」


 闘気にあてられ、レイピアの銀が熱せられたように赤みを帯びる。


「はあっ!」


 派手なエフェクトを纏った刺突。レイピアを片手に唯衣が躍動する。その様子を皐月はただ茫然と立ち尽くして見ていた。

 ふと、傍らで観戦していた星司と視線が交錯する。


「俺は呼んでねえからな、あんなやつ」


 そう弁明するが、彼の首元にはモノクル型のARデバイスがぶらさがっている。

 淡いホログラムブルーの弱光を帯びたレンズ、既に起動状態にあるのは明白だった。

 どうやら、データ収集だけはしっかり行うつもりらしい。


「分かってる。それにあいつは――優一じゃない」


 皐月が星司の物言わぬ視線にそう答える。

 光の加減か、黒だと思っていた騎士の甲冑は僅かに翡翠を帯びていた。


「いや――」


 それ以前から、現れた騎士が玄部優一と別人である事は知っていた。

 だけど、黒甲冑を見ていたら、あの日の優一の表情が脳裏に浮かんで我を忘れていた。

 ぼんやりと佇み後輩の戦いを見ている自分。何故かその立ち姿が他人事のように思えた。


「何でなんだろうな」


 今日はこの場に亜姫がいないからなのだろうか。

 彼女がいなければ戦いの拍車が掛からないのだろうか。

 だとすれば自分は不甲斐ないなと、皐月は自問自答しながら進む。

 あちこちの街灯の光りが戦い続ける騎士二人へと向けられている。

 草試合の開始に公園内の設備が反応しただけなのだが、その眩しさが皐月には遠い物に感じられた。

 それはかつて皐月が浴びていた、遥か昔に置いてきてしまった光だった。


「遠いな」


 そんな悠長な事を脳裏でなぞっていたら、唯衣が叫んだ。


「アキちゃんの仇、今ここで!」 


 ひゅるんと風を逆巻かせレイピア使い特有のステップで跳ぶ。脚力をバネのように活かした渾身の突きだ。

 一瞬で、詰めた距離。不意打ちに等しい一撃に黒騎士は剣で受けようとするも間に合わず、


「よしっ!」


 がつん、と音が浸透。視界に映る黒騎士の持ち点が減った。


「まだだ――」

 

 しかし、何かに気づいた皐月が声を上げる。

 劣勢にまわった黒騎士が、不意に懐から何かを飛ばしたのだ。

 唯衣はそれを弾き返す間もなく、


「何ですか!」 


 一度、二度、三度。順に少しずつ、唯衣の持ち点も減った。それと同時に彼女の足元にからんと刃のような煌めきが落ちるのが見えた。

 黒騎士が指の間から投擲したのは数本の投げナイフだった。全く想定していなかった草試合プレイヤーの使う飛び道具。

 初めて対する武具に唯衣は驚きの表情を見せ、


「何ですか、これ」

 

 腰を落としながら、唯衣は自身の異変に気づいた。

 減った唯衣の持ち点バーは攻撃が終わった後も止まることなく、ゆっくりではあるがじんわりとその長さを減らしていく。


「えっ……」

「どうだ。俺の毒刃は」


 黒騎士が体勢を取り戻しながら、歩き出した。

 はっとして目を凝らした先、打ち捨てられた投げナイフの刀身に紫色の毒々しいエフェクトが宿ったままだと気づく。


「毒が塗ってあるってことか」


 公式戦では使用できないタイプの武器だった。

 その効果とビジュアルで皐月はすぐに把握できたが、唯衣はまだ理解が追い付いていないらしい。


「暗色の鎧に毒の投刃――ランカープレイヤー『デス・ストーカー』だな」

「「えっ」」


 反射的に問い返す皐月に、星司はモノクルデバイスを覗き込みながら答える。


「草試合界隈じゃそこそこ知られてる暗器使いだ。知らない奴からするとあの戦法は結構効くんだぜ」


 言っている間にも唯衣は追い詰められていく。


「まだです。まだ時間は――!」

 

 黒い騎士から尚も投げられる毒刃。それらを今度は避けながら、唯衣は戦いを続行する。


「貴方みたいな騎士には負けません!」

 

 速攻で勝負を先に決めるつもりなのだろう。

 しかし、その戦術は相手も良くわかっているようで、完全に時間稼ぎの守りの立ち回りに入っていた。


「まだ……まだなのにッ――!」

「焦っているな。貴公から恐怖が見える」


 悔しさを滲ませながら戦う唯衣。焦りは確実に立ち回りにも綻びを生じさせる。

 兜の奥でほくそ笑むデス・ストーカー。唯衣はまだ勝機を見出そうとしているが、完全に術中に嵌ってしまっている。

 減り続ける唯衣の持ち点は既に半分を割っていた。相手からの致命的な一撃は避けているのに、既にその点差は逆転しつつある。


「さっきの威勢はどうした?」


 黒い騎士は片手剣でレイピアをいなしながら唯衣の腰元を激しく打つ。


「私は、私はまたこんなところで――」


 歯噛みしながら迎え撃とうとする。意地でも退く気は無いらしいが、残念なことに経験不足の差はそのまま戦いの趨勢を決めてしまったようだ。


「くっ」


 かしゃりとレイピアを落としながら、唯衣の持ち点がとうとうゼロになった。なってしまった。

 刹那、暴風が起こる。


「お?」


 剣を閃かせ、皐月が吶喊する。

 目の覚めるようなその動き。合わせた剣で押し返しながら黒騎士は低く笑う。


「素晴らしい剣圧を感じる。貴様は退屈させないんだろうな?」


 ぎん、と打ち付けながら、皐月が剣で答える。沈黙のまま再開される戦闘。

「避けてください!」


 数合打ち合った所で、黒騎士は懐に左手を伸ばす。

 唯衣が忠告するも、既に刃は皐月の腕を掠めていた。左右両方とも、唯衣が受けた時とは比較にならない量の毒が流し込まれる。


「クク、当たったな?」


 著しく減少していく皐月の持ち点。それを眺めながら慢心しきった声が聞こえる。


「だからどうした。もっと早くなるぞ」

「なに?」


 皐月はそれでも動きを止めなかった。身体を動かせば毒が更に速く回るというのに、剣の早さは増していく。


「どうした? 対応してみせるのはお前の方だ」


 煽るように皐月が剣を打ち付けた。


「くっ、こいつ何故」


 逆に劣勢にまわったのはデス・ストーカーの方だった。

 不意打ちを喰らっても尚、動じない。それどころか更に鬼気迫る立ち回りを見せる未知の相手。

 剣一本で満足な装備でもない。そんな皐月が見せる波状攻撃に幾度も剣が鳴る。


「おおッ」


 デス・ストーカーの剣が鈍り、そして――勝負は呆気なく決まった。

 皐月の力押しで、毒が回るよりも早くデス・ストーカーの持ち点が削り切られたのだ。

 どうと倒れる黒甲冑を見下ろしながら、熱の失せた灰色の瞳が瞬く。


「こいつじゃない」


 紙一重の持ち点を残しながら、ただ告げられる言葉。

 だが、その端には明確な失望がある。


「黒騎士はこんなものじゃなかった。貴方の色は弱すぎる」

「色……?」


 唯衣が驚きのまま固まっている。

 黒騎士を見下す皐月の虹彩は燻るように五彩を散らしかけた所で、すぐに元の灰色へと消沈した。




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