4-2 贋剣使いと姫君

 木々が多く植えられた緑の芝生。その向こうに小山のようなマンションの頭が見える。それを遠く見ながら、庭園内を亜姫と共に歩く。

 ベンチでは老人と見舞客だろうか。息子くらいの若い夫婦が仲睦まじげに語らっている。

 ふと、視点を前に戻すと入院着を纏った幼い子供達が元気よく走り寄ってくるところだった。


「おっと」


 危うくぶつかりそうになった亜姫に手を添えると、少年は面白い物でも見たような顔で振り返る。


「ばいばーい、ラブラブのお姉ちゃんたち!」

「ああもう、あの悪戯坊主め」


 そのまま元気に走り過ぎてゆく少年。亜姫は悪態混じりに手を振り返しながらもその表情は愉快げだ。

 見ていた皐月もほっと胸を撫でおろす。


「本当に大丈夫そうだな」


 危ないようなら手を貸すつもりだったが、ここまでの遊歩道を亜姫はしっかりと歩いている。ナノマシンは思いの外に順応しているようだ。


「うん。これなら週末には学校に行けるかな」


 そう言って、亜姫はもしもの為に携えていた杖を寄越す。

 歩くのにはもう不要な代物だと言いたいらしい。


「まるで、西欧のどっかの国の貴族様だな」

「お付きの者を従えて?」


 皐月は頷きながらそれを受け取った。


「それで、唯衣との練習はどうだった? 今度の西東京大会までにはもっと仕上がりそう?」


 切り出されたのは部活の話だ。大会が終わったばかりだが、既に秋の全国大会予選まで見据えているらしい。


「フェンシングから転向してきてよくやってると思うよ」


 実際、唯衣はこれまで見てきた騎士道プレイヤーの中でも相当のセンスを持っている。皐月はそう思っている。

 騎士道競技は多種多様な武具防具を扱うが、事実、唯衣はこの短期間でそれら様々なタイプの選手を相手によく戦っていた。

 

「この前の大会も上級生相手にいい試合してたし。夏を越える頃には頼れる先鋒になってると思う」


 それを聞いた亜姫は満足げに表情を緩めた。


「あの子はそれだけの素質も精神力もあるからねっ」

「偉く樫葉崎を買ってるんだな」 


 幼馴染を語る姉貴分。その弾むような足どりを見て皐月は心底羨ましいと思った。

 皐月と優一の間にこのような関係性は無かった。

 かつて同じ屋敷で兄弟のように共に育った幼馴染は、帝徳の中等部に上がった頃には既に疎遠になっていた。


「皆瀬さん。君は羽ばたいているよ」


 不意に口に出た言葉。


「俺なんかよりもずっと、空の上で飛んでる存在だ」

「そう思うの?」


 歩を止めた亜姫がじっと見つめている。ここは高原かと錯覚するような涼やかな風が吹き抜け、彼女のアイスブルーの髪を煌びやかに靡かせていた。

 その消えてしまいそうな儚げな笑顔を見ていると何だか照れ臭くて、つい軽口で締めくくりたくなる。


「ついでにいえば可愛らしいオウムなんかじゃない。凶鳥の類いだ」

「なにそれ、笑えないんだけど」


 心底嫌そうに不貞腐れるが、内心では快く思っている。それが皐月には分かる。

 日光に滲むように亜姫から溢れ出る色は淡い空色をしていた。


「籠の中だろうが、決して逃れられない動物園の檻の中だろうが関係ない。力の限り飛ぼうとするその姿を見て笑う人なんていないよ」

「もう、本気で言ってるの?」


 果たして、彼女は気づいているのだろうか。風に当たった彼女の頬が、ほんのりと赤く染まっているのを。

 しかし、皐月はそれを揶揄する事もなく、優しげに笑顔を向けて聞いている。

 爽やかなそよ風が抜ける療養所内の庭園。

 緩やかな空気を共に過ごすこの時間は、例え互いが沈黙であっても心地の良い物だった。

 暫くそうしていたら、不意に亜姫がポケットから何かを取り出そうとする。


「君もだよ。皐月」

「え?」


 そして向けられた言葉。思わず顔を上げると、亜姫が髪留めで長いテールを結わえている所だった。


「君だって絶対に飛べる」


 ぎゅっと括り付け、馬の尾みたいに揺らされたサイドテール。

 亜姫はくいと小首をかしげながら、意思の強い瞳を向ける。



 いつか聞いた言葉がフラッシュバックする。

 夕暮れの久条の騎士道場。騎士道を辞めると伝えた皐月に向かって、優一から手向けられた言葉。それはずっと、皐月の中で呪いのように潜み続けた。

 だが、しかし――


「ああ、そうだな」


 皐月は少し考えながら答えた。

 不思議と、胸を締め付けられる気はしなかったのだ。


「そろそろまた本気で俺は戦いたい」

「それが君の心の声なんでしょう?」


 亜姫はそれを聞いてにっこりと笑みを作る。


「ああ。別に久条だけが俺の騎士道の全てじゃない」


 凛とした眼差しに答えながら、皐月の中でふと、昔聞いた言葉が甦る。

 優一に掛けられた呪いの言葉ではない。

 それよりもずっと前、遥か幼い頃に掛けられたもう一つの言葉だった。


『皐月は心の声に従え。楽しいと思える居場所がお前の城だ』


 記憶の中の祖父が言う。

 それを思い出したのは、亜姫の言葉を聞いて昔の事を彷彿とさせたから、果たしてそれだけだろうか。


「そろそろ歩こう」

「うん」


 皐月の言葉によって、立ち止まっていた二人は再び庭園内を歩き始めた。

 小鳥がかまびすしく鳴いている。

 そろそろ季節は夏へと移りつつあった。


「またあの剣を振って。私はもっとあの閃きが見たい」


 木漏れ日を背に、樹上を軽やかに跳ね歩く小鳥。それを見上げながら、亜姫が言う。

 皐月はそんな亜姫の横顔をじっと見ている。


「そうしないと駒木野が勝てないから?」

「もうっ、そういう所はほんと素直じゃない」


 亜姫は不意に皐月の手を取る。手のひらに伝わる感触は陽光の熱で暖かかった。


「ちょっと」

「何で、君みたいな優しい人が悩まなくちゃいけないんだろうね」


 サイドテールを揺らしながら、遥か遠くに目を向けている。

 その横顔はこの暖かさの中で、何故か儚げな雪の結晶みたいで。


「ねえ、皐月」

「なに?」


 亜姫はふふ、と小さく笑みを零しながら、皐月の手をぎゅっと握る。


「治ったら、また一緒に試合しようね」

「ああ、そうだな」


 亜姫の手をぎゅっと握り返した。

 いつもならば、恥ずかしくてこんな事などしないのに。


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